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支援者として大切にしていること

支援者として、色んな人の人生に関わらせていただく。

長い人生の少しの時間ではあるけれど関りをもたせていただく。

関りはわずかかもしれないが、その関わるご本人の長い人生をさかのぼると様々な歴史があり、色んな人間関係があり、複雑に絡み合った深い思いなどを知ることがある。

ご本人を取り巻くご家族やら地域のこと、その方の歴史を知ると色んなことが複雑でどんな道がよくて、どういう風にアプローチをしていけばいいのかなと考えあぐねるときがある。

関係者同士で何度も会議を重ねる時もある。

アプローチに対して足並みをそろえたい時とか、本当に煮詰まってしまい、事態が膠着しているけれど、現実がどんどん変化していき、本当は早く状況を変えていった方がいいようなケースなど(わかりにくい表現をしてしまっているなと思う。上手く言えないけれど例えば虐待のケースなど。)本当に頭を抱える。

先日、関係者たちと会議をして、自分の人間関係に対する思いの癖などに気づいた。

私は、多分色んな人の人生の先々まで見据えすぎてしまい、核心に迫るまでに時間をかけすぎることがあるのだな、ということだ。
それは悪いことでもないとは思う。支援する中で、自分が大切にしていることなのだろうなと気付いた。

核心に迫っていくまでに長い時間をかけて、周囲の方たちと信頼関係を築いていく。そうやって、少しずつ色んな方の思いの芯に近づいていくようなやり方をするのだな、と思った。

本当は、もっと単刀直入に、サクッといけたらいいのかもしれないが、そういう風ではないのだなと思った。

だから、一つのケースに関わると関係機関の人たちと色んなお話をする。
すごく深いところまで話をするから、それなりにいい関係性ができ、事態があまり動かなくても周りの人との協力体制は強固なものになっていく。


だけど、対人間で、やっぱりとても難しい。

色んなことが難しい。

人ってそんなに変わらないし、我々ができることはたかが知れているのだ。

ちょっとした隙やチャンスを狙って、心に入り込み、信頼を得ていきながら支援を進めていくという地道なことの繰り返しなのだ。

支援に関わる人間関係つくりも同じようなところがあるなと思った。

仕事を通して、自分の支援への思いや方法を誰かに伝えていく中で自分の癖を知り、自分をよく知るというようなことがある。

人が生きていくなかで感じるであろう色んな感情に思いを馳せるから、なかなか動けなくなってしまう。

思いを吐き出してもらい、そこで気持ちをほぐしてからでないとなかなか動けないなと思うことがある。

人が感じる思いにとても興味があるのだ。

そこをきちんとわかりたいなと思うし、そこをわかろうとする中で、どんな道がいいのかなと共に考えていくようなやり方をしたいのだと思う。

日々、学びがたくさん。

私が支援者として、大切にしていることに気づいたので今日は書き記しておこうと思った。


読んでくださり、ありがとうございました。

そら

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