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フィルムの中の記憶

今日は、午前中がクリニックでのリハビリ。

午後、昨日なんとかかんとか使えるようになったWindowsに、放りっぱなしになっていたフィルムスキャナをつなげて取り込んでみることにした。

その際に、まず何か試しにと、写真箱の中をあさりだしたら、20年以上前の写真やネガが出てくる出てくる。それを眺めたりしているうちにあっという間に時間が過ぎてしまった。結構、色々なところでシャッターを切っていたのだ。

そして、何の意味も無い写真も、シャッターを切ったその時の心情が蘇る引き金になる。なんなんだろう、この感覚は。

デジタルカメラの画像が残っているのは、一番古くて2004年。それまでにも撮影したものがあったにはあったが、保存していたパソコンがクラッシュして二度と取り出せない状態になってしまっている。

最初はカメラに興味を持っていなかった頃からはじまり、写真やカメラに興味を持ち始めてから多くシャッターを切るようになって、小遣いのかなりの額をフィルム台と現像代につぎ込んでいたかもしれない。しかし、それをしっかり残しておいて良かったと、今になって思う。

フィルムは、劣化しても物理的な形として存在すれば、そこから写真を取り出すことが出来る。結構これって凄いことだと改めて認識している。

フィルムにはその時の情景だけではなく、空気や心情までもが物理的に固定されるものなのだ。

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