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20220608 今日はCCDセンサーのカメラがピッタリ来る光の日

完全な偏見かもしれない。
しかし、CCDセンサーがピッタリ来る光の日があるように思う。
今日は、そんな風に感じさせる日。
CMOSセンサーの日ではない。

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玄関を出て、外を見たら本当に気持ちが良い光がいっぱいあふれている。
いつも持ち歩いているCanonのPowerShot SX160ISを鞄のポケットから取り出して、すぐさまシャッターを切る。
今日は、ちょっといつもよりも早く目が覚めたので、時間的に余裕があったからカメラを取り出して撮ろうという気になった。
何だか時間に追われていると、そうしたことさえも出来ない。
カメラを取り出そうという気持ちになるときは、ゆとりが持てているときというサインでもある。

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バスの中から、青いシャッター。
バスの中から撮影するのも、田中長徳氏の影響か、ちょっと楽しくなってきた。
今日は、本当にたまたま窓際の席に座ることが出来たのと、バスが空いていたという条件が重なったので、カメラを取り出そうという気になった。

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帰り道、夕日に照らされて駅前のスーパーが解体されているところに出会う。
いよいよ、本格的に駅前の風景が変わり始める事になる。
いったいどんな風景になるのやら。

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その使命が終わったとはいえ、こうした姿は痛々しく感じてしまう。
「愛があるからこそ、別れに寂しさが生まれる。」
とは誰かから聞いた言葉。
基本的には、人に対しての言葉なんだろうが、こうしたいつもそこにあるものに対しても愛おしさを感じていたからだろうか、ものすごく寂しく感じてしまう。
もう、あの日常には戻らないということ。

戦争なども、破壊行為でそうしたことがあっという間に起こってしまう。
そういうことが想像に難くないために、自分は忌避感がものすごく強いのかもしれないなどと感じるところでもある。
何せ、一瞬で姿が変わり果ててしまう。
または、一瞬で命が吹き飛んでしまう。
だからこそ、この世に生まれてきたモノは慈しみがあるし、また自分で何かを作り出すのならば、その役目が尽きるまで愛されるモノであるように手をかけたいと思ったりする。
まあ、これは自分の中での願いなんだろう。

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帰宅後、ベランダに出て洗濯物を取り込む際に撮影したもの。
流石に手ぶれをするだろうから、物干し竿にカメラを押しつけて、ブレないようにしてシャッターを切る。
夏至も近づいていることから、かなり日は北寄りの方角に沈んでいく。

こんな夕景で、ノイズも出ているけれど、それでもやっぱりCCDセンサーのカメラがピッタリ来る。

久しぶりにカメラのシャッターを切ったけれど、やっぱりカメラを使うだけの余裕は毎日どこかに欲しいなぁ。

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