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私の生い立ち④


私は月に一度家に帰ってくる母を楽しみに待ち、帰ってきた日にはボール遊びや公園に行ったりと遊んでくれたのを覚えています

ただ前にもお話した通り母は気分の浮き沈みが激しい性格。帰ってきた日は祖母と大喧嘩をしていたことも多々あり嫌な思いをした記憶もあります。 

極度の人見知りだった私は年長の歳で保育園に預けられました。

家の生活に慣れていた私は祖母が運転する自転車の後ろに乗せられ保育園に初登園した日に友達の輪に入れずトイレで一人泣いていたのを今でも覚えています(笑)

まあそのうちお友達も出来、無事卒園出来ることが出来たんですけどね。


この頃から祖母は私の可能性を探し始めピアノ、そろばん、習字など習い事を私の許可なく始めさせるのです(笑)

私は何の意思決定もなくただ祖母が敷いたレールの上を素直に乗って行きました

そろばんと習字は習いに行っていたのですがピアノは祖母が買ってくれ家に先生が来てくれるという何ともお嬢様的な扱いをされていました

でも習い事をさせてもらったお陰で向き不向きがわかった訳ですけから感謝ですね

どれも中学生の頃まで続けたんですけど結局どれも花咲かず

字だけは褒めてもらえることも多いので習字だけは役に立ったかもしれません。
因みに書道は二段の腕前です


祖母が良く「ピアノだけは何も役に立たなかった」と愚痴を言っていたのを覚えています


お金いっぱいかけてくれたのにごめんね、ばあちゃん。

続く

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