空色のはじまりは?
「空色」という言葉は、はじめてのピアサポート活動をした日のできごとに由来しています。2018年初頭に愛知県内の精神科病院から体験談発表のお仕事をいただきました。当時はまだリカバリーストーリーを書いたことがなかったので、じぶんの経歴と向きあいながら、いちから原稿をつくりました。
じぶんの傷や経験を言葉にする作業は2ヶ月半ほどかかりました。当時通所していた福祉施設の担当職員さんにも原稿をみていただきながら仕上げていきました。文章を書くこと自体は得意なほうだったのですが、傷を直視するのがこわくて柔らかい表現に逃げる癖があり「成瀬さんの傷はこんな生易しいものじゃないはず」と何度も指摘されました。
あの時期は天気も悪く、通所を終えると重い曇天がつづいていたのをおぼえています。発表の日が近づくにつれて恐怖心が高まってきました。当時のわたしにとって最もハードルが高かったのは原稿づくりよりも、精神科病棟で看護師を目の前にするということでした。傷や劣等感が直接刺激される体験となることが容易に想像できたからです。
わたしの闘病歴には看護学生時代の苦しい経験がおおきく関わっています。精神科看護にまつわる出来事や存在は、ネガティブの象徴になっていました。もっとも症状がひどかったときは、だいすきな医療系のドラマや映画も一切みれなくなってしまったほどです。当日、病院に向かう車中でも、恐怖でいっぱいだった記憶があります。
病棟内を歩いているうちに「ここまできたらもう逃げられない」と腹が据わったのだとおもいますが、本番は30人程度の医療関係者や患者さんのまえで毅然と発表ができました。質疑応答の時間に、現役の看護師さんから直接「とてもがんばりましたね」と言葉をいただけたことが、とても嬉しかったのを覚えています。
ピアサポート活動をすべて終えて、その病院からでたときにみえた景色が、今回の表紙にもしている写真です。もうずいぶん前の写真なので画質が荒くなってしまいましたが、支援者さんと帰り道にみたこの景色を忘れることができません。
最初は夕暮れがとてもつよいオレンジで、次第に紺色が降りてきてあいまいに色が混ざりあい、自宅につく頃には三日月が姿をあらわしていました。そのように変化する空色につよく心が惹かれ「この景色を忘れないでいましょう」と支援者さんと約束しました。いまでもふたりのあいだで不意に話題にのぼることがあります。
ここまで頑張ったご褒美のようにも思えました。もともと空をみるのがわたしはすきなのですが、このとき移り変わる景色が、病棟で経験が意味をもって変化したさまとリンクして、それ以来、ピア活動をおこなうときには「空色」をキーワードにするようになりました。
あれから6年がたち、いろいろな場所で「空色」をテーマにしながら活動や仕事をしてきました。そのなかで、経験を語り、誰かに伝えていくことや、わかちあうことは、とても大切なものだと感じられるようになりました。
場所や相手が違えば、伝える内容もかわりますし、時がかわれば、じぶんの経験をどのように言葉にするかもかわります。そういう変化もすべて含めた実りがあるようにと想いをこめて活動しています。
「ひとも病いも、移ろいゆくもの、実りあるもの」という理念は、この数年間のなかで培われたものです。情景は記憶と密接な関係があります。特別な体験をした日のそれぞれの「空色」が持ち寄られることを願い、当事者会には「空色のつどい」と命名しました。どこにいてもひとつであるという、ひろい意味での繋がりという意味もあります。
7月7日ははじめて「空色のつどい」を開催した日です。みんなが空を見上げるこの日に開催できたのはたまたまではありましたが、思い出ぶかい日です。初回は閉会前にそれぞれの願い事を短冊に書いて発表したことを覚えています。
いまこの瞬間にも、それぞれの空のしたで、仲間が目標に向けてすすんでいるとおもいます。空はこころにとって驚くほど大きな影響をもつことをわたしたちは体験してきました。空色を知ってくださった方にとっても、大切な景色を思い起こすきっかけになってくれたら幸いです。
ライター アサギ
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