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仕事って何だろう?

仕事って何でしょうね?そんなの決まってるって人、きっと仕事が上手く行っているのでしょうね。努力して結果が出ているのでしょうね。

私は正直仕事がよく分かりません。先日書いた記事を読んでもらえると分かるとおり、失敗しか経験していないからです。

今日はそんな私が仕事について考えていることをまとめてみます。宜しければお付き合い下さい。


仕事とは

広辞苑を引くとこのように書かれています。

①する事。しなくてはならない事。特に、職業・業務を指す。

広辞苑

しなくてはならない、というのは、大半の人が働いて生活の糧を得る必要があるからする事という意味でしょうか。職業や業務を指すとある通り、それ以上深い説明はなくとも、おおかたの人は仕事について理解をしているものと思われます。

ライフワーク

一方で最近では、多様な働き方が出来る環境が整いつつあるからか、「ライフワーク」という言葉もよく聞くようになりました。やはり広辞苑を引くとこのように出てきます。

一生をかけてする仕事や事業。畢生(ひっせい)の仕事。
※畢生・・・命が終わるまでの間。一生涯。終生。

広辞苑

「仕事」と「ライフワーク」の違いは一目瞭然です。ライフワークというのは自らの一生を捧げる仕事であり、「仕事」とは、しなければならないけれど、一生と長いスパンではなくても「仕事」と呼べるものと定義することが出来ます。

天職

またライフワークと同異義語的に捉えられている言葉として「天職」があります。こちらも同様に広辞苑を引くとこのように出てきます。

②その人の天性に最もあった職業。
※天性・・・天から受けた性質。うまれつき備わっている性質。

広辞苑

どちらかというと、一生を捧げる能動的なイメージのライフワークよりも、受け取った天分を生かして行う仕事というイメージでしょうか。

これらの仕事にまつわる定義は今はネットでごろごろ転がっているので、もし興味があったら調べてみるといいかもしれません。

以上がざっと違いを調べて出てきましたが、きちんと言葉の定義を捉え直すことで、今自分がどのステージで悩んでるか分かります。

例えば私の場合、文字通り最初の生きていく糧を得る「仕事」で悩んでます。ライフワークや天職まで行きつく前に、今を生きるためにする仕事でずいぶん悩みました。

そこで、アプローチを変えて、自分が好きだと思える仕事を探していこうと考えるようになりました。天職から探していこうと逆の発想でいくことに決めました。

そうなると今度はその見つけ方です。どうしたら「好き」を仕事に出来るのか?で今度は悩みます。そもそも自分の好きが仕事になるのかどうかとか考えてしまいます。

天職の見つけ方

私の考えを結論として先に述べますと、天職の見つけ方には、人それぞれの過程がある、ということです。これという決まった見つけ方はないと思ってます。なぜなら性格も価値観もこれまで歩んできた歴史も環境も全然違うからです。千差万別だと考えてます。

また仕事に関する価値観も人それぞれです。何もライフワークとか天職とか大きな事ではなく、日々生活出来て周囲の人と幸せに生きていければ、それでいいという人だっています。それはそれでアリだと思います。

得意なことを仕事にすればいいのか?

じゃあどうすればいいの?という話ですが、よく言われるのは、自分の強みや弱みを理解して、強みの部分で勝負していけばいいということです。強みや弱みってマーケティングの分野では当たり前に行われている手法ですが、自己分析でもやっている人はいるのかな?

強みがない人は人から褒められたことや感謝されたことを思い出して、そこを自分のストロングポイントだと考えればいいということも言われたりしますが、私ははっきり言ってその手法には懐疑的です。

というのも、私の例を述べますと、20代は接客業をしていたので、接客を褒められることがあります。ということは、他人と比較して私は接客が上手いのかというと、実はそうではありません。私は、オーバーアダプテーション、つまり過剰適応により接客をしていたので、常に相手の顔色を窺い、機嫌を窺い、前もって前もって準備し、少しでも嫌な顔をされると謝っていたので、私自身は接客のスキルがあるというよりも、この自己犠牲的な過剰適応で逆に苦しんでいたわけです。ですので、特段才能があるわけでもなければ、得意どころかむしろそこまでしてやらなければならないものだったのです。

もう一つ私の例を挙げると、私は30代以降は事務職をしていたのですが、よくパソコンが得意ですよね?何かしていたのですか?と言われることが度々ありました。文字通り受け取ると私はパソコンに長けた人物かと思われるかもしれませんが、これはからくりがあって、この発言をしてきた人の背景を考えれば当然でした。今までパソコンを使っていない仕事をしてきて、パソコンを使うようになったので、いつも使っている私がパソコンに長けているように見えただけなのです。なるほど、私はパソコンに親和性があるのかなと思ったとしても、じゃあSEになるとかAI開発者になろうとは思わないです。

ということで、人から褒められたことを仕事にするというのは、私は懐疑的です。また、人に喜ばれることを仕事にするというのも私は違っていて、人に喜ばれるのはむしろ結果であって、それを目的にはしたくないというのが本音ではあります。それが達成されなかったら、悲しいじゃないですか。

仕事はもちろん肩書とは違う

私は以前勘違いをしていて、肩書=仕事≒天職だと思っていました。エグゼクティブプロデューサーとか、なんかカッコよさそうな肩書がついていると、それがその人のアイディンティティと勘違いしてました。

でも、肩書は単なる肩書です。その人のすべてではないです。(そういう人がいるのは勿論認めます)

例えば、私が今では二度としたくないと思っている事務の仕事だって、それが本当に天分の人の仕事ぶりをみると、事務なのに、ほとんど芸術だと思ったりしますし、むしろ芸術家を気取っている人が単なる商売人だなと感じることもあったりします。(商売人を卑下しているわけではありません)

だから、肩書を目指すとむしろ私の場合は駄目だなと思ってます。

やはり軸は自分の中にある

ここまで読まれてきた方のなかには、んで、結局何が言いたいのか?と聞きたくなるかもしれません。

私の結論としては、やはり自分の中からしか回答は出てこないということ。「仕事」にしても「ライフワーク」にしても「天職」にしても、他人から与えられるものではないと考えています。

私は、今も仕事で苦しんでおり、自分なりの答えを見つけている最中です。私の意見に異論がある方もいると思いますが、まだこれから私は自分の道を見つけていく途中ですので、見守っていただけるとありがたいです。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。拙い文章ですが、何かしら参考になったり役に立てていれば幸いです。

これからも仕事について書きます。どうぞ宜しくお願い致します。





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