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20220917 昨日の夕方、帰宅後のベランダから・・・このnoteと自分の関係性まで(仮)

このnoteを書いているうちに方向性がいろいろな方向へ向いてしまったので、文頭にあらためて書き足している。
昨日、ベランダにカメラを持ち出して撮影したものを見直しながら、感じたことをつらつらと書いている。

昨日、帰宅して洗濯物を取り込みにベランダに出たら、空がとても赤い。
そそくさと洗濯物を取り込み、急いでカメラを取りに仕事部屋に向かう。
どのカメラで撮ればいいかな?
そんなことで迷っているうちに、すぐに暗くなってしまう。
EOS kiss X5にシグマのレンズの組み合わせにした。

少し急いでいる時で、何かを考えながらということがあまりできない状況の時は、このカメラの組み合わせがとても楽でいい。
便利ズームだし、それなりに手ぶれ補正も効く。
連写をするとか、そういうことを望んでいるわけでもない。
撮れていればいいという感じ。

カメラを持ち出して電源を入れた時に、カメラの設定は確認した。
ISO感度は400。
露出のモードはP。
AF、手ぶれ補正機構のスイッチが入っていることも確認。

何カットか撮影する。

画像1

画像2

画像3

台風が近づいていて、風が強い状態。
雲は、刷毛でささっと描いたかのような姿。
街の明かりがちらほらと灯り始めた感じの頃合い。
画像では、街の様子はほぼ暗くなってしまっているけれど、肉眼ではもう少し見えている。
ちなみに、この画像はJPEG撮って出し。
RAWをいじって暗いところをもう少し持ち上げるとかすれば、もうちょっと肉眼に近いのかもしれない。
でも、この写り自体、とても気に入っている。
別に、これでいいんじゃないの?と。
自分の心象風景というか、その瞬間を切り取った時にカメラが出した答えがこれだったということに対して、どうこう言うつもりはない。
インスタントに撮影したのだから、インスタントにそのまま使う。
それでいいと思った。
というか、それが今の自分でもある。

昨日のnoteにも書いたけれど、この1週間のしんどさは月曜日に仕事を休んだことにもあるように体調が万全ではなかったこと、そしてその根源は先週の仕事への過集中、先週土曜日の羽目の外し方が加わって、自分のバランスを自分で崩してしまっていたからなのは間違いない。
こうやって、今の自分がどんな自分なのか、写真と向き合うことの中でも見えて来ることがある。
じっくりと写真という趣味と向き合うことができる時は余裕があるし、そうでない時はインスタントでもいいからという感じになる。
そこに、いい悪いはない。
それも自分。

元々、このnoteは自分の状況をリハビリなどを通してわかったことや、それを自分の人生にどう活かしていくのか、そして仕事との折り合いの付け方などを書き残しているもの。
また、写真は自分の中での一つの趣味ではあるが、その趣味の中に自分がいるということも見えてきた。
それは、病気になり、自分がダメージを受け、そして色々と自分と向き合うことが必要になってきたことで、自分のやっていることの特性などもメタ認知することが必要になってきたことも関係している。
とにかく、自分のことを自分が一番わかっている状態にならないと、自分の病気や障害というものはすぐ悪化してしまうから。
それは、いくら薬を飲もうとも、根本的なところは自分を自分でわかっていないとどうしようもないということだから。
そうしたものが、写真だったり、使う機材だったり、ものすごく影響しているのも見えてくる。

そうしたことが見えるようになってきたので、毎日書いている。
何も、こうしたことをわざわざオープンにするものでもないのかもしれない。
でも、「人に認めてもらいたい」や、「どこかで誰かと繋がりを持っていたい」というエゴがあるのは確か。
自分の安心を求めているだけなのかもしれない。

そうしたことが、昨日撮った写真を見ながら、頭に浮かんできた。

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