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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第二部 ①


第二部

一、

 住宅地の直中をすり抜け続けた先に、唐突に現れる駅のホーム。
 それを俯瞰してたとしたら、まるで道端に置き忘れられた小箱のように思える。
 ──道端の小箱?何なんだそれは怪しすぎるだろ、絶対。
 西武新宿線・新井薬師駅の改札を出た綿曽根博士わたそねひろしは、自分がまた『どうでもいいこと』を考えていたのに気が付いて内心で苦笑した。べつに今に始まったことではない。綿曽根の頭の中には、気を抜いた途端にいつもこんな愚にもつかない事どもが浮かんでは消えていくのだった。
 職場でもそうだった。
 綿曽根が勤めている楽器店のカウンター越しに、例えば使い古されたフォークギターを売りに来た若い女性を接客したとする。その女性客を一目見るや、彼の頭の中には途端に目眩く空想の領域が広がっていく。
 ──この年代物のギターはきっとこの子の父親のもので、最近亡くなったんだろうな、その親父さん。まだそんな歳じゃなかっただろうよ可哀想に。それで母親から「このギターが置いてあるとパパのこと思い出しちゃうから売ってきて」なんて言われて、当のこの子はいつかこのギターを弾いてみたいと思っていたから今も実は売ろうかどうしようか迷っていて・・・。いや待てよ、もしくは同棲しているホスト崩れの野郎(借金持ち)がいよいよ生活に詰まって「お前のそのギター売ってこいよ。どうせ夢なんて叶いっこねェんだからくだらねぇ歌なんてやめちまえ!金がねぇと今月も取り立てがきて」以下省略──。
 そうしてぼうっと呆けていると「すみません」と、そんな妄想を抱かれているとつゆとも知らない本人から声をかけられてハッと我に返ることもしばしばだった。
 前はこんな人間じゃなかったと、綿曽根はしみじみ思う。
 何かが気になる。気になってしまう。その表面に隠された、そいつにとっての大事な何かを。
 きっと三年前のあの日から、自分はそんな人間に変わってしまった。
 梅雨が明けたばかりの七月の晴天の下、汗をじわりとかきながら歩く。身長はそれなりにあるのだけれど猫背だからちんまりと小さく見られてしまう。年齢は三十六。『良い歳して彼女の一人もいないなんて』とこぼす実家の母親の溜息と共に、つい先日参加した職場の飲み会で少し意識していたアルバイトの女の子に彼氏がいたことまでもが思い出され、綿曽根は無意識により一層背中を丸めた。
 それにしても暑い。静けさの中でこの暑さだけが浮いている。
 電信柱の上で鳩が鳴く。東京都下であっても、平日のベッドタウンはこうも静かで穏やかなのか。そんな平和な街の一角に、目指す一軒はあった。
 ──気になっちまったんだから、仕方ないだろ。
 妄想や空想だけでは収まりきらなくなってしまったから、綿曽根はこうして何の変哲もない住宅街まで電車を乗り継ぎ出張ってきた。
 アイツに会って、どうしようもなく不可解なあの話を聞いてもらうために。
 駅から十数分も歩けば、やがて見えてくる小さな家。綿曽根はフゥと小さく息を吐いた。
 
 その家は『黒の家』と呼ばれていた。といってもむしろ主人の口からしか聞いたことがなかったのだが。酷く現実離れしてはいるが、その家には使用人がひとりいる。その使用人からも聞いたことがないし綿曽根だって「あの家」などと平凡な呼称しかしないから、主人はそれが気に入らないと良くむくれている。妙なこだわりがあるらしいが、綿曽根はいまだに理解が及んでいない。もっとも最初からアイツを理解する気などなかったのだが。妙な主人からは幾千万光年もの隔たりを会うたびに感じていた。
 外壁が呼び名の通り漆黒の平屋。一部のアクセントに茶色の木目調が縦に一本入っている。右に片流れになっている屋根までもが黒い。平屋だけれど屋根が高いのは、リビングの天井が高くなっているせいだ。二階建ての高さにも相当する軒下には丸窓があって、七色に輝くステンドグラスが嵌め込まれていた。
 主人は虹の細やかな色の違いが分からないのにも関わらず、どうしてあそこにステンドグラスをはめ込んだのか。この家にまつわる謎の一つだった。

 威圧的で拒絶的な、おおよそ客人を出迎えるには相応しくない真っ黒な玄関扉を目前にして、右の壁にあるインターフォンを押した。オーソドックスな『ピンポン』ではなく『リンリンリン』と鈴の音のようなチャイムが鳴るのも変わっているし、それに慣れない。そう思い苦笑していると、
『はぁ~い、どなた様でしょう~?あらあらぁ~』
と、とてつもなく間延びした女性の声が聞こえてきた。
「あ、はい、綿曽根です。アイツ、います?」
 うふふふぅ~と声質は落ち着いたやや低めなトーンなのに何とも子供じみた雰囲気を漂わせて彼女は言った。
『もちろんですよぉ~。咲良様はどこにもいきませんよぉ~』
 深いのか浅いのかよく分からない返答に、主人も主人なら使用人も使用人だと改めて認識したところでガチャリと鍵が空いて、その隙間から華やかな笑顔がのぞいた。一瞬ドキッと心臓が高鳴って顔面も火照る。ウブな男などでは決してなくそれなりに異性というものも知ってきたつもりの綿曽根でも、この笑顔を前にするとドギマギとしてペースが乱れる。まるでスクリーンかテレビ画面の中でしかお目にかかれない部類の笑顔だ。完璧で、一つの乱れもないスマイル。演技。そうなのか?これもやはり演技なのだろうか。綿曽根の頭はしばし沸騰する。
「いらっしゃいませ~、ハカセさん」
「ひろしです」
 彼女の頭の上にちょこんとのった、ひだひだの白いアレ(なんと呼称する物なのか綿曽根は知らない)、この家の外壁と同じく黒色の半袖ワンピースに頭のアレ同様ひだひだに囲まれたシミひとつない純白のエプロン。
 全ての典型を取り揃えたメイドが、綿曽根のことを出迎えてくれていた。


 他の誰かが彼女と同じ口調や仕草をしたらそれこそ噴飯ものだろうけれど、彼女であれば全てが許されてしまうような不思議な魅力、しかも相当なパワーを持った魅力をそのメイドは全身から常時放っていた。
「ち、近いです、リンさん」
 メイドは扉を開けてからグイッと綿曽根から二、三十センチの距離まで近付いていた。以前二十五歳と自らで開陳していたから綿曽根よりも一回りも若いメイドに敬語を使いながらドギマギとする。もう芯から骨抜きにされてしまっていた。
「あらぁごめんなさい~。最近目がどんどん悪くなってきてるんですぅ~」
「あれですか、ゲームのし過ぎ」
「そうですねぇ~。咲良様にお付き合いし過ぎなのでしょうかぁ~」
 目を細めて頬に手を当てる。困ったように眉を八の字にして小首を傾げたメイドに、綿曽根はご馳走様ですと心中で合唱した。
「あららぁ~。いけませんねぇこんなところでお話しなんて~。どうぞお上がりくださいませぇ~」
 そうしてようやく綿曽根は『黒の家』の中に足を踏み入れた。彼にとってはおよそ一年ぶりの訪問だった。

 家の中も漆黒でおどろおどろしく塗り立てられて──という訳ではないのが、この家の第二の謎である。壁紙は至って平凡な白。玄関から入ってすぐの、件の高い天井が特徴的なリビングに渡された剥き出しの梁からは大きなシーリーングファンが下がっていて、今もクルクルと穏やかに回転している。丸窓のステンドグラスから差し込む夏の陽射しが心地よかった。
 内と外ではその印象をガラリと変える。それが『黒の家』最大の特徴だった。改めてそれを綿曽根は口にしてみた。
「うふふふぅ~。だって真っ暗だとオバケ出ちゃいますよぉ~」
 リンと主人から呼ばれているメイドはクルリと振り返ると、口元に微笑みを浮かべてさらりと答えた。嘘か誠か。この家の全てが綿曽根には現実に存在するのかどうか覚束なく思える瞬間があった。リンの言葉を聞いたこの時がまさにそうだった。
 リン。それはいわゆる渾名であって、本名は鹿目鈴香かなめすずかという。鈴だから『リン』なのだと聞いた。もちろん変わり者の主人の意向でそう呼ばれている。この家に住み込みで働いている使用人である。
 使用人を雇って住まわせることができるくらいに、この家の主人は金持ちなのだった。
 リンが今まさにそんな主人の居室のドアをノックしようとしていた。
 刹那──。
 ギャアだかウヒャアだかヒウィゴーだか、全くもって意味を成さない悲鳴か歓声のようなものが、そのドアの内側から漏れ出てきた。
 綿曽根は一年前と一向に変わっていないであろう主人の容姿挙動を頭に浮かべ、またもやフゥと小さく息を吐かざるを得なかった。


(第二話へ続く)

illustrated by:
Kani様

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