私の生い立ち⑤
それから私は市立の小学校、中学校、県立の高校へ何不自由なく行かせてもらいました。
祖母は学校を休むことに厳しくどんなに具合が悪くても絶対登校させる人でした。結局登校して具合が悪くなり麻疹だったということも。
私は勉強に関しては正直あまり出来る方ではありませんでした。運動は球技は好きでしたがその他はまるで駄目。小学校のかけっこはいつもビリでした。唯一音楽と図工だけは大好きで出来る方だったと思います。
ピアノ、役に立ってますね。
中学校ではなるべく楽な部活に入りたいという思いから運動部は卓球部を選択。あと文化部ではブラスバンド、放送部とアクティブに頑張ってました
余談ですが部活は上下関係が厳しく1、2年生でブラジャーをつけると先輩から呼び出しをされ説教を受けるという謎のルールがあったのを思い出しました(笑)
初恋もして私の中学校ライフはとても楽しかった記憶があります。
高校は当時その地域では難易度としては2番目の県立高校。実は補欠入学です
高校では何もやる気がない帰宅部でした。
友達も何となくグループ的に女子の輪の中には入っていたのですが、この時期に私は集団が苦手なことに気付き始めます
これと言って目立つこともなくパッとしない高校ライフでした
そんなこんなで私は高校を卒業する18歳までこの家で育ててもらったのですが突然祖母が思春期真っ只中の私にこれからはこの家を出て母親と一緒に住みなさいと訳の分からないことを言い始めたのです。
ここからが私の破天荒人生の始まりです
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