老女の騎士
「――気が変わったりしないか、エリザベス」
初老の男が渋い顔をした。昔から諦めの悪い男だと思っていたが、ここまで言ってなお引き下がるとは。貴族特有のポーカーフェイスを保っているがどこか縋るような目をする男に思わず軽く肩をすくめる。
「えぇ、変わりません我が主よ。私【わたくし】ももう歳です、現役で剣を振り続けるのはキツくてたまりません。それに、いつまでも老人が上にいると若いものが育たないでしょう。ババアはさっさと隠居して山の別荘で静かに余生を過ごしますよ」
私の言葉に目の前の男は今度こそ苦笑いを浮かべた。
「君は相変わらずだな、先代の頃から変わらない。強くて優しくて、冗談を言うのが好きな『我が最強の騎士』よ」
「ありがとう、敬愛する我が主。あなたも昔っから臆病で泣き虫のままですよ」
「はは……昔の話になると私のほうが不利だな」
「えぇ、当然です。あなたが子供の頃からずっと見守ってきましたから」
私が笑えば彼も笑う。部屋に明るい笑い声が響き渡る。
この家に仕えて数十年……騎士としての私の人生に何の不満もない。尊敬できる主に出会い、主のために剣を振るう。騎士としてこれ以上望むものはない。……彼も先代の主も私に結婚してほしかったようだが。
「それでは、失礼いたします」
一礼して部屋を出る。……ほんの少し肩の力が抜けた。今までずっと背負ってきたものが全て無くなる訳では無いが、重圧から開放されたのは確かだ。
「さて、いかがいたしましょうかね……。本当に別荘を買うのもいいかもしれません。山の中は不便でしょうし、街から少し離れた村とか? 畑を耕すのは大変かもしれませんが、やりがいはあるでしょうし。一度やってみたかったのですよね」
「エリザベス!!」
今後のことを考えつつ廊下を歩いていると、前から聞き覚えのある声が私を呼ぶ。顔を上げれば廊下の先から少し背の高い青年が足早に駆け寄ってくる。
「おや、坊っちゃん。廊下は走ってはいけませんよ?」
そう声をかけると青年は少しだけ拗ねたようにムッとした顔をした。
「坊っちゃんは止めてくれ。僕はもう成人しているんだ」
「そうでしたね、クリス様」
きちんと名前を呼べば青年――クリス様は満足そうに笑った。
彼はクリス・ウィルソン。この家の次男だ。内政に強い長男と違いクリス様は剣に興味があったらしく、よく騎士に鍛錬に混じって剣を振るっていた。私も何度も剣を交えた。真面目な彼はメキメキと頭角を現し、今ではベテラン兵と同じくらいだろうか。細く小さかった少年は今ではすっかり体躯の良い戦う体になっている。
クリス様は咳払いをしつつ、真面目な顔をした。
「エリザベス、お父様のところに行ったと聞いたが……本当に騎士を辞退したのか?」
「えぇ、そうですよ。私ももう歳ですから」
「何を言う。今の騎士団でエリザベスより強い者が何人いるか」
「何人もおりますよ。今後が楽しみなものも多くおります。それに、クリス様もいらっしゃるではありませんか」
「それは……そうだが」
モゴモゴと口ごもるクリス様に首を傾げる。いつもきっぱりと言い切る彼なのに珍しいこと。……こういう時は大抵、何か別に言いたいことがあるときかな。急かしても良いことはないし、黙って言い出すのを待つことにした。
「……なぁ、エリザベス。昔、僕は言ったことを覚えているか?」
「さて……歳のせいか物忘れが激しくて。何かありましたでしょうか」
「『大きくなったら僕と結婚してくれ』というものだ」
予想通りの言葉に小さくため息を付いてしまう。……無論、覚えている。剣を握りたてくらいの小さい頃、顔を真っ赤にさせた少年が私に言った言葉だ。可愛らしい子どもの戯言だと思っていたのだが、大きくなっても『結婚してくれ』と言うので私も困ってしまった。私に結婚願望は無かったから。
……良い人がいなかったわけでもない。そういう関係になった人もいた。しかし結局、私は結婚より仕事を取った。結婚すれば騎士を止めなければいけない――なんてことはない。結婚しても騎士を続けている同僚もいた。私が結婚しないのは私が臆病だからだ。騎士は常に命がけ、いつ死ぬかわからない。私は結婚した相手に「妻に先立たれる悲しみ」を背負わせたくなかったのだ。
「あなたは『大きくなって、坊っちゃんの気持ちが変わらなければ考えましょう』と言った。この通り、僕の気持ちは変わらない。あなたも我が家の騎士ではなくただ一人の女性になった。枷となるものは無くなった」
「…………。」
「エリザベス、僕と結婚してほしい。誰よりも君を幸せにすると誓う」
真っ直ぐな目を向けられ、私は視線を逸してしまう。彼は昔から純粋な瞳で私のことを見つめてくれる。若い時ならいざしらず、年を取り皺だらけになった老婆である私でもそれは変わらなかった。
「……あなたはウィルソン家の子、私のような老婆でなく若くて綺麗な貴族な娘を娶ることも出来ましょう」
「関係ない。見た目だけ美しい娘にどれほどの価値があるでしょう? 私はあなたがほしいのです」
「坊っちゃん……」
「坊っちゃんではない、私は大人だ。もう小さく泣いてばかりの子供ではない」
強い目だ。断固として引き下がらないという強い意志を感じる。……これは、私が何を言ってもダメだろうな。
「後悔なさいますよ。それでも同じ言葉を述べますか?」
「あぁ、もちろんだ。あなたが望むのなら何度でも言おう。……それに後悔などしない。あなたと共にいられるなら、どんな苦労もどんな非難も立ち向かう」
「『立ち向かおう』か……」
ここで「受け入れよう」と言わない辺り、クリス様らしい。思わず笑みを漏らせば彼もニコリと嬉しそうに笑った。
「では、早速式をあげよう! すぐに手配をしなければ!」
「坊っちゃん!? そ、そんな式など挙げなくても良いのですよ」
「いや、ダメだ。私はあなたの美しいドレス姿を見たいのだ!」
そう叫びながら体躯の良い青年がものすごい速さで廊下を走り去る。しばらく呆然としていた私だが我に返るなり慌てて彼を追いかける。このままだと屋敷中に結婚の話が広がってしまう。
「お待ち下さい、坊っちゃん! 坊っちゃん!!」
「ははっ、待つものか!! 僕は今日という日をずっと待っていたのだ!!」
クリス様は眩しいくらい良い笑顔でそう言い放った。今まで見た中で一番幸せそうな笑顔だった。
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