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20210727 1012枚という寿命・・・オールドデジタルカメラ遊び

去年の12月から使い始めたCanonのPowerShot SX100IS。

手に入れた経緯は、このnoteに書いた。

手に入れてから、電池を入れようとしたときに、昔入れた電池が液漏れをしていて、その結晶が蓋にこびりついてなかなか開けられないという状態だった。
しかし、少しずつ力を加えていく内に、開くことが出来たので、きれいに掃除をして使うことが出来るようになっていた。
ただし、電池が液漏れしたところについては、やっぱり腐食されていて心許ない感じではあった。
一応ヤスリがけをして、ひどいさびは取り除くことが出来た。

そんな感じで使い始めたPowerShot SX100IS。

昨日、電池の残量の警告がディスプレイに出た。
電池は交換したばっかりだったので、「おかしいな?」と思いつつ、撮影をしていると、残量の警告が出たり出なかったり。
一通り撮影したあとに、電池を交換しておこうと思って電池ぶたを開けたところ、ボロボロっと電池蓋がばらけてしまった。

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よくよく見ると、ネジが一本どこかに飛んでいってしまって見当たらない。
金具を抑えていたネジが腐食して強度がなくなって、蓋を開けた際にどこかへ飛んでいってしまったようだ。
それと同時に、中のバネも出てきてしまった。
さらには、電気の通り道の金属板が腐食していたところで折れてしまった。
こうしたものの修理はちょっと大変そう。
ネジを見つけ、ちぎれた金具のところを半田付けかなんかをして組み立てることが出来れば、使うことは出来そう。
修理する部分といえば、それだけ。
Canonに持って行って、修理してもらえるのだろうか?
流石に2008年のカメラだから、部品もないだろう。

となると、自力で治すことができない限りは、残念ながらこれでこのカメラの命は潰えることになる。
撮影枚数は1012枚。

何年も電池を入れっぱなしで放置しておかなければ、もっと使えただろうに。

さて、このままならガラクタのカメラである。
どうしたものかと考えてしまう。
どうも、壊れてしまったものにも執着してしまうところがある。
治すことが出来るのなら、使えるのに。
デジタルカメラの機能のところについては、全く問題がないのに。
そんな風に、つい考えてしまう。

カメラは耐久消費財であるとの意識が自分の中にあるからなのだろうか?
そんな考えは捨ててしまった方が良いのだろうか?


追記(2021年8月4日)

ある方のご厚意でジャンクのカメラを送っていただき、手に入れることが出来た。
そして、無事に修理が出来て再び使えるように。
感謝の気持ちでいっぱいである。

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