心理的虐待 / 母という存在

母は子供を3人産んだ。
一生懸命お世話したのだと思う。
確かに母はお世話をした。
だけど、子育てはしなかった。

母にとって子供は『育てるもの』ではなく『育つもの』だ。

「なによ!あそこの家でまともに育ってるの、〇〇君(従兄弟の名前)だけじゃない!」

私と次兄にはそれぞれ同学年のいとこがいる。
私と同学年の従姉妹は京大へ、次兄と同学年の従兄弟は阪大へ。
何の因果か母の神経を逆なでするに十分だった。

阪大へ行った従兄弟は3人兄妹の一番上で、兄妹皆穏やかな印象だ。

幼い頃は活発だった次兄の様子が変わってきたのが高校辺り。
その頃、なにかのきっかけで母が私に言い放った言葉がこれだった。

まともに育つ?
下の妹達はまともじゃない?
まともってどういうこと?

次兄はIQが高い。
小学生の頃に言われたようで、母が次兄を誇らし気にしたのは私が知る限りその時だけだ。

今でも忘れない。

担任の先生から知らされた母はすぐさま私に言ってきた。
「次兄のIQが普通より高いって言われたのよ!すごいことなのよ!」

小躍りしそうなくらい嬉しそうな母を見て、私も母を喜ばせたいと思い聞いた。
「私は?私も高い?」

「え・・・あんたは別に。たいしたことないわよ。」
母の声のトーンは低く、私は聞かなければ良かったと後悔した。

そんな次兄に母は期待したのだろう。
しかし高IQが活かされることはなく母の優越感は満たされなかった。

母は甥姪を貶すという方法で自尊心を保つことにし、その醜い感情を私というゴミ箱に吐き捨てた。

子供は育つものではない。
子供は育てるものだ。

もっといえば、子供は育てたように育つ。

母は社会で生きていくうえで必要な善悪、愛情、協調性、、、、そういったものを与えなかった。
与えたのは衣食住、そして醜い感情の見本。

母は子供に見せるべき背中を持たず、見せてはいけない背中をむき出しにし続けた。

年相応の言動、振る舞い、いわゆる社会性。
その年になれば勝手にできるようになると思っている。
できない子供はハズレ。そんな感じだ。

小学5年生の頃、来客時に突然母が言った。
「もう小学高学年なんだからお茶出しくらいしなさいよ!女の子のくせに!わかったわね!あんたが持ってきなさいよ!」
そう一方的に言い残し来客の待つお座敷へ行ってしまった。

小学5年生の子供がお茶出しをする。
それ自体に問題は無い。

問題は、お茶の淹れ方を教わったことがなかったということ。

母の頭の中は『小学高学年になれば言われなくてもお茶出しくらいするのが当たり前でしょ!』ということだけだ。

これに限らず、母には子供は教えられできるようになるのだという頭が無く、勝手にできるようになるべきだという体でのネグレクトがあった。
できない子は、、、ハズレだ。

未だになにかとできにくい次兄に対し軽蔑の言葉を感情のまま吐く母。
そしてそれに強く反応する次兄。

帰省の度、何歳になっても、いつまでも変わらない二人の子供の様なやり取りを目の当たりにする私。

なぜ次兄がそうなったのか母は顧みようとしない。
私に対しても同じ。
母にとって思い通りにならない事は、全て自分以外の誰かのせいだ。

衣食住を与えられ勝手に育つのは身体だけ。
人としてどう育つか、心がどう育つか、それは全く別の話。

20歳なんだから、30歳なんだから、40歳なんだから、50歳なんだから。
勝手に年相応の人間に育つのなら親は要らない。

ボウルビィの愛着理論はそれを示している。

親になってはいけない人間性の持ち主に育てられること、四六時中その人間の影響を受け続けること。
他人の目からは見えにくい、真綿で首を絞められるような、長い、長い時間を掛けた、緩やかで深い虐待。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?