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悟りと、解脱と、目覚めの関係性(スピリチュアル)

悟りと言うと、いろんな観点やレベルでの、悟りは多々あって、それぞれの人には正しいと思われますが、

真の悟りとは、「解脱。」が出来ていなければ、本当の悟りとは言えません。


解脱とは、

解脱 = 明け渡し = 目覚め です。


表現が、たくさんあるので、ブログを書くのにも、多くの言葉が必要になってしまいます。

解脱を行うのも、明け渡し行うのも、目覚めることも、みな同じことです。


解脱 = 現世の苦悩から解き放されて、自由の境地に達すること。

明け渡し = 私(エゴ・思考)の握っていたハンドルを、真我・ハイヤーセルフ・魂に明け渡すこと。

目覚め = 3次元の物質社会で起きている夢の世界(エゴ・思考)から、本来の魂(ハイヤーセルフ)が目覚めて、宇宙の創造主(源)の世界にはいること。


「明け渡し。」と「目覚め。」は、行為です。

明け渡し 目覚め が起きて完成したならば、解脱の境地になります。


こうして解脱と言うことを考えると、明け渡しとか目覚めとか、ずっと昔の方もやられてたわけですね。

「目覚め。」と言う言葉だけ、最近はブームになっていますが。


最終的には、解脱することが着地点と言うことです。

着地点が、解脱ならば、悟りとは解脱しないと生まれないと言うことです。


解脱が確立していない段階で、「悟った。」と言っても、それは最終では無くて、真の悟りでは無いと言うことです。

「悟ること、毎回いとまなし。」と自慢される方を、お見受けする時がありましたが、


真の悟りとは、解脱が完全に確立することだけです。

また、解脱が確立されていないならば、「明け渡し。」も「目覚め。」も起きていないと言うことなのです。


現実創造と解脱は、全然違うところにある

現実創造を自在にこなせる様になって、財産も地位も得て、お金の苦悩から開放されて自由になった人が、

「私は、解脱して悟った。」と言われるときがあります。


解脱 = 現世の苦悩から解き放されて、自由の境地に達すること。

なので、境地的には、とても似ています。


そう言う方が、悟ったと勘違いしても、確かにその方から見れば、自由人なので、そう見えます。

ただね。これは条件付きの自由人なのです。


仮にですが、また財産や地位を失って、お金の苦悩が出るシチュエーションになった時に、その人は、現世の苦悩から解き放たれて、自由の境地でいられるでしょうか?

財産や地位を得たことによって、自由を得たわけで、そうなれば、その財産や地位が奪われることが起きた時は、恐怖以外の何物でもない訳です。


なので、財産や地位を得て自由人になった人たちは、既得権益を守るために、なんでもするようになります。

自分の描いてきたシナリオで、安泰の収入のある人は、そんな心配をしないで済む人もいますが。


お金持ちになるのが悪いと言っている訳ではないのです。

お金があろうが、無かろうが、大金持ちであっても、貧乏人であっても、


現世の苦悩から解き放されて、自由の境地であることが大事なのです。

だいたい見ていると、現在、大富豪で自由人でも、「お金を維持するために、現実創造をやり続けないと維持できない。」


お金を維持するための努力は、死ぬまでやり続けなければならない。

これって、現生の苦悩から解き放された、自由だ、と言えないではないですか?


または、政府が滅ぶとか、なんかあった時に全財産が0円になっても、平気で、「幸せだな。」と笑顔でいられますか?


全財産がパーになって0円になっても、「何も問題はないよ。乞食になっても楽しいかも。」とか平然と言えるのならば、その方は、大富豪であっても解脱しています。


解脱してたら、現実創造しようとか思わない

本当に解脱が確立できたなら、現実創造して思い通りに生きようとか、興味が無くなります。

なぜならば、解脱するためには、明け渡し・目覚めが起こらないと、真の解脱には至りません。


エゴ(思考)が、人生のハンドル握っている限り、この3次元世界の夢の中で、生きている訳です。

夢の中で生きている限り、現世の苦悩から開放されることはありません。


明け渡し・目覚めによって、眠って見ていた夢から、目覚めて起き上がるから、現世の苦悩から開放されて、魂が自由になるのです。

魂(ハイヤーセルフ)が自由に顕現して生きるようになるので、現実がどのようなものであれ、幸せでしかなく、心は常に自由なのです。


エゴ(思考)とは、現世で苦悩を体験するために、魂(ハイヤーセルフ)が創ったものです。

なので、エゴ(思考)で生きている限りは、絶対に現世で苦悩は無くなることは無いのです。


現世の苦悩を無くすには、現実創造では無くて、明け渡し・目覚めを起こす他はありません。

明け渡し・目覚めが完了すれば、現実創造とかしなくても、常に幸せでしかなくて、常に平穏・リラックス・冷静でいられます。


なぜならば、目で見ているものに実体を感じなくなって、自分の中の魂(ハイヤーセルフ)の宇宙の創造主(源)にアクセスして、

ただ感じるだけで、幸福しか感じないからです。


そうなったら、努力して現実創造とかしなくても、幸せでしかないからです。

現実創造したいと思うのは、今現在の自分が幸せを感じてないからです。


仏陀もキリストも現実創造とかやってないよ

歴史的に有名な、解脱していたと思う人に、仏陀とキリストがいますが、

彼らは、現実創造とかして、思い通りに人生を描いて物質を得ていた。と言う話は聞いたことがありません。


だからと言って禁欲主義者では、無いと思うのですが。

悟りとか解脱のために、禁欲するって逆効果です。


以前仏教をかじっている人で、性欲が抑えられなくて困っているという方がいました。

無理にやりたいのを抑えてやらないで死んだら、来世にやるようです。


すべてにおいて、これをやりたいと言う強い欲求があるならば、それをやらないで我慢したら、来世に持ち越されるので、我慢したらダメなんです。

この地球には、やりたいことをやるために生まれてくるので、やりたいことを全部やることも悟りの一環です。


早く悟って解脱したいのならば、心底から湧き上がる欲求を抑えてはいけません。

全部やってあげましょう。


すべて満足すれば、その方が早く悟りや解脱に向かいます。

例えば、SEX依存症で、何回やっても欲求が収まらないとか言う方は、今世で悟りや解脱に向かう方ではないかもしれないので、そのまま好きなように生きれば良いだけです。


悟り、解脱、明け渡し、目覚め このいずれも、私と言っているエゴ(思考)が、決めることではありません。

自分の魂(ハイヤーセルフ)が、いつどこのタイミングでと、すでにシナリオを書いてきているので、そのタイミングしか起こりません。


なので、焦ってもどうしようもないのです。

平然と、淡々と、自分の魂(ハイヤーセルフ)に任せておけば良いのです。


仏陀もキリストもやったのは、すべて自分の魂(ハイヤーセルフ)に任せて、そのシナリオに沿っただけです。

キリストもすでに夢から覚めていたので、夢の世界で磔になっても、平然と十字架を担いで歩けたのです。


夢の世界にどっぷりと浸かっていたら、とても出来ることではありません。

現実創造は、「夢を実現させる。」とも言います。


まさに夢を見ている訳で、眠っていないと夢は見れません。

解脱とは、夢から覚めることで、解放される訳ですので、解放されたいならば、目覚めないとならないのです。


この地球でやる最終段階が、明け渡し・目覚めによる解脱と言うことです。


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