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人生の正しさへと導くマップアプリを開発してください。

結局のところ、じぶんの欲望に従い生きるしかないのでは?

この場所にいるじぶんが好き。これをしてるじぶんが好き。この人といるじぶんが好き。

じぶんに迷い、じぶんを疑う。世間の感覚とズレている気がして焦る。見えない将来に経験からなる不安を重ね見て、なにを信じればいいのか分からなくなる。正解があってくれよ、と思う。誰か導いてよ、と思う。

欲望が満たされない。それって、自分らしさとはかけ離れた違和感が不安な気持ちにさせているんだと思う。自分を満たすことが出来ない行動や選択をとっている。偽りの自分に本能的に気付いていながら、自分らしさを犠牲にしている。

そんな時はじぶんを惨めに感じる。

方向音痴。

お母さんが私の話を誰かにする時、必ずする話がある。

「この子は入った店から出るとき、自信満々に来た道と反対方向に歩き出すのよ。」

私は方向音痴だ。しかも確信を持っているので迷っている事にすら気付いていない。タチの悪い方向音痴だ。

もちろん地図アプリを起動させている時はきちんと従うが、自信を持って間違う時はマップを何故か見ようとしない時。何故見ないのか、しっかりしている人にとっては謎だろう。私にも理由はわからない。

最近はこれが道にとどまらない気がして、その事が随分なストレスであり心が重くて重くて仕方がない。

何かを決断する時、私は直感に従う。「これだ!」と思う瞬間が絶対にあって、全身に電気が流れるような感覚が日々のなかで結構ある。服とか日用品とかを買うときもそうだし、新しい何かを始めようと大きな決断をする時、誰かを好きになる瞬間、必ず何かを感じて行動に移す。

ビビッと来ずただ好奇心で決めることも多々あるけど、大体は何かを直感している事が多いと思う。

ただ最近は、「自信満々に反対方向に歩き出している」のではないかと、自分を疑い始めている。

例えば「この人と親密になる気がする!」と直感し、実際そうなるのだが途中で嫌われるとか、傷付けられるとする。その時の私は「この人は私の人生に重要だって感じたから」の気持ちを、現実に根拠がなくても信じ、目の前の出来事を楽観視してしまう。いずれ分かる、この人には私が必要だ、と。

そうしているうちに現実はどんどん悪い方向に動いていても自分の意思がわからなくなり、自分を疑い始める。

困るのは、起動する地図アプリを持ち合わせていないこと。

このまま信じて歩いていいの?直感はこの道を行けと言っている、でも理性が引き返したいと願っている。誰か正解を教えてくれよ、と思う。

結局そうやって、勝手に信じた人に見事に裏切られている。何度か。

それでも懲りずに、「この人は違う」と理性とは反対に信じたい気持ちに従ってしまう。

バカだなと理性が言ってくる。誰か、「バカじゃないよ」って私を元気づけて、甘えさせて欲しい。

久しぶりに書くnote、これは備忘録。今回はいい文章じゃない。読みづらかったと思う。

それでもここまで読んでくれた人。どうか、私の頭を撫でて「だいじょうぶ」って言って。

2021.4.15

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