見出し画像

20230717 角の煙草屋までの旅改め、角のコンビニまでの旅・・・Nikon D40X

今日は、海の日。
お休みなので、少しのんびり。
しかしながら、健康上としていつも通りの時間に起き、そしていつものルーティンをこなす。
それでも、ベランダに出て洗濯物を干す時間はいつもより遅め。
ベランダにでると、風がとても気持ちいい。

気持ちに余裕がある時は、ベランダにカメラを持ち出せる。
ベランダから見えるお気に入りのサクラの木。今年は下草がボーボー。

風も気持ちいいし、まだ表はそんなに暑くない。
ならば、いつもなら通勤する時間でもあることだし、カメラを持ってコンビニまで出かけて来よう。
朝の身体を起こすには、ちょうどいい運動になるはず。
カメラは、NikonのD40Xに、50mmレンズをつけて。
50mmレンズの練習にもなる。

この時間に表に出て、すぐさまとても気分が良くなる。
そうだ、思い出した。夏のこの時間帯がとても大好きだったことを。
まだ、陽が高くない時間帯。夏の強い光とその光が作る影の姿がとても好きなのだ。
この時間帯の光がいろいろなものにあたることによって見える姿は、なぜか昔から好み。
たとえ、それがこんな消化器の入っているボックスであっても。
一番好きなのは、覆い繁る木々の葉を透過する光。
歯の裏側から見えるその緑の色に、心が踊るだけでなく、静まるところもある。
幹の表面の質感も、横からの光ということもあって、強調される感じがある。
そして、長い影。
昼間の影はほとんど真下だけ。しかし、朝早くだと、影は長い。
夏は早朝の光が本当に良い。
強い光が作り出す影。
団地の規則正しい構造に、さらに規則正しい影ができる。それを見るのも楽しい。
いつもの角の煙草屋。まるでミニチュアみたいに撮れてしまった。
建物の隙間は、手入れをしなければあっという間にジャングルになる。
いろいろな木々の葉を透過する光を集めたくなる。
木によっては、少し黄色がかったものも。
木々の葉を透過する光だけでなく、人工物にあたる光もまた、それぞれのものを強調する。
これが日本の夏らしさとして自分の中には強くある。
そうした感覚が生まれてきたのは、おそらく小さい頃からの習慣というのがあるのかもしれない。
夏の早朝の風物詩といえば、ラジオ体操。
夏休み、朝早く起きてラジオ体操をしに行く時に見える風景というものが、大好きだった。
まだ街が活動し始める前の独特の静けさ。
そして、ジャンジャカ大音量で響き渡るセミの声。
何もかもが、夏の記憶として固定されている。
そして、夏の早朝は空がとても青い。
光が強いのに、とても濃い青空もまた、自分にとっての大好物だった。

今朝の、角のコンビニまでの旅では、自分の好きなものがたくさん見えてきた。
自分の個性というものが嫌いだった時期が長い。
自分が嫌いになってしまっていたことも長い。
自閉症的な要素が強かったため、対人関係から生まれる劣等感がとても大きかった。
人に合わせることの苦手さは、自分の好きなことを押さえ込むことによって、幾らか解消させることにつながったとも言える。
しかしながら、そこからは「なんで自分はこうなんだろう?」という劣等感へとつながった。

しかし、趣味として「自分は自分」と割り切れる事ができるようになってきたのかもしれない。
自分がいいと思うものをカメラで集めていくことに対して、誰からも「おかしい」と言われる筋合いはないということが、今はわかる。
自分にとって、見えるものが愛おしく感じて仕方がないのだ。
それをカメラで切り取る。
それでいいじゃないか。
そう思えるようになった。

今日の朝の散歩は、とても有意義だったのは間違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?