【小説】嘘をついたペテン師
「この世で最も嘘つきの仕事」って何だろう?
詐欺師。あ、うん、そうだね。正解。
じゃあ、合法的な仕事の中で一番嘘つきの仕事は?
政治家って答えた人。いい線行ってる。でも政治家は2番目。
1番は政治コンサルタント。
僕の仕事は政治コンサルタント。政治家に嘘をつかせる仕事だ。
選挙のときに政治家がどんな発言をするか。どんな政策を推進して、どんな政策に反対するか。それによって票がどう増えるのか。それとも減るのか。それを分析してアドバイスする。
たとえば、親のいない子供たちが暮らす施設の拡充と職員の増員。子供たちはこの国の未来。彼らが大きくなってこの国を支えてくれる。もちろんこの政策を強力に推進する政治家はみんなに支持される・・・ってことにはならない。残念ながら。
親のいない子供たちには選挙権がない。児童養護施設に深い関心を寄せる人はもちろんいるけど、ごく少数の善良な人たちだけ。多くの「普通の」人々にとっては見知らぬ孤児のことよりも、自分の老後のほうがはるかに重大な関心事だ。
だから選挙で勝ちたいなら、この政策について記者から質問された政治家はこう答えなきゃいけない。
「誰もが安心して暮らせる社会を作るために親のいない子供たちの問題には取り組む必要がある。しかし、限られた財源の中、優先順位をつけなければならない。まずは経済を第一優先。そして、社会保障を拡充してみんなが安心した老後を迎えられるようにすることが当面の課題だ」
当然、最適な答え方やニュアンスはその時々の情勢で変わってくる。だから僕のような政治コンサルタントが必要なんだ。
世の中のあらゆるデータに基づいて、一つの発言が票や支持率にどう影響するかを分析する。そして、分析結果をふまえた、「良い政治家」としての立ち居振る舞いを政治家にアドバイスする。
その政治家自身の信条や政治思想は、実のところあんまり重要じゃない。だって、どんな立派な政治家でもまずは選挙で選ばれなきゃいけないからね。
政治家の言ってることが二転三転する。二枚舌。日和見主義。そんなふうに感じる人たちは時々でいいから思い出してほしい。
政治家にそう言わせている人物が裏側にいるってことを。
政治家に嘘をつかせる仕事。それも一番巧妙なやり方で嘘をつかせる仕事。それが政治コンサルタントであり、僕の仕事なんだ。
***
政治コンサルタントとして、僕はとても優秀だ。
僕は完全成功報酬制でしかコンサルティングを引き受けない。つまり、選挙での当選や支持率のアップといった結果や数字を請け負う。僕のアドバイスで上手くいかなかったときはお金を1円ももらわない。
この料金体系で経営を成り立たせてるコンサルタントはとても少ない。ほとんどのコンサルタントは成功報酬だけでなく色んな名目で顧客からお金をとる。
着手金、手数料、登録料、月額顧問料・・・こういうお金は結果が出なくても返金されない。アドバイスがたまたま上手くいって結果が出ればよし。結果が出なくてもコンサルタントは損しない仕組み。
僕の場合は違う。結果が出たときにもらう成功報酬しか受け取らない。そのかわり成功報酬は相場の何倍ももらっている。腕がよくなければ成り立たないやり方だ。
このやり方で、僕は10年近くこの仕事を続けている。ありがたいことにリピーターもたくさんついているし、既存の顧客から知り合いの政治家に紹介されることも多い。
たぶんあなたがテレビで何度も観たことのあるあの政治家も僕の顧客の一人だ。いわゆる2世議員で、あまりぱっとした業績はないけどなぜか人気はある、あの政治家。そうそう、今思い浮かべたその人だよ。
僕はこの仕事を結構気に入っている。嘘をつくこと、つかせることにあまり心理的抵抗は感じないし、自分の分析どおりの結果が数字や選挙の当確という目に見える形で出るのは楽しい。
うん、天職といっても間違いじゃない。
***
そんな僕がある文芸投稿サイトのユーザーになったのは情報収集のためだった。
サイトの名前は「Sunday Poets」(日曜日の詩人たち)。
名前のとおり、いわゆるアマチュア小説家や詩人が自分の作品を投稿したり、同好の士と交流することを目的とするサイト。
僕は情報収集のために常時複数のSNSにアカウントを持っていて、実際に動かしている。分析結果に基づく仮説の検証のために投稿をすることもある。もちろん政治コンサルタントの身分は明かしていない。
その文芸投稿サイトもそういう目的で利用を始めた。他のSNSとの違いは利用者のほぼ全員が自分の「作品」を投稿しており、その「作品」の批評や感想を通して交流しているというところだ。
いわゆる芸術家肌で、繊細な人たちの行動や心理を分析する目的で僕はそのサイトを使っていた。
投稿した作品を通してのやりとりがメインになるため、僕もいくつか詩のようなものを書いて投稿した。そして、他の利用者が投稿した作品にコメントを入れて交流をしてみた。
数ヵ月そのサイトを利用してみてわかったことがあった。
それはそのサイトを利用する人は「自分への関心」を何よりも求めているということだ。
最初、僕は投稿される作品の数や質がフォロワー数と相関すると考えていたが、それは違った。
かなりの頻度で自分の作品を投稿していた最初の頃よりも、自分の作品をほとんど出さずに他人の書いたものにコメントをたくさんつけ始めてからのほうがフォロワー数は大幅に増えた。
そして、他人の作品にコメントを、それも丁寧な長いコメントをつけると、自分の作品に好意的な感想を書いてくれる人が増えた。
明らかに、そのサイトの住人たちは文学的に優れた作品を作る人間よりも、自分の作品に関心を寄せてくれた人間に大きな好意を抱くということがわかった。
そのほか、投稿やコメントのやりとりをしていく中で色々なことが理解できた。多くの人の共感を集めるためにはどんな内容をテーマにすればよいか。どのタイミングでどんな作品を出せばいいか。
僕のコンサルティングにも活かせる知見がいくつか得られたところで、このサイトの利用を続ける意味も薄れていった。もう知りたいことは十分知ったから。
そろそろこのサイトを離れよう。
そう考え始めた頃に、僕は彼女と出会った。
***
彼女の名前も住んでいるところも僕は知らない。
「彼女」と書いたけど、本当の性別も知らない。
知っているのは彼女のハンドルネームと、彼女がアマチュアの詩人として詩をそのサイトに投稿しているということだけ。
彼女は「ストレンジラブ」というハンドルネームで週に3本か4本の詩をそのサイトに投稿していた。
彼女が書く詩は、出会いや、別れや、愛や夢。そういったものをテーマにしていた。僕は文学のことはわからないから、彼女の書く詩が優れているかどうかは判断できない。
数字のことはわかるので書くと、彼女のフォロワー数はそれほど多くない。50人に満たないあたりの数字をウロウロしている。
フォローの数も少ないし、他の利用者の作品にもほとんどコメントをつけていないようだ。このことは彼女が自分の作品を売り込むテクニックをほとんど知らないか、もしくは知っていてもそういうものに頼ることを嫌っているということを意味している。
彼女は僕がそのサイトの利用登録をした最初の頃に何も考えずにフォローした数十人のうちの一人だった。何度か彼女の書いた詩に当たりさわりのないコメントを入れたかもしれない。でも、そのときは彼女からは特に反応はなかった。
自分の作品を発表することだけを考えていて、特に交流を求めていないタイプの人間なのだろう。そういう人間も大勢いる。
だから、ある日、自分の書いた詩に彼女からコメントがついたときは少し意外な気がしたことを憶えている。
「夜中の灯り」という題名の、不眠症の人間が深夜に窓から見る街の灯りに慰めを得るというテーマで書いた短い詩だった。
もちろん僕は詩を本格的に学んだことなんてなかったから、他の人が書いているものを見様見真似で書いた「詩のようなもの」だ。
彼女はその僕の「作品」にこんなコメントをつけていた。
普通、コメントは一言。多くて二言くらいだから、彼女のコメントは結構長かった。そして、かなりパーソナルな感想を含んでいた。そのことも僕の印象に残った理由の一つだ。
僕は少し考えてから、こんなふうに返信のコメントを書いた。
そのコメントのやりとりをした数日後、彼女が「窓辺」という名前の詩を投稿した。
夜の闇の中にぽかりと浮かぶ、灯りのついた二つの窓。その一方から他方に向けて、決して届くことのない共感を寄せる、そんなメッセージを込めた短い詩だった。
そのあとがきで、彼女は僕の詩を読んで、それに答える詩を書きたくなってこの作品を作った、と書いていた。
僕はその作品にこんなコメントを書いた。
僕がコメントを書いた数分後に彼女の返信がついた。
彼女の返事が早かったのもあって、僕はチャットでもする感覚で返信を書いていた。
1、2分して彼女の返信。
彼女の書くコメントの文面から、少し打ち解けた雰囲気になったことがわかった。最後の質問は多分ジョークのつもりだろう。僕は少し考えてから返事を書いた。
職業柄、嘘をつくのは慣れている。罪悪感は特に感じない。
またすぐに彼女の返信。
「どういたしまして!」と、返事を書いて、その日のやりとりは終わった。
***
このやりとりの後、彼女からはよくコメントが来るようになった。
投稿した詩の感想や創作に対する考え、他愛のない雑談。僕もお返しのようなつもりで彼女の書いた作品を読んで、感想を書いた。
なりゆきで始まった彼女とのやりとりだったけど、だんだん僕はそれを楽しむようになっていた。
最初の頃、なかなか自分の本心を見せない人間のように見えていた彼女は、コメントのやりとりを重ねるにつれて徐々に素顔を見せてくれるようになった。文学に関しては辛口の批評家だったが、人間に対してはとても誠実で温かい見方をする、そんな人物だった。
自分の素性はもちろん彼女には明かさなかった。
最初のやりとりからのなりゆきで、彼女の中で僕は作家志望の夢を諦めたアマチュア詩人ということになっていた。
繊細で、控えめなユーモアがあって、ナイーヴでスウィート。そんな人物だ。
彼女はそんな架空の僕に多少の好意を寄せてくれているようだった。
***
一方で、現実の僕は人間を数字に置き換え、分析結果に基づいて政治家に嘘つきの指導をしている。
「Sunday Poets」で彼女と交流するようになってからも僕の仕事、僕のリアルには何の変化もなかった。当り前と言えば当たり前だけど。
その当時、僕は再選を目指す現職の知事にコンサルティングをしていた。すでに3選を果たしている手堅い実績を持った政治家。しかし、人間としては今一つ面白みや新鮮さに欠けると評されている、そんな男だった。
目前に迫った選挙には、国際機関上がりの新進気鋭の女性候補が立候補を表明していた。政治家としてのキャリアは始まったばかりだが、何か新しいことをしてくれそうだという期待から、すでにかなりの支持が集まっていた。
その日、僕は来るべき選挙戦に向けて、知事と政策秘書を交えた戦略会議の場で分析結果を説明し、選挙戦略をプレゼンすることになっていた。
「・・・以上が分析の結果です。結論を繰り返すと、今度の選挙は今までと同じやり方をしていては勝てません。実績のアピールだけではおよそ3ポイント差で負けます。僅差ですが、この分析結果の信頼性は確かです」
プレゼンテーションをそう締めくくって居並ぶ面々の顔を見渡す。知事と3人の政策秘書、それから選挙キャンペーンの運営責任者が1人、選挙資金の調達責任者が1人。
まず口を開いたのは知事本人だった。
「今まで危なげなく3選を果たしてきた身としては信じがたい分析結果だが・・・とはいえ、実際に支援団体の幹部なんかと話をしていると、確かに逆風を感じるよ。今回は今までの選挙とは違う。それで、どうすればいい?」
知事の言葉を聞いて一安心した。分析結果を受け入れてもらえないことにはその後の提案も聞いてもらえる見込みはないからだ。
「はい。現職の知事としての立場を上手く使うのがポイントです。選挙戦で争点になることを見越して、今から政策を打ち出しておくことが重要です。経済優先の姿勢をアピールしましょう」
「具体的にはどうしたらいい?」
「経済特区を設定して新興企業を誘致します。今流行りのIT関連の企業だけでなく、製造系、技術系の企業も対象にすべきです。他の行政区や海外で実績を上げている企業がこちらに支社や工場を作った場合に助成金と地方税の減免措置を与えましょう」
知事は「うんうん」と頷いて聞いていたが、横槍が入った。第一政策秘書の男からだ。知事の引退後に跡を継ぐと目されている人物だった。
「しかし、財源はどうする?無計画な財政支出は相手方陣営の格好の攻撃材料になるぞ」
「ご安心を。それについても考えています」
僕はあらかじめ用意していた財政削減の項目をまとめたリストを出席者に配った。リストに目を落とす出席者に向かって説明を進める。
「お読みになればわかる通り、かなりドラスティックな財政削減策です。が、実現可能性の高さは検証済みです」
「私が在職中に作った事業もいくつか含まれているな」
「はい。意図的にそうしています。対立候補は知事の過去の業績を攻撃する選挙戦術で来るでしょう。だったらあらかじめそれを自分の手で潰しておくんです。知事の政策は今までと違うと有権者に印象付けることにもつながります」
「よくわかった。しかし、これは・・・区域内の大学・大学院への奨学金の削減とは。教育行政は私の目指す政治のコアだ。この奨学金制度も私が知事に就任した最初の年に作ったんだ。これを削減するというのは政治家としての私にとって自殺と同じだよ」
知事の言葉に周りの秘書たちも頷いた。少しの間、沈黙が会議室の中に流れた。
「コショウを食べさせる最良の方法は料理に混ぜることである」
沈黙を破って、僕は言った。
「何だって?」
「アラン・ティモシー・ジャクソンという著名な政治コンサルタントの言葉です。政治コンサルティングの教科書には必ずと言っていいくらい引用されています」
僕は会議室の中の一人一人に目を合わせながら自信に満ちた様子で話し続けた。
「知事の教育行政への思いは私にもよくわかります。しかし、それを実現するためには政権をとらなければならない。あくまでも有権者が支持する政策をメインに据えるべきです。知事が本当に実現したい政策は、政権を維持した後に、メインディッシュの政策に混ぜて出す必要がある。コショウを料理にふりかけるみたいに」
全てデタラメだった。アラン・ティモシー・ジャクソンなんて名前の政治コンサルタントは僕の知る限り存在しない。彼のありがたい「警句」も、たった今、思いついた口から出まかせだった。
僕は自分の意見に権威を添えたいとき、時々この手を使う。いずれにせよ会議が終われば誰も憶えちゃいない。僕の提案が通ったという結論だけが残る。
「・・・確かに君の言う通りだ。今回の選挙は今までとは違う。まずは4選を果たすことを優先しよう」
知事が頷きながら言った。
「奨学金は人文系の学部から削りましょう。理工系の学部は引き続き支給します。実学重視の姿勢を見せることで経済優先の知事の姿勢を印象付けることができます」
「うむ、そうしよう」
「ちょっと待ってください」
会議の結論が出かけたとき、不意に横から声が上がった。先程発言した第一政策秘書だった。
「支給されるはずだった奨学金を支給しないということになれば、学生が不満を持つ。奨学金の支給を求めて裁判を起こされたらどうする? 法廷闘争を抱えながら選挙戦は戦えないぞ」
秘書は意地悪そうな目で僕の顔を見据えながら言った。最初に会ったときから感じていたが、この男は外部のコンサルタントである僕が政策に口を出すことを嫌っているようだ。
「ご指摘ありがとうございます。その点については後ほど説明しようと思っていました」
僕は慌てずに話し始めた。そういう反論がありうることを想定してリサーチは済ませてあった。
「この奨学金制度は半年ごとに審査を行って支給を決定するという仕組みになっています。審査の際は学生本人の学力や素行のほか、専攻する学問分野や自治体の財政状況も考慮するとされています。これまでこの審査はほとんど機能しておらずフリーパスで支給を認める運用だったようですが、今後は厳格に審査して受給対象を絞るようにするのです。つまり今、奨学金の支給を受けている学生であっても半年後の支給は審査の結果次第ということですから、仮に不支給になったとしても裁判で訴えることはできません。すでに与えられていた受給権を奪ったわけではなく、単に審査に通らなかっただけのことですから。この点の法解釈については知り合いの弁護士からお墨付きをもらっていますが、心配であれば顧問弁護士に確認してください」
「しかし・・・」
第一政策秘書が口を挟もうとするのを押しとどめて僕は話し続けた。
「聞くところによると、この奨学金の仕組みは第一政策秘書としてあなたがはじめに企画・立案されたものだとか。将来、このような事態になることを見越して考え抜いた仕組みというわけですね。感服しました」
予想外の誉め言葉を受けて、その男は何も言えなくなってしまった。
その様子を見て、知事は議論をまとめてこう言った。
「よし、この提案に従って選挙戦を戦っていこう。早速、記者会見を開いて財政削減策と企業誘致策を大々的に発表するよ。君も上手い仕組みで奨学金制度を作ってくれていて助かった」
知事からも褒められて、第一政策秘書は複雑な表情をしながらも「ありがとうございます」と答えるしかなかった。
***
僕のアドバイスに従って知事は政策を発表し、そのまま任期満了を迎えて選挙戦に入った。泡沫候補を除けばあの女性候補者と事実上一騎打ちの選挙戦だ。
僕の読み通り対立候補は知事の過去の業績の批判を軸に選挙を進めていたが、事前の策が功を奏して大した打撃にはならなかった。
知事は政治家としてのキャリアに乏しい彼女の手腕を疑問視する選挙キャンペーンを展開して優位に立った。依然として接戦ではあるものの、このままいけば知事が再選を果たすことになる。
ところが、選挙戦の終盤に差しかかった頃、知事の家族関係のスキャンダルが週刊誌に掲載された。
知事の一人息子は大学をドロップアウトしてビジネスを始めていたが、その会社が投資詐欺に手を染めたとした集団訴訟を起こされたのだ。
選挙が接戦なだけに、これは知事にとってかなりの痛手だった。対立候補は知事が自分の一人息子をきちんと教育できていなかったことと、奨学金の削減策にあらわれる教育の軽視を結び付けて論陣を張った。
情勢が変わったため、僕は巻き返しのための策を新たに練る必要に迫られた。そのため、しばらく「Sunday Poets」のサイトにもログインする時間をとれなかった。
一応の対策を講じて、何とか選挙戦の軌道修正が成功した後、久しぶりにサイトにログインしてみると、僕の以前の投稿にコメントがついていた。彼女からだ。コメントの日付は数日前だった。
そのコメントの言葉通り、それ以降、彼女は新しい作品を投稿していないようだった。それまでは週に3本は新作の詩を発表していたのに。
僕は彼女のコメントに返信した。
予想に反して、このコメントを書いた数分後に彼女からの返信があった。パソコンの前でずっと僕の返事を待っていたみたいに。
僕もすぐに返信する。
今度は10分程時間が経ってから彼女の返信があった。
彼女の返信を読んで、僕はしばらく身動きできなかった。「奨学金」、「不支給」という単語がスクリーン上の無機質なフォントの中で浮かび上がっているような気がした。
僕は深呼吸をして、ゆっくりと考えながら返事を書いた。
送信ボタンをクリックする前に少しだけためらいがあった。今まで彼女には散々嘘をついてきた。それと同じだと自分に言い聞かせる必要があった。
そして結局、僕はそのままの文面で送信ボタンを押した。
数分後、彼女から返信が届いた。
彼女の返信を読んで、すぐに僕は返事を書こうとした。何か彼女を励ます気の利いたことを言うんだ。でも、タイピングしようとした手が止まった。頭によぎったのは一つの疑問だ。
僕が言葉を尽くして説得すれば彼女は決断を翻してくれるかもしれない。でも、それが彼女にとって何になる?
「僕のために詩を書き続けてくれ」とでも言うのか?
素性を偽って夢破れた詩人を演じてきたペテン師の僕のために、彼女の人生を縛りつけるのが正しいとは、僕には思えなかった。
僕は一言一言、考えながら彼女への返信を書いた。
送信ボタンを押してすぐに、彼女から返信がきた。
彼女のそれまでの返信を何度か読み返した後、僕は退会の手続をしてアカウントを削除した。
***
数日後、僕は知事から戦略会議に呼ばれた。今回の知事選で最後となる演説会のスピーチの内容を検討するためだ。
僕は居並ぶ知事と政策秘書たちに現在の情勢について分析結果をプレゼンするとともに、これまでの選挙戦を総括した。
スキャンダルで劣勢になりかけた選挙戦はその後に僕が立案した対策のおかげで幾分持ち直していた。とはいえ楽観視できる状況にはない。僕の見立てでは完全に五分五分。それだけに最後の演説会は重要だった。
演説は全国にテレビ放映される。その後は投開票が終わるまで有権者にマスメディアを通じて訴えかける方法は残されていない。
僕の分析結果を聞いて、知事と政策秘書たちは演説の内容について議論を始めた。論点は大きく2つ。選挙戦序盤に打ち出した経済優先の姿勢を維持するか、それとも軌道修正するのか。そして、スキャンダルについての釈明を演説に盛り込むべきか否か。
議論百出。様々な意見が出ては消えた。どれも決め手に欠ける。そうなるであろうことを予想していたので、僕はあえて積極的な発言を控えていた。
議論が煮詰まってきて、知事は僕のほうに水を向けた。その顔には連日の選挙戦の疲労が色濃くにじんでいた。
「それで、君はどう思う? 政治コンサルタントとしてのプロの意見を聞きたい」
出口の見えない議論に疲れ果てた様子の政策秘書たちも、救いを求めるような目で僕を見つめた。
「そうですね・・・」
僕は手許の資料に目を落としてからゆっくりと話し始めた。
「まず、知事が気にしておられるスキャンダルについてですが、演説の冒頭で短く謝罪しましょう。ただし、経緯について細かく説明する必要はありません。あくまでも選挙という大事な政治的局面で混乱を招いてしまったという一点についてのみ、謝るべきです。先に演説する予定の対立候補はおそらくスキャンダルの糾弾のために相当な時間を使うはず。ここはあっさり謝罪して次の論点に移ることで、かえって相手のほうが些末な問題ばかり取り上げているような印象を与えることができます」
「なるほど。あくまで政策重視の姿勢を出すわけだな」
「おっしゃる通りです。それから経済政策に対する姿勢ですが、これは基本的に変えないほうがよいでしょう。ただ、対立候補が強く追及してきている財政削減策については小幅の修正をすることで柔軟性を印象付けるべきです」
「相手が特に攻撃してきているのは公立病院の人員削減だな。これは削減人員を地域別に微調整することで対応しよう。奨学金についてはどうだ?」
「奨学金」という言葉を聞いて一瞬、頭の中に彼女のことが浮かんだ。が、すぐにそれを振り払って僕は答えた。
「奨学金の削減策については変えるべきではありません。世論調査の結果やSNSの動向を見ても、知事が打ち出した奨学金に対する姿勢は支持されています。相手方陣営はかなりここを攻撃してきていますが、こちらの方針を変えると弱腰ととらえられてかえってマイナスです」
「わかった。そうしよう。自分としても思い入れのある政策だが、今は選挙で勝つことが優先だ。では、早速その方針でスピーチライターに原稿を作らせよう」
知事はそう言って頷くと、かたわらにいた秘書に目配せをしてスピーチライターを手配させようとした。結論は出た。方針は決まった。
「一つ・・・」
終わったはずの会議の席で僕は再び口を開いた。知事たちの視線がこちらに集まる。
僕は手許の資料のページを閉じて、彼らに向かって話し始めた。いつもと同じように、完璧に誠実で、全てを知っているかのように自信に満ちた、あのペテン師の口調で。
「一つ、スピーチに関して提案があります。新鮮なイメージを打ち出してくる対立候補に対して、こちらも感情に訴えかける方法で対抗するのです。これは知事のお堅いイメージを崩して若年層の支持を広げることにもつながります。その方法というのは・・・」
***
数日後の投開票の結果、およそ200票の超僅差で知事は対立候補に敗れた。
選挙戦最後の演説会で知事が行った演説は、政治コンサルティングの業界では、僕の約10年間のキャリアの中で唯一の明白な失策と評されることになった。たぶん、あと数年はコンサルタントの間で僕のこの失敗に関するジョークが語り継がれることになるだろう。
スキャンダルの追及をさらりとかわし、経済政策について堅実さと柔軟性を示した知事の演説は見事だった。100点満点中90点の出来だったと言っていいだろう。ただし、演説の最後で知事が突然、無名の詩人が書いた詩の朗読を始めるまでは。
知事は演説の最後、約5分の時間を使って詩を朗読した。その詩は、それを聴いた聴衆も、演説会を報道するマスコミの記者たちも、誰も知らない詩だった。
熱心な政治記者の一人がインターネットで詩の文面を検索して、それが「Sunday Poets」という素人文芸サイトに投稿された詩だということを突き止め、それを記事にした。
ストレンジラブという妙なハンドルネームの、フォロワー数が100にも満たない文字通り無名の詩人が書いた「窓辺」という詩を、なぜ知事が熾烈な選挙戦の最終盤、最も大事な演説会の最後に選んだのか。政治評論家たちも文芸評論家たちも、誰も説明することはできなかった。
質問された知事自身がその理由を答えられなかったくらいだから当然だ。「政治コンサルタントに朗読しろと言われた」とはさすがに答えられない。
この失敗の結果、僕のほうも知事本人ほどではないにせよ代償を払うことになった。数ヵ月をかけてコンサルティングを行った知事が再選できなかったことでせっかくの高額の報酬をもらい損ねた。
選挙後、あの第一政策秘書から「今後君にコンサルティングを依頼することはないだろう」と申し渡された。彼は自分のボスが選挙で負けたのに、そのときばかりは鬼の首を取ったように嬉しそうな様子だった。
まあ、これは仕方がない。結果を問われるコンサルティングの世界で結果を出せなかった者に二度目のチャンスを与えるお人好しのほうが少ないから。
それでも、途中手痛いスキャンダルがありながら僅差まで持ち直した僕の手腕を認めてくれる顧客はいるので政治コンサルタントは続けられている。
そうそう、当の知事はというと、選挙では負けたものの、演説の最後を詩の朗読でしめくくったことは、実はひそかに気に入ったようだった。もしかすると隠れ文学ファンだったのかもしれない。
彼はその後、国政選挙にも出馬したが演説で必ず詩を朗読すると決めたようで、そのパフォーマンスで一部にかなり熱狂的な支持者も獲得することになった。結局、当選はできなかったが、この前は文芸誌に寄稿して特集も組まれていた。
世の中、何が起こるかわからない。
***
そして、彼女。ストレンジラブという名前の詩人と、僕はあれ以来一度も連絡をとっていない。
でも彼女の詩が脚光を浴びるようになったことはネット・ニュースなどで情報収集している僕の耳にも入ってきた。あの知事が演説で彼女の「窓辺」を朗読したシーンは動画投稿サイトに転載されて何十万回も再生された。
作品が多くの人の目に触れると、その美点や素晴らしさを「発見」する人も出てくる。「Sunday Poets」に投稿された彼女の詩には今や1,000件近い肯定的なコメントがついている。退会したときに全て消えてしまったけど、僕しかコメントをつけていなかった時期があったなんて嘘みたいだ。
この春には詩集の出版も予定されているらしい。まだ例の知事選の記憶と話題性が残っている時期だから、その詩集はかなり売れるだろう。文学の良し悪しはわからないけど、売れるかどうかは僕にも分析することができる。
ただ、詩というやつはかなり読者を選ぶ表現形態だ。だから、彼女が出版する詩集にはもっと読みやすくて、わかりやすいもの、たとえば短めのエッセイや短編小説なんかもいくつか収録されるといいと思う。それで固定の読者を獲得して2冊目、3冊目を出すんだ。
もちろん出版は僕の専門外だけど、政治も文学もこのあたりは同じだ。まずは読んでもらわないとその良さがわからない。そう、コショウを食べてもらうには料理に振りかけなきゃ。
だから僕は彼女が一冊目の詩集を出すときは腕の良い出版コンサルタントに相談してくれたらと思っている。
願わくば、彼女の素晴らしい作品が大勢の人の目にとまりますように。
これは嘘じゃないよ。僕は彼女の幸せを祈っている。
END
良い子の歌(空色チューリップ)