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私という人間。

はじめまして。小山と申します。
突然ですが、noteを始めてみました。

理由は至ってシンプルです。
文を書くことが好き。
文を読むことが好き。

動機としては、十分だなと感じました。

以後、何気ない日常から
学んだこと、感じたことを記していきます。

ということで、初投稿。
自己紹介からさせていただきます。

▼目次
①幼少期
②小学生
③中学生
④高校生
⑤大学生

①幼少期

私は千葉県に生まれました。
父、母、兄、私の4人家族です。

幼少期の私はよく食べ、よく眠る
いわゆる”おりこうさん”でした。

そんな私が5歳の時、
サッカーというスポーツに出会いました。

帰りの送迎バスを待つ私。
目の前のグラウンドで
友人がサッカーをしていました。
何を思ったのか、
所属していないクラブの練習に
乱入してしまったみたいです。

“おりこうさん”の歯車が
狂いだしました。(笑)

②小学生

一言で私を表現するならば”ジャイアン”だ。
“おりこうさん”からの変容には訳があります。

最も影響を受けたのは、兄の存在です。

兄は歳が1つ上で、
私より先にサッカーを始めていました。

その兄は私と比べて、
両親によく褒められていました。
(虐待や差別を受けていたという
訳ではありません。)

「こんなプレーができる様になったのか!」
「もっと食べて力強くなるんだぞ!」

そんな言葉が羨ましかったのだと思います。

いつの日か、「両親を見返したい。」
そう思うようになりました。

そんな執念を抱きながら練習に励んだ結果、
エゴの塊”の様な人間になってしまいました。

それが功を奏したのか定かではないが、
市の選抜に選ばれたり、
クラブ史上、最も優秀な成績を収めました。

③中学生

そんな”ジャイアン”時代も終焉を迎えます。

「誰のためにサッカーをしているのか。」

小学校を卒業すると同時に
ふと、考えるようになりました。

「両親に褒められるため?」
「兄を負かすため?」

違うと気づきました。
もちろんサッカーをやらせてくれる両親にも、
私を成長させてくれた兄にも感謝しています。

それでも、それ以上に感謝したいものを
見つけることができました。

「一緒に戦う、仲間のため。」

ありきたりではあると思います。
ただ、この事実を認識することは
私自身の言動をポジティブなものへ変化させ、
成長を促してくれました。

結果として、県の選抜に選ばれたこと。
最後の総体で千葉県準優勝という結果を
残すことができたこと。

目に見える結果として、現れました。
(人生初の彼女もできました。(笑))

「まだまだ上手くなれる。強くなれる。」

そんな期待を抱き、中学校を卒業しました。

④高校生

この世に生を授かってから、
約20年という短い期間ではありますが、
最も厳しかった3年間であることは
間違いありません。

私はこれまで、サッカーばかりしていました。

「勉強の方は大丈夫なのか。」

そう思う方もいるかもしれません。
実は、そこそこできていたんです。(笑)

私の通っていた中学校では、
1学年9クラスあり約350人が属していました。その中で20番以内は常にキープしていました。

なので、高校受験も当然する予定でした。
しかし、受験勉強をすることは
ありませんでした。

私は中学校サッカー部の顧問に呼び出され、
このような会話を行いました。

顧「高校でもサッカーは続けるのか?」
私「はい。そのつもりです。」
顧「お前の成績がいいのは知っている。」
 「どこら辺を目指してるんだ?」
私「〇〇か〇〇辺りです。」
(偏差値は60程の公立高校で、
サッカーの強さは千葉県でベスト32か16程。)
顧「そうか。」
 「両方獲りにいかないか?」
私「!?」
 「と、言いますと?」
顧「勉強もサッカーも
  1位を獲りにいくってこと。」
私「!?」
顧「実は〇〇高校(偏差値は千葉県で最も高く、サッカーの強さは千葉県でベスト8か4程。)の監督と、国体で一緒にコーチをやらせてもらったんだ。そこで話を聞いたんだけど、勉強ではなくて、スポーツ推薦の枠があるみたいなんだよね。」
私「挑戦したいです。」

迷う余地はありませんでした。

顧「枠に選ばれるかは
  お前の実力次第なんだけどね。(笑)」

練習参加を重ねた結果、
その高校への入学が決まりました。

ここから怒涛の日々が始まります。
朝は5:30に起床。週5日の練習と週1日の
公式戦が続きました。

練習がキツすぎて皆の頭がおかしくなり、
奇行に走ったことも多々ありました。(笑)
(今でも高校の同期と飲みにいくと、
何時間でもその話で盛り上がります。(笑))

種類も豊富なので
今後、記事にできたらなと思います。(笑)

監督から罵詈雑言を浴びせられながらも、
身体的にも、精神的にも成長しました。

結果としては、国体の代表候補。
千葉県でベスト4という結果を残しました。

高校で得られた理不尽な経験は、
今後の人生において
必ず役に立つと信じています。

⑤大学生

大学より、京都で一人暮らしを始めました。
京都に決めた理由は、
指定校推薦がそこにあったからです。(笑)

話はサッカーに戻り、「続けるのか否か。」
という葛藤がありました。

結果として、
「サッカーを続ける。」
という選択を行いました。

しかし、カテゴリーは
体育会サッカー部”ではなく、
サッカー同好会”というものでした。

理由は、
高校時代に痛めた腰が限界を迎えていたため。
しかし、まだサッカーをしていたかったため。

皆さんは”サッカー同好会”に対して
どのようにイメージをお持ちでしょうか。

「ちゃんとサッカーをやっているのか?」
「そもそもレベルはどんなもんなのか?」

など、体育会と比較して
マイナスな部分が
目立つのではないでしょうか。

同好会に入って後悔をしたのか。
先に結論を述べます。

答えはNOです。

体育会と比較して優劣をつける
という訳ではなく、
体育会には体育会のメリットがあり、
同好会には同好会のメリットがあります。

この部分に関してはここだけで記事が
書けそうなので今回は略します。

今までのサッカー人生と比較して、
大きく異なるのが”監督が不在”であること。

その中でキャプテンを務め、
本当に多くのことを学びました。

組織とは?
マネジメントとは?
リーダーとは?
サッカーとは?
人間とは?

本当にやりがいのある役職を全うし、
成長に繋げるとこができたことは
間違いありません。

チームの結果として、
64年続く組織の歴史で
過去最高の結果を残すことが出来ました。

こうして、私のサッカー人生は終了しました。

自己紹介というか、
“サッカーから得たもの”
みたいになってましたね。(笑)

それだけ、サッカーに本気で
打ち込んできたんだと胸を張りたいです。

最後までご覧いただき、
ありがとうございました!

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