【小説】『シンクロ✖シティ』第1話②
【イントロダクション✖アブダクション】
前回はこちら①
「病院って、どこの病院ですか?あとどのくらいで着くんですか?」
ただならぬ気配をキムラの運転から感じ取ったのか、オトハが再び声を掛ける。やはりキムラはそれにすぐには答えない。
(なんとか言えよ!お前いったいどこに向かって——)
車が突然急停車した。視界が上下に揺れる。ブレーキの甲高い音が耳の奥まで響いた。
後方から呻き声が聞こえると、キムラは振り向いてオトハを見た。両親のしつけが行き届いていたのか、シートベルトをしっかりと着用していた少女は驚いてはいたものの姿勢を少しも乱すことなく座っていた。
キムラの両眼はオトハに注がれていた。正確に言うと、オトハの顔だけを凝視していたのだった。それは気分が悪くなるほどの湿り気を帯びた視線だった。
ククク、と渇いた笑い声が不意に聞こえてきた。オトハの顔から次第に血の気が引いていくのが見て取れる。
(ヤバいって!なんで笑ってんの、こいつ。頭だいじょうぶか?)
オトハは弾かれたようにビクンと身体を震わせると、キムラの視線から目を逸らしてシートベルトを外した。そのままドアに手を掛けて肩からぶつかるようにして開けようとした。
けれどドアは開かない。ガチャガチャと乱暴に動かしてみても、全くもって徒労に終わった。そんなオトハの様子を、キムラは聞いている方が薄ら寒くなるような笑い声を立てながら眺め続けている。
「ダメだよ、ドアは開かないって。内側からは開けられないようにしてあるんだから」
当然のことを、とても当たり前にキムラは言ってのけた。けれどそれは考えれば考えるほどに異常さを増していく。
(これじゃこの子逃げらんないじゃん・・・。助けなきゃ!抜け出すんだ!こいつから!んー、ぬ、け、だ、せー!)
「どうして——」
この異常な状態を瞬時に理解することなど、大人にも困難であっただろう。少女には一言小さく呟くのが精一杯だった。キムラは満足そうに「いいねーいいねー」と何度も繰り返した。
やがてそれにも飽きたのか、一度咳払いをすると急に冷たく突き放すような口調に変えて、
「病院になんて行かないよ。なんでか分かる?」
オトハはもはや怯えきってしまっていて声も出せないでいるようだった。キムラの視線が急に自分の手元に移った。右手にはスマートフォンが握られている。左手の指で画面をスライドしていき、目当ての部分に行き着いたのか、そこでパッと止めた。
(ぬーけーろーってば!)
キムラがしばらくの間じっと見詰めていたのは、SNSの投稿だった。
「九分前のツブヤキです。【今日も就活生さんたちの熱い想い、たくさん受け止めさせて頂きました!そしてお約束のこの質問!あなたの今の夢を聞かせてください。今。now。オリジナリティ溢れる夢の数々に目頭が熱くなりました!】だって。さて問題です。これは一体誰のつぶやきでしょうか。十秒以内に答えてください。答えられなかった場合は一体どうなっちゃうのかな。はい十——九——」
キムラの始めたカウントダウンは、それが他愛無い様子であればあるほどオトハにとっては不気味に感じたようだった。目を泳がせてあれこれと考えている。キムラはカウントしながらそんなオトハを眺め続けていた。
「五——四——さ」
「お父さん!」
不意にオトハが叫んだ。目をきつく瞑って、両手を固く握りしめて。
ゴツンと音を立てて何かがオトハの足元に落ちた。それをキムラ自身が一瞥する。それはキムラの掌から滑り落ちた彼のスマートフォンだった。
「せいかーい。なんで分かったの?つまんないなぁ、マジで。最近の親は子供に自分のツブヤキを見せたりすんの?」
「お父さんは会社にいるんですか?病院って嘘だったんですか?」
堰を切ったようにオトハの質問が飛ぶ。恐怖よりも疑問に思う気持ちが勝ったようだった。
(アーだめだー!どうして抜けれないんだっつうの。前はちょっと力入れたら抜けれたのに。どうしよう、このままずっとこうだったら・・・。だーっ!絶対にイヤ!うつせみぃ、たーすーけーてー)
「うるさいなぁ!あのさぁ、お前自分が置かれてる状況、分かってる?」
キムラの口調が苛立ちを帯びてきたのを感じ取ったのか、オトハの顔に怯えの色が戻った。激しさを増す雨音が、目前に迫る恐怖と不安をしきりに煽っている。
「そうそう、その顔。たまんないなぁ。あのね、お前は俺に誘拐されたの。しっかしすげぇ雨だな。これじゃ、ここで俺に裸にされようが殺されようが誰も分かんないな。ここらへんてさぁ、もうぜんぜん人が来ないんだよなぁ」
自分自身の言葉に高揚して声を上ずらせたキムラは、運転席と助手席の間から後部座席に腕を伸ばそうと身を乗り出した。オトハの腕に手を掛けた時、少女の唇が小さく動いた。咄嗟の事で聞き取れなかったキムラは「あ?」と一言聞き返した。
「誘拐、してくれるんですか?」
(は?なんだって?)
キムラの動きが完全に静止した。たった今発せられたその言葉の意味を理解しようと、必死に頭を回転させているようだ。車内には雨音だけが鳴っている。
オトハはキムラの手を振り解くと、自らの手で制服の袖を捲った。それをキムラに見せつけるように突き出した。その時——。
終わりは始まりに似て、唐突に訪れた。
(え、なに、急に眼がぼやけてきた・・・。嘘でしょ、なんで今ここで抜けるの。なんかおかしなことになってきてたのに!逆に今は抜け出したくないのにー!)
視界は急激にかすみ出し、程なくして漆黒の闇に閉ざされた。遠ざかる意識の中、かすかに誰かの叫び声が聞こえる。
断続的に聞こえるその悲鳴は、結局最後まで意味を為すことはなかった。
*
ガバッとタオルケットを蹴飛ばし、若い女がベッドの上で飛び起きた。
しばらくの間、虚空を見つめて呆然としていた。
やがて彼女は大きなあくびを一つした後、続けてくしゃみもした。忙しいことこの上ない。
ショートボブの髪はボサボサでところどころハネていて、それが彼女のだらしのなさを際立たせているようだった。着ている薄紫のTシャツも首回りがよれてダブついているのは、ダメ押しの一手である。
顔の造り自体は整っている方なのだが、目の下のクマが尋常でないくらいに黒々としているために、呪われた人形のような見た目に成り下がってしまっている。
一言で表してしまえば、『変なやつ』なのである。
その変なやつは突然ハッとして目を見開いたかと思うと、ベッドの真横にある小窓のカーテンを勢い良く開けた。
土砂降りの雨だった。
「今度のもやっぱり近い、気がする」
変な女はそう独り言を漏らすと、枕元に転がっていたスマートフォンを手に取って操作して、耳に押し当てた。
「あ、もしもし。あたし。え?もうめんどくせーな。ブルームーンだよ!」
自らをブルームーンと名乗った女は酷く慌てた様子で、息継ぎもせずに電話の相手に一気にまくし立てた。
「うつせみ、事件だよ!事件!また『観た』んだって、誰かの目になって。今からそっちに行くからウルフアイ呼んどいて!あ、ココアも用意しといてよ!あったかいやつ。冷たいのじゃないからね!分かった?」
酷く一方的な通話を終えると、ブルームーンはベッドからようやく起き出した。着の身着のまま部屋のドアに向かおうとして、壁際に設えられた瀟洒な鏡台の角に左足の小指を勢いよくぶつけて「ぎゃあ」と呻いて蹲った。
全くもって、騒々しいことこの上ない。
動き出したら猪突猛進。ブルームーンという女はそんな人間だった。
騒々しい物語が今、始まりの合図を騒々しく『ぎゃあ』と告げた。今度はイヤホンを思い切り踏んづけたのだった。
(☞ ③に続く)
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