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【ホラー】短編小説集・花蓮 第一話『檻のなか』

花蓮──彼女をめぐる人々の想いが交錯するとき、やがて悲しき真実が明かされる。
フリーターの末永は、アルバイト先の後輩の少女・ヒナコをアパートに上げる。密室で交わされる二人の会話はやがてヒナコの秘めた想いに繋がり、それは『彼女』の眠りを覚ます。(『檻のなか』)
連鎖していく“誰か”と“花蓮”の物語は、過去のある一つの出来事へと向かっていく。その真相に辿り着いたとき、その人物に訪れる暗く黒い恐怖とは?
四編の連作短編小説で紡がれる、人間たちと彼らの闇の物語。


 
 狭苦しい六畳のワンルームに、間の抜けたような雀の鳴き声が不意に入り込んできた。それに気が付くと、否応なしに何かがすえたような匂いにも鼻口が反応した。この全身にまとわりついてくるような異臭・・は一体──。

 カーテンの隙間から明けたばかりの弱々しい真冬の陽の光が差し込んできていて、それが瞼に当たっているのが分かる。眩しくて目を閉じたままゆるゆると頭を持ち上げていくと、こめかみが酷く痛んだ。いつにも増して最悪な朝の目覚めの瞬間だった。
 足元でカチン、と小さな音がしてから炬燵こたつのヒーターが切れた。昨夜は炬燵に両足を突っ込んで、上半身はテーブルに伏せた状態で寝入ってしまっていたのだと、寝ぼけた頭で薄ぼんやりと理解した。目の前には五、六本のビールや酎ハイの空き缶が散乱している。さっき漂ってきた匂いの正体はこいつらが発していたのだろうか──?
 一見して分かるほどに、元々下戸の自分にしては明らかに飲み過ぎていた。
 炬燵の上に無造作に置かれた煙草の箱から一本を取り出して口に咥えると、その近くに同じように転がっていた百円ライターで火をつけ、煙を肺いっぱいに吸い込んだ。
 大して美味いとも感じられないその煙に思わず顔をしかめていると、背後でバサリと音がして布団が勢い良く跳ね上げられた。
 ギョッとして振り向けば、ベッドの上で背中を丸め、胡座あぐらをかいて僕のことをにらんでいる制服姿の少女がいた。大胆にはだけられた白いブラウスの胸元の浮き上がった血管に、心音が大きくドクンと高鳴った。それを気取られまいとして、頬をぷっくりと膨らませているその少女から目を逸らした僕は、不自然に大きな咳払いをして誤魔化した。
「身体に悪いんだから、タバコなんてやめなよ」
 と、母親のように小言を口にした少女は、向き合ってきちんと話してみれば先月16歳になったばかりだという。
「人のベッドを勝手に使うな」
「そっちがさっさとコタツで寝ちゃうからでしょ!」
 語尾をわざとらしく伸ばしてから、ベーっと舌を出して理由になっていない理由わけを主張する。少し吊り目がちな大きな瞳、形良く通った鼻筋の下にはぷっくりと肉厚な唇。肩先まで伸ばした黒髪は朝日を浴びて艶々と輝いていた。
 
「ヒナコか、ヒナって呼んでよ!」
 僕が苗字で呼ぶたびに、少女はそう言ってむくれた。余りにも何度も命じられるものだから、仕方なくヒナコと呼んでやることにした。ニコニコと喜ぶ顔があどけなくて眩しかった。ちなみに漢字で書くと『姫奈子』なのだそうだ。
 そのヒナコとはバイト先で知り合った。
 某通販サイトを運営する大企業の倉庫での出荷作業。三十路過ぎのいい歳をした男がフリーターとして働ける場所なんて限られているから、僕もそこで働き始めてからすでに十年近くが経とうとしていた。
 入ってみれば意外と若い女の子も多かった。だからヒナコみたいに学校にも通っていないような未成年者が雇われて入ってくるのも別に珍しいことでもなかった。今年の春、そうして小日向姫奈子もまた幾人の女の子たちの中に混ざって、その薄暗い倉庫で働き始めた。
 かなりコイツ・・・は変わっていた。少なくとも僕にとってはそう思えてならなかった。なぜならコイツは僕みたいなつまらない人間にやたらとちょっかいをかけてきて、愛想を振りまいたのだ。僕の反応なんていつも「ああ」とか「まぁな」の二通りしかなかったにも関わらず、何がそんなに面白いのか人の顔を見てはケラケラとよく笑った。
 そんな少女の気持ちが理解できなくて、正直僕は怖かった。それは今でも変わらない。
末永すえながくんさ、今日終わったらあいてる?ちょっと聞いてもらいたいことがあるんだけど」
 一方的なコミュニケーションを図られるようになって半年。一度も気安い雰囲気など見せたこともないのに、ヒナコは僕のことをその時初めて"くん"づけで呼んだ上に、返答も待たずに強引にファミレスへと連れ込んだ。それが昨日の夕方のこと。それからもうかれこれ十二時間以上もの間、僕はこの未成年の少女と一緒にいる。
 
「だいたい何でまだいるんだよ」
 ベランダの窓を開けて二本目の煙草に火を付けながら、今はコタツに入ってスマホを弄っているヒナコに向けて苦々しい口調で言ってやった。間髪入れずにジャブが横っ腹に叩き込まれた。
「はぁ?末永くん昨日あたしの話聞いてなかったの?イミわかんない。帰りたくない理由、詳しく話したじゃん!」
 僕の嫌味などそんな逆ギレにあえなくかき消されてしまった。気が付けば僕は、昨夜のヒナコが僕に向かってこぼし続けた少女の独白を、痛むこめかみを片手指で押さえながらゆるゆると思い返していた。

 ──母親が変な宗教にハマったせいでね、あたし高校に行けなくなっちゃったんだ。
 ──あいつ、どこで知り合ったのか知らんけど、キモいオヤジ連れて帰ってくるの。ほとんど毎日。
 ──んで、そいつにベタベタしてて。キモいんだよ、ババアのくせに。
 ──しかも!オヤジがさ、あたしのことジロジロ見てくんの。あーキモすぎて吐きそう!だからさぁ。

「だから、帰りたくない。あんな奴らのいる家になんて」
 ヒナコがそう吐き捨てるように呟いたのは、コタツ布団に半分顔を埋めながら寝転んだこのアパートの一室。ファミレスで嫌と言うほど職場の愚痴を聞かされた僕は、コンビニで酒をしこたま買い込んで、部屋に帰るなり無心でプルタブを上げた。そして当のヒナコはとうとうこの部屋にまで僕の背中にくっ付いて上がり込んでしまったのだ。警戒心も何もあったもんじゃない。
 ふと疑問が浮かぶ。
 なぜヒナコは付いてきたのか。
 そして──。
 どうして僕はこの"訳あり"を拾ってきてしまったのだろう・・・・・・。

「何で僕なんだよ」
 囁くような独り言をヒナコはしっかりと聞いていたようで、「それな」とほとんど被せる様に言い切った。僕の方が面食らって目を丸くしてしまった。
「自分のこと"ボク"って呼ぶところ。それと童顔なところ。優しそうじゃん?末永くん」
 反応に窮して黙り込んでしまった僕の目をジッと見つめて、急に真剣な面持ちになってスマホをテーブルの上に置くヒナコ。
「ねぇ、末永くんのことも教えてよ」
「──僕の、何を?」
 唾が喉に絡んでうまく声が出せない。同時にドクンと心臓が一度高鳴った。
 コタツから出て立ち上がり、そのまま窓際にたたずむ僕の元へと近付いてくる。狭いワンルームだからあっという間にヒナコは僕の目の前に立ち、僕の指から煙草と灰皿を取り上げてそれをテーブルに置いてしまった。それから一度大きく両手を広げたと思うと、おもむろに僕の身体を抱きしめた。シャンプーか香水だろうか、ほのかな甘い香りが鼻口をくすぐった。
 身長がほとんど変わらない二人だ。ヒナコは僕の耳元に唇を寄せると、吐息を吹き付けるようにして、
「末永くんの、全部──」
 とだけ囁いた。また心臓が強く跳ねた。
 
 部屋中に、あの底抜けに明るい笑い声が響き渡った。一体いま何が起こっているのか、その状況について行けていない自分。
「なーんてね。ドキドキした?ドキドキしたでしょ?あたし女優になりたいんだよねー。ね、末永くん、なれるかな?あたし女優に」
 目の前で楽しそうにはしゃぐヒナコを眺めて、なぜだか僕は腹立たしさよりも疎外感を感じていた。この世の中にひとり、自分の心だけがこのアパートの部屋に取り残されてしまったかのような、救いようのない疎外感。
 
 は知っている。この疎外感の生まれた場所を。そこは薄暗く、汚いマンションの一室だ。ほとんど身動きが出来ない障害者の父。ほとんど"モノ"みたいにただそこに横たわり、時折呻き声を上げている。それを慣れた手つきで世話をする母も脚に障害を持っている。『なに見てんだよ役立たず』
 醜い化け物みたいな形相の母らしきモノが俺に罵声を浴びせかける。そうしては押し入れの中に逃げるように隠れた。真っ暗い、まるで檻のようなあの押し入れの中に──。
 それは疎外感の既視感デジャヴ

 
「末永くん?おーい。怒っちゃった?」
 ヒナコが僕の顔の前で手のひらを左右にかざしていた。真冬にも関わらず、額にはうっすらと汗が滲んでいる。僕はヒナコを脇に押し出す様にして歩き出し、力無くベッドに腰を下ろした。そうしてそのまま無心になって虚空を見つめていた。部屋の隅に突っ立っているヒナコの存在を、その間すっかり忘れ去って。

 一体どれくらいの間、僕はそうやって放心していたのだろう。ふと我にかえって気になったものの、時計を見遣る気力もなく小さな溜息を一つ吐いた。
「あ、戻ってきた」
 部屋の隅で唐突に声がしたから、思わずギョッとして目をいて驚いてしまった。
 それまで忘れていたヒナコの存在が急激な速度で像を結ぶ。
「ねぇ末永くん。あたし海に行きたい!」
 あ?
 掠れた声で聞き返した。その途端──。
「やっぱり。末永くんなんで驚くとあそこ見るの・・・・・・?」
 ──あそこ?
 唖然としてヒナコを見返すと、ヒナコは左手の人差し指で対面する部屋の隅を指差した。ゆっくりと視線をそれに這わせていく。
 小さなクローゼット・・・・・・
 押し入れ。
 
「昨日もお酒飲みながらたまにチラチラ見てたし。あたしがからかった時も。見てたよね、あそこ。さっきも黙ってずーっと見てたよ。気付いてなかったの?変なの」
 
 ずっと、見てた?
 お前はを、ずっと見てたのか?
 
「ねぇ、末永くん。あの中に何かいるの・・・?」
「え?」
 ──今、なんて?
「ねぇ、末永くん。行こうよ、海。あ、ほらまた見た・・・・。いいでしょ?車持ってるんだからさ。あの水色の小さい車、かわいいね。なんていう車?もう!こっち向いてよ、末永くんってば!」
 ──なんて言ったんだ、コイツは。

「ねぇ、末永くん。もう花蓮カレンさんのこと、忘れちゃいなよ。あたしとこれからいっぱい遊ぼう?」

 一年前に死んだ彼女──花蓮の名前を口にしたヒナコがクローゼットへと向かっていく。やめろ、そこにはの。の大事な、愛する彼女の──。

「忘れられないなら、あたしが忘れさせてあげる」

 やめろ!そこに、それに、触れるな!
 しかし僕がそう言葉にして叫ぶよりも前に、

 

バン



 クローゼットの扉が開き、飛び出してきた蛇のような青白い二本の腕がヒナコの顔に絡みつき──。

 

ダダダダダダダダダダダダァややややっやヤヤダダダダダヤヤヤダダダああぁオオオォォォォォ


* * *


(──何、今の?)
 ソレ・・はまるでテレビのチャンネルが唐突に切り替わるように、瞬時にわたしの視界から消えた。今の今まで自分が見ていた映像の内容を余りにも鮮明に覚えていたから、「あれは夢なんかじゃない」とわたしは直感的に悟った。けれど、夢じゃなければ一体なんだったのだろうか──。

 その時わたしは、ワンルームの部屋の入り口に立っていた。視界に映っていたのは開け放たれたベランダの窓と風に揺れるレースのカーテン。取ってつけたような蝉の声が聞こえて来た。
 こめかみからこぼれ落ちた一筋の汗が頬を伝っていく。わたしはそれを手の甲で拭って、そこで自分の右手が握っていたものに改めて気がついた。

『白昼夢』 ひいらぎまい
 
 それは書きかけの原稿の束だった。
 そこでようやくわたしは覚醒した。
 わたしの今いるこの部屋に、まさに今日自分は引っ越してきたばかりで、ようやく大方の荷物の荷解きを終えて一休みしようと作業机の椅子に座ろうとしていたところだったはずだ・・・。玄関に置かれた最後の段ボールから茶封筒にしまわれたこの原稿の束を取り出し、部屋に戻ろうとここに立ったところで──。
 わたしはついさっきの一連の光景を目の当たりにした。
 フラッシュバック、と言えば良いのか。突然目の前が強烈な光に包まれて目が眩んでしまった。しばらくそのまま目を閉じていると、雀の鳴き声が聞こえて来た。
 咄嗟に目を開けると──。
 男の人がコタツで眠っていた。ベッドでは女の子が同じように微かな寝息を立てている。
 わたしは声を上げることも、ましてや身動きすら出来ずに、ただただ目の前で起きる出来事──つまりは男の人と女の子とのやり取りを傍観し続けていた。
(──やっぱり、夢、見てたのかな)
 
 ふらふらとした足取りで作業机の前の椅子に座った。原稿の束を投げ出すように机の上に置くと、しばらくのあいだ呆然と虚空を見つめていた。すると、ふと──。
 部屋の隅のクローゼット・・・・・・が気になった。単身者用のこの部屋に備え付けられた小さなクローゼット・・・・・・
 どうして彼らはずっとあのクローゼット・・・・・・を気にしていたんだろう。
(『彼ら』って、わたしはなにを言ってるの?)
 頭は疑問符を打ち続けているのに、身体はなぜかそのクローゼット・・・・・・に吸い寄せられていく。
 扉の持ち手に右手をかけた瞬間、再びわたしは真っ白な強い光を瞼に浴びて、そして思わず両目を閉じた。


 
 * * *


 ──  一年後。

 都内の書店で、ある女流小説家のデビュー作出版を祝したサイン会が開かれていた。
 低い壇上に置かれた長テーブルに座る彼女のバックには、仰々しいフォントで、
 【柊まい『白昼夢』出版記念サイン会】
 と銘打たれた横断幕が張られている。
 そして手元には、つい今しがた彼女の目の前に立った中年の男性が差し出したばかりの新刊が置かれていた。

 【物語はワンルームで完結する!小さなクローゼットから出現する驚愕のラストに再読必至‼︎】

 そんなあおり文句が帯に踊る。しかし作者自身は能面のように無表情で淡々と差し出された新刊の見開きにサインを書いていく。余りにも淡白に一連の作業をこなしていくため、傍らのある者は「作風と同様に個性的だ」と敬意を表し、またある者は「変わり者だ」と苦笑した。文壇に突如として現れたこの新人作家は、そのミステリアスな雰囲気をこのように様々なかたちで捉えられていたのだった。
 
 やがて壇上に最後の購入者が上がる。なんの気無しに頭をあげたその瞬間──。
 ソレ・・が唐突に彼女の両目に映り込んできた。
 彼女はソレ・・が何で、彼女にとってその存在がどんな意味を持つのかを本能で感じ取った。もうそれはほとんど野生動物が自分の命の所在を確かめるのと同義だった。
 周りの唖然とした反応に全くと言っていいほど気がつく様子もなく、後に奇人というレッテルを貼られることになる女流作家は、両の目を落とさんばかりに見開きながらソレ・・の後を追っていった。
 
 会場の隅から出口へと向かっていくセーラー服を着た少女の後ろ姿──。

 どんよりと暗く曇った梅雨空の下。
 書店と隣接するように小さな公園が眼前に現れた。けれど滑り台もジャングルジムも、彼女の瞳には映ってはいない。
 見えているものはたった一つ。


 ──少し吊り目がちな大きな瞳、形良く通った鼻筋の下にはぷっくりと肉厚な唇。肩先まで伸ばした黒髪は朝日を浴びて艶々と輝いていた──。

「ヒナコォ」

 彼女の低い叫びのような呼びかけに答えるように、木製のベンチに座ったセーラー服の少女が、彼女に微笑みかけた。

 その時。

ブワリ


 不意に何かが彼女の右足のふくらはぎを撫でていった。
 ギョッとして足元を見下ろす。

 黒猫だ。
 一匹の黒猫が目を細めて仕切りに頬擦りをしてくる。
「ひぃっっ」
 反射的に右足がその黒猫を蹴飛ばした。彼女は猫が大嫌いだった。
 ボールのように軽々と蹴飛ばされた黒猫は、少女の足元へと落下した。

「酷いこと、するなぁ。痛がってるじゃん、カレン・・・さん」

カレンカレンカレン死んだカレンカレンカレン


「あたしもさぁ、こんなふうになるはずじゃ、なかったんだよね」

カレンカレンカレン死んだカレンカレンカレン


「でも、もう仕方ないよね。こうなっちゃったら」

カレンカレンカレン死んだカレンカレンカレン


あなたも、もっと深く知りたくない?カレンさんのこと。きっとあなたも、あなたの本の読者も、もう戻れないんだよ。だってさ──」

文字にも宿った・・・・・・・カレンさんは、目が合った人間を必ず引き摺り込むんだから。


クローゼットの真っ暗い檻のなか・・・・に。


(第二話に続く)


⇩第二話

⇩第三話・前編

⇩第三話・後編

⇩第四話・前編

⇩第四話・中編

⇩第四話・後編


⇩続編の『推理編』はこちらから


illustrated by:
Kani様

#創作大賞2023 #ミステリー小説部門


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