20241023 映画「トノバン」を観てきた
自分の年代からすると、加藤和彦という人は音楽教科書の中の人だった。
最初の出会いは、中学1年生の時のクラス対抗合唱コンクール。
自分のクラスは、「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌ったのだ。
これが最初。
合唱曲だから、ピアノの伴奏で四部合唱でという作りになっていたと思う。
お手本の音源は、当然どこかのコーラスグループが歌っているもので、「すごい歌があるもんなんだなぁ」程度しか感じなかった。
ところが、音楽室で当時の音楽の先生がこのシングルレコードを「実はね、こんな曲なの」と言ってかけてくれた。
音楽室の大きなステレオから流れて来た曲は、合奏用の音楽とは全然趣の違う、なんとも軽やかで、「ドッドドン」というリズムがとてもお腹に響く、繊細な音額だった。
当時、それを聞いた後に、加藤和彦の楽曲を追いかけるような友人が何人かいた。
1人は、フォーククルセダーズの楽曲に。
もう1人は、サディスティックミカバンドに。
どちらも、とっくの昔に解散していて、オンタイムの楽曲ではない。
さらに言えば、ちょうどレコードからCDに切り替わる時代で、我が家でいえばレコード針が手に入らなくなり、CDプレーヤーを持っていない時期でもあったため、音楽が身近な存在ではなかった。
だから、話をしていても「帰って来たヨッパライ」程度しかわからない。
そんな出会いでもあった。
それからしばらく、全く接点がなかったのだけれども、ちょうど学生時代にアコースティックギターに憧れて、大学の入学祝いに買ってもらって寮で練習するようになった。
そうすると、ギターの教本でスリーフィンガーの例題曲として、また「あの素晴らしい愛をもう一度」に出会うことになる。
ちょうどその頃に、NHK教育テレビの趣味講座で加藤和彦が講師を務める番組があって、そこで興味が湧いてくるようになった。
そんなタイミングで、フォーククルセダーズの再結成やアルバム発売などがあり、フォークルにどっぷりと浸かるようになる。
また、坂崎幸之助とのユニット「和幸」や、木村カエラをボーカルにしてのサディスティックミカバンド再結成などがあって、加藤和彦の音楽にたくさん触れる時期が来た。
テレビにも出るようになって、さらに今後の活躍を楽しみにしていた2009年。
まさか、あんなニュースに出会うとは思ってもいなかった。
そんなことがあって15年。
高橋幸宏が、「今だったら話せることがあるんじゃないの」と言ったことがきっかけで、映画「トノバン」が作られた。
観ていて、実のところ辛くなってしまった。
自分は双極性障害もちである。
医師にかかっているが、「ただのうつ病の人は、自殺しない」と言われたことがある。
「うつ病と双極性障害を見誤ることで、抗うつ剤を飲んだ人が行動に起こしてしまうのだ。」と、診察やリハビリでの疾病理解のセミナーでは何度でも出てくる話だ。
映画の中で、幾人もの人が証言しているが、そのどれもが「双極性障害」の特性を示すものばかり。
そして見える、とても強い完璧主義。
自分と比較するのは烏滸がましい。
自分など、世の中の多くの人の記憶に残るような才能もなければ、多くの人に影響を与えるグルーブを作ることもできない。
それにしても、62歳という若さでの自らの旅立ち、別れは、たとえそれを肯定しようとも受け入れ難い。
しかしながら、わからないでもない。
どうしようもないと感じ、完璧主義が故に自分を許せなくなることによる選択肢として、選択することができるのだから。
しかしながら、改めて加藤和彦の音楽を追っかけてみたいなぁと思った。
自分にとっては、未知のものでもある。
未知のものは、何も新しいところだけに存在するわけではない。
ありがたいことに、歳をとると、時代や歴史といった全体を俯瞰した中で物事を捉えられるようになるところがある。
そこに、価値を感じることもできる。
当時は分からなかったことも、人として生きてきて若干わかるようになったこともある。
そんな今の自分で、受け止めてみたいという欲求が出てきた。
それは、今日の映画を見ての収穫なんだろう。