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【ミステリ小説】 『ソウルカラーの葬送』第二部 ②

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第二部

二、

 この一室だけは『黒の家』そのものだった。
 とにかく暗い。
 それもそのはずで、そもそもこの部屋には窓が一つもない。本来は天井に備え付けられるはずの電灯の類すらないのだった。ただ、真の暗闇なのかと言えば、そうでもない。
 向かって右側の壁に備え付けのデスクがあり、その上に置かれたモニターの画面が青白くぼんやりとした光源となっている。それで六畳間のこの洋室すべての暗闇を払うには、それは余りにも脆弱なのだけれど──。
 これがこの家の主、穂水咲良ほみずさくらの一風変わった居室の特徴だった。
 住み込みの使用人を雇えるほどの資産家の主人の居室にしては六畳間は狭過ぎると感じるものの、当の本人の姿を見ればそれも納得してしまうだろう。
 彼女──咲良はまだ幼いあどけなさをその顔に残している、十八歳の少女なのだから。
「いいいヨッシャー!ラスダン最短攻略達成だぁー!」
 少女はその時、背中を丸めながら渾身のガッツポーズを決め、何やらを精一杯の力で叫んでいるところだった。
 ドアを開けた使用人のリン──鹿目鈴香かなめすずかは子供を見守る母親のような微笑で咲良を眺め、その隣りに佇む客人──綿曽根博士わたそねひろしはそんな相変わらずの咲良の挙動に呆れて首を振る。


 綿曽根にとってみれば、咲良は歳の離れた妹のようなものだ。ムクムクと、このまったく成長の見られない小娘に一言物申したくなってくる。綿曽根は何事につけて良くも悪くも我慢のできない男だった。
「まったくいつまで経っても落ち着きのないガキのままだな、お前は。大体さ、何年そのジャージ着るつもりなんだ?かなりダサいぞその格好。せっかくリンさんみたいな良いお手本がいつもそばにいてくれるんだから、そろそろお前もその、女らしくだな──」
「リンちゃんやったよー!ボクとうとうやり遂げたよ!前人未到の三十分制限攻略!えっと、えっとねーただいまの記録二十八分三十二秒!すんごいよねすんごすぎるよね、リンちゃんほめてほめてー」
「そ、それは凄過ぎますよぉ~咲良様!確か今までの最短記録は中国のカンフーモンキーさんの三十二分五十二秒だったはずですぅ~。トッププレイヤーの彼でも成し得なかった記録・・・三十分ギリ。さ、咲良様ぁ!こ、これはもしや公式から何らかのコメントや表彰がぁ~?」
「ひ、表彰ぉぉ!世界中にボクのイギョーが⁉︎知れ渡っちゃうぅー⁉︎」
「咲良様ぁ~」
「リンちゃんー」
 そうして手に手を取り合って感涙に咽び泣く主人とメイドが、綿曽根の眼前でヒラヒラと舞い踊る。光の届かない闇の底で意味不明な喜びを分かち合う若い女たち。何ともシュールな光景だった。
 その発言及び存在を完全に抹消された綿曽根は、きつく眼を閉じて心を無にし、深い瞑想の世界へと旅立つほかなかった──。

「いるならいるってちゃんと言ってよねー!びっくりするじゃんかー」
 一体なぜ自分は怒られているのだろうか。
 咲良は綿曽根に対して頬を膨らませながら抗議をしてくる。黒縁メガネ越しの眼が真剣な怒りを含んできらりと光った。
 なぜ、なぜなんだ?
「それにさ、ウチに来るのまだ早いでしょ!一週間も先じゃん。ボケるの早いでしょ、ハカセくん。ちゃんと頭を使わないからボケちゃうんでしょー?ハカセくん博士なのに。あ、ゲーム!ね、ゲームしようよ!そしたら頭の体操になるよー。このエフツーってゲーム、すんごいんだから。ちょうど今ね──」
「うっせーんだよ!」
 次は綿曽根が感情を爆発させる番だった。
 それは、ボケだの頭を使えだのと弱冠十八の小娘に茶化されたからでは決してなく。問題は日にちを間違えたのだと思われたことが許せなかったのだった。だから綿曽根はそれをそのまま口に出して否定していた。
「間違えるわけねーだろうが。アイツの、命日なんだぞ。そんなことお前だって分かるだろうが。冗談でも二度と俺にそんなこと言うんじゃねぇぞ」
 良くも悪くも、我慢のできないのが、綿曽根という人間だ。
 薄暗い部屋がさらにその闇を深くしたかのような沈鬱さが綿曽根の両肩にのしかかってきて、思わずハッとして見つめていた足元から視線を上げた。その先に、今にもこぼれそうなほどの涙を両の瞳に湛えた少女が立っていた。
 小豆色のジャージ越しに、全く肉感の感じられない線の細さが容易に見て取れる。そんな少女の小さな両肩が細かく震えていた。
 項垂れた顔をショートボブの前髪が覆い隠す。
 ──そうだ、コイツは根っからの無邪気なヤツだった・・・・・・。
 強く言い過ぎたことを反省した綿曽根が口を開きかけた時、
「ごめん」
と、先に咲良の蚊の鳴くような謝罪が聞こえた。くるりと綿曽根に背を向けてしまう。泣いているのだろうか。パソコンデスクの椅子に収まると、小さな咲良の身体は完全に隠れてしまった。
「さ、咲良様ぁ~」
 綿曽根と主人の間に立っていたリンがオロオロと咲良の背中に声を掛けるも、返事はない。
「お、俺の方も、その、わ」
 悪かったな、と口にしかけた綿曽根だったが、またもその声は最後まで発することはできなかった。何故ならば──。
 不意に回転する椅子。
 再びその姿を薄暗がりの中に現した咲良。
 その顔は、眼は、口元は。
 ──笑っていた。手にはゲームのケースを握りしめながら。
「でさ、ハカセくんエフツー始めるなら今だよ今!キャンペーンしててさ、パッケージも半額だしプレイ代も三十日間無料なんだー!あ、そうそう、ネトゲだからプレイするのにもお金がかかっちゃうんだけどねー。でもね、すんごいから。すんごいボリュームだから。ハカセくんも絶対納得すると思うよ。これに毎月二千円を払う価値、あり!ってね。ボクはこの『ファインファクト』略してエフツーにね、人生で大切なこと全部教えてもらったんだから。ボクにとっての学校だよ。先輩も同級生も後輩も、みーんな『聖なる騎士たち』だからね。もちろん先生もね。『いま進まなければ、これまでの道のりもそのすべてが底なしの沼に沈むだろう』これめちゃくちゃ深いよね、沼だけにさ。円卓の騎士アウストラーダの言葉なんだけどね。エメラルダスの世界はこんなにも素晴らしい言葉たちであふれているんだー!ハカセくん、繰り返すけど始めるなら半額セールの今だよ!今しかないんだよー⁉︎」
 
 最後にこの家を訪れてから一年。綿曽根は職場の楽器店で副店長に昇進し、多忙な毎日を送ってきた。本当に忙しかった。思い起こせば学生アルバイトとして下っ端からスタートして十数年。そんな自分が数多のアルバイトたちを束ねる側に立ち、時に叱り時に褒め、人望も少しづつ集まってきた実感もある。精一杯、店のため、そして愛するギターのために身を削って尽くしてきた結果がようやく今花開こうとしていて──。
 だから穂水咲良がどれほど珍妙な少女であるのかなどということは、すっかり綿曽根の脳裏から消え去ってしまっていたのだった。

『咲良ちゃんてね、とっても面白い子なんだよ。お兄ちゃんも絶対好きになるよ』

 ──こんな時に、何だって急に・・・・・・。
「ハカセくんさぁーちゃんと聞いてるの?ボクが大事な話してるのにー」
 ふと、目の前の咲良の姿が、遠い記憶の片隅にいる大切な存在のそれと重なって、綿曽根は胸の奥からジワジワと滲み出してくる名無しの感情に眩暈めまいを覚えた。
 ──アイツが大好きだった、友達。
「あの~咲良様ぁ」
 すぐ近くで聞こえたリンの控えめな声で、綿曽根は心理の深海から急速に引き上げられた。その水圧に少し狼狽えつつ。
「ハカセさん、何か咲良様にお話があって来られたのではないでしょうかぁ~」
「ひろしですけど。まぁそうだよ。お前に用があって来たんだ、わざわざ中野の外れまで。しかも命日と関係がないからって日にちをずらしてさ。ちょっと急ぎの案件だってーのもあるんだけどな」
 スッと椅子から立ち上がり、直立不動になる咲良。
「えっ⁉︎そうだったの?ボクからエフツーの最新キャンペーン情報を聞き出しに来たんじゃないの?」
「しつこいな、お前も。さっきギャーギャー騒いでたのもそのゲームのことかよ?」
 綿曽根からの問いかけに途端に瞳を輝かせてコクコクと頷く咲良の、その小さな唇が再び猛烈な速さで動き出しそうな気配を敏感に感じ取った綿曽根は、それを発言でもって先に制した。
「俺の幼馴染のことでな、ちょっと話を聞いてくれないか。それが、その、なんつーか」
 ──あの時と同じ、死んだ人間がらみの妙な話でさ。
 綿曽根は少し躊躇いがちに、黒縁メガネの奥の双眸そうぼうにそう語りかけた。


(第二話へ続く)

illustrated by:
Kani様


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