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吹奏楽部に入った目的は、中学と高校で違った。

 中学校の部活動で吹奏楽部に入りトロンボーンという楽器を始めた。もちろん楽器経験はゼロで、ト音記号の楽譜は読めたもののヘ音記号の楽譜には参った。

 私が吹奏楽部を選んだのには明確な理由があった。それは「音楽という言語ではないツールを用いて自分の思いや考えを伝える」ことに興味があったからだ。言ってしまえば、小6の頃からこのnoteのアカウントで綴っているような内容は、公開はしていないがずっと書き溜めてきた。その中で、言葉によって表現できる自分の考えに限界を感じていたのも事実である。もっと別の方法で心の内に潜むもやもやを外部化したいという願いが自分でも認識できていない欲望として在ったのだろう。

 そのような目的意識とは裏腹に部活の練習はとっても辛いものだった。特に自分だけができないことから来る焦りと報われない努力の存在に苦しめられた。何度も辞めたい・逃げ出したいと思い、それを友人に話したことも数え切れないほどある。それでも辞めなかったのは世間体に囚われていたから。自分のプライドが許さなかったから。ここについての詳述は避けるが、どうにかこうにか中学3年間をやりきったのだ。沢山のコンクールや演奏会への参加を通して音楽の魅力を存分に感じられたし、それによって達成感を味わうことも多かった。けれども高校では絶対吹奏楽部には入らないと固く誓っていた。

 それなのになぜ、高校でも吹奏楽を続けようと思えたのか。自分にとっての部活の目的が変化したことにある。高校は地元ではなく地域みらい留学という制度を利用して遠く離れた島根県の高校に進学したため、「地元生と学校の授業以外の関わりを持つことでその土地の価値観や考え方を学ぶ」ことと「部活動(自分の活動)を通して地域貢献をする、地域の大人と関わる・繋がる」ことを目的に部活を検討した。それに最も合致したのがたまたま吹奏楽部だったのである。

 これらを踏まえると、私が大学で演劇を始めた理由も見えてくるのではないだろうか。台本という非常に限られた文字情報からどのようにして劇が作られていくのか、そこにはどのようなメッセージが込められているのか。それを少しでも明らかにしたいと思ったからだ。すなわち「言語を介した表現の限界に挑戦する」という目的を持ってのことだ。

 こうして振り返ってみると、人間の感情の表出に興味を持っている自分に気付かされる。これまで教育に興味を持っていると考えていた自分の新たな一面に驚いたところで今日はお暇する。

 


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