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自分で決めてることなんて、本当は無いんだよ(真の非二元論)

今は、非二元論(ノンデュアリティ)の話がたくさん出て来ていますが、

その割には、「自分の選択に責任を持て。」とか、有名先生でもおっしゃっています。


自分の選択に責任を持った時点で分離が起こり、二元の世界が完成するのです。

非二元論(ノンデュアリティ)の世界に本当に入りたいなら、自分の選択の責任は一切持たないことです。


なぜなら本当は、自分で決めていることなど、一つも無いからです。

こう言うと、かなり反発が出ることは予想できますが、そろそろ本当のことを、書くやつ出てもいいかと思って、書いていきます。


「すべては一つ。」なので、選択できる人も一人だけです

非二元論(ノンデュアリティ)、分離では無い、一つの世界。

ここに、各々の選択肢、各々の責任があるのなら、一つの世界では無くて、分離の世界です。


「分離はやめて、一つになりましょう。」と言いながら、「幸せになるなら、自分の行動や選択に責任を持て。」とは真逆な行為なんです。

この世界の意思決定は、一つでしか無いから「すべては一つ。」が成り立つのです。


「神との対話。」という本で、創造主が「自分で創造して世界を創りなさい。」と言っているのは、

これは、「魂(ハイヤーセルフ・真我)」のことなんです。


エゴ(思考)が勝手に創造して世界を創れる訳じゃ無いんですよ。

そして、魂(ハイヤーセルフ・真我)も、大本の宇宙の源が管理しているんです。


なぜなら、魂(ハイヤーセルフ・真我)って、宇宙の源そのもので、分離している訳でないからです。

すべてが、宇宙の源で出来ていて、すべてが宇宙の源なので、最終的には、宇宙の源の意思決定の通りに動いています。


昔の本当に深いところをキャッチできる方は言うのです。

「神の思し召しのままに。」と。


それは、なんでかと云えば、

この世界は、なんで創られたの?なんで魂(ハイヤーセルフ・真我)が存在するの?


って考えれば、簡単にわかると思います。

この世界は、たった一人の「宇宙の源。」と言う意思が、「自分とは何か?」「自分以外とはなにか?」を知るために創ったのです。


たった一人じゃわかんないものね。

そこで分魂を分けて作って、分離に似せた形を創ったのです。


魂は、源と分離してはいなくて、分離のように見えるだけなので、

各々の魂が、自分のシナリオを決めるにも、宇宙の源と相談しながらでしか決められないのです。


会社のトップダウンのように、宇宙の源から降りて来たものを、魂がシナリオにして、エゴ(思考)が役者として、この地球で役を演じるのです。

私とか、自分って言っている意識には、なんの決定権も選択権も無く、台本通りに生きているだけです。


魂(ハイヤーセルフ)が書いた、シナリオ以外のことはできません。

魂(ハイヤーセルフ)=宇宙の源ですので、

魂の書いたシナリオは、宇宙の源の意思であり、すべての魂のシナリオは、すべて、宇宙の源の意思なのです。


今までの人生を振り返って見ても、

「こうするしか無かった。」「あの時は、その判断しか思いつかなかった。」「なんであの時、そうしたかわからない。」


とか、自分では無い何かに動かされて行動していることが多々あるはずです。

何かを選択する時も、3つくらいの選択肢しか思い浮かばないでしょう。


これが、50個くらいの選択肢のメニューが浮かんできて、その中から選べると言うのであれば、話は変わりますが、

誰も、人生の選択で、頭に浮かぶのは3つくらいの選択肢だけです。


あとは、「もっと早く知っていれば。」「このタイミングで無ければ出来た。」とか

タイミングが合わない。


これも選択肢が、最初から無かった。シナリオでは無かったと言うことです。

どんなに現実創造や引き寄せをやっても、シナリオ以外のことはできないのです。


また、シナリオでやらなくてはならないことは、絶対に起こるしやらされるので、

自分のしてしまった行動に、「後悔。」とか「罪悪感。」を感じる必要はありません。


この人生の出来事や行動は、すべてはシナリオ通りの約束事でしか無いのです。

自分で決めてやってることなんて、最初から一つも無いのです。


こう言うと、ネガティブとか捉えて、ガッカリする人もいるとは思いますが、

この世界は、その程度なので、本気で苦しんだり悩んだりする必要も無く、お気楽に、眺めていればいいのです。


この世界を楽しむには、気楽に観察してるだけでいいんだよ

もともと苦しみを体験するために、存在する地球の世界ですから、

苦しみたいなら、本気で地球を生きればいいです。


しかし、「もう苦しみはいいや。」と思う方は、


「すべてはシナリオ通りで、最初から問題は無かった。」

「すべては完璧に起きただけだ。」

「すべて魂=源の意思決定通りに動いただけで、自分にはなんの責任も無い。」


とすべてを受け入れて、すべて魂=宇宙の源に、身を委ねればいいのです。

そうなれば、すべての重荷は外されて、過去生もカルマも罪悪感も、すべて手放して、心から軽やかになるでしょう。


自分の魂のシナリオを信じ切れれば、「不安・恐れ・恐怖。」も手放せるでしょう。


宗教で言う、「罪。」とか「カルマ。」とかは存在しません。

あるのは、自分で「罪。」や「カルマ。」をしょい込むから、それが存在します。


地獄もそうです。

「地獄が存在する。」と信じている人には、地獄が現れます。


死んだら、一瞬で思いが叶う世界に行くので、自分が思った通りに、カルマでも罪でも地獄でも瞬間に創造できます。

でもね、死んだら帰る宇宙には、もともとは「愛と幸せ。」しかないんですよ。


「自分で決めていることは何も無かった。」と言う現実を聞いて、心が軽くなって、気楽に生きれる人もいれば、

あるいは、ガッカリして希望が無くなる人もいるかもしれない。


これを聞いて希望が無くなるのであれば、非二元論(ノンデュアリティ)の世界に入ることより、地球での分離の世界を楽しんだ方がいいですね。

良い悪いは無いので、好きな方を選んだらいいですよ。


その選択ですら、自分で決めてるわけじゃないんだけどねw


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