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何でもない日常も過ぎ去ると忘れ去られてしまうと言うが・・・

自分は、日常の事に対しての記憶力が良い方だという事に、最近気がついた。
記憶力が良いからこそ、フラッシュバックが起こるとのこと。良いことばかりではない。それで気分がかなり落ち込んでストレスがたまることも多々有るのだから。

それが普通じゃないことに気がついたのは、車の運転をするようになってから。
クルマの免許を取る前、父の運転するクルマの助手席に座って連れて行ってもらった道は、大概覚えていた。
地図を見ずとも、だいたいわかる。
当然、初めて行くところは地図を見たりもしたが(当時はカーナビやスマホでグーグルマップを使って調べるなんていう事はなかったので)、大体の道筋を覚えると、運転に集中してたどり着くことが出来た。

タクシーの運転手さんが使う裏道を覚えておいて、自分が運転するときに使うという事もする。1回通ったところは覚えられる。

そんな事を職場の人に話をしたことがある。
スゴイと言われた。
そんなにすごいことなのか?とも思う。
こんな能力、活かす仕事など、もうすぐ自動運転などがどんどん進んで絶滅してしまうのではないかと思ったりもする。

最近、そうした日常の記憶の中にある風景とのずれで、「?」が浮かぶことが多くなった。あまり出歩かなかったり、車で遠出をしなくなったこともあるかもしれない。生活圏が変わったことで滅多に使わない道というのもあるかもしれない。長い間、運転をするようになったというのもあるだろう。それだけ歳を取ったという事なんだとも思う。

風景の中に違和感を感じるとき、何かがなくなっていることが多い。
そして、なくなったときに「あそこに何があったのか?」ということを思い出すことが出来ないこともある。

ただ、風景を思い出すと、不思議と胸が熱くなってしまう。
当時のことを思い出して、一生懸命に生きていたりしていたことがあふれかえってくるから。これもフラッシュバックの一種なんだろう。

時代が変わっても、風景が変わっても、その土地の記憶は大切にしたいという想いが根底にある。変わってしまうことに寂しさがある。これも、一種のこだわりの一つかも。

そうして、心が揺れ動いてしまう。

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