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【文フリ新刊】怠惰の魔王と少女【試し読み】

こちらは、文学フリマ大阪で出す「怠惰の魔王と少女」の冒頭部分になります。修正前のものになりますので、本とは違うことがあります。予めご了承ください。

 気がつくと、俺は冷たい地面に横たわっていた。
「…………?」
 あたりを見回す。視界に入るのは木と下草と薄暗い明かりだけ。他にめぼしいものはない。どこからどう見ても緑の深い森の中だ。
 首を傾げる。確か夜遅くまで仕事をして、家に帰るなりすぐ寝たはずだ。連日の残業で体が限界を迎えていたのだろう、殆ど気絶するように眠ったことを覚えている。……そう、家で寝たはずだ。こんな森の中で行き倒れた記憶はない。
 それに、なんだか体中がだるくて仕方がない。たしかに疲れているとは言えこんなに動きたくなくなるほどだっただろうか……。俺は重い体をゆっくりと起こした。
「…………??」
 立ち上がってみると、見慣れた視界よりずいぶん高い。背が高そうな木が自分の視界の下に見える。森から頭が出てしまったらしい。遠くの方までよく見える。どこまでも続く緑色に、この森はかなり広いらしいことが分かった。
 ……いや、それよりも、だ。
 視線を下に動かす。鱗の生えた太い手、鳥類のような太い脚。ふさふさした毛の生えた胴体。それに、視界の端でうねうね動く触手のような何か――。
 ……どうみても、『人間』の体ではなかった。
「――******!?」
 思わず驚きの声を上げたが、その声も人間のものではなかった。金属をこすり合わせたような、岩を転がしたような不快な声。化け物のうめき声だ。そのことに更に驚く。
 どうやら俺は化け物になってしまったようだ。しかも、複数の生き物が混ざりあった合成獣キメラと呼ばれるものに。
 どうしてこうなってしまったのか……。自分にはたしかに人間として生きていた記憶がある。間違いなくこんな化け物ではなかった。けど、どういう原理かわからないが俺は醜い化け物に生まれ変わってしまったようだ。……化け物が人間だと思いこんでいる可能性については蓋をする。あまり考えたくない。俺は人間、人間だ。
「(これから、どうすればいいものか……)」
 気だるく眠い頭をなんとか動かしつつ現状の確認に務める。少しでも理解できることを増やしたかった。もう一度あたりをよく観察してみる。この辺り一帯は森になっているらしく、木が見えるだけだ。少し遠くの方には低い山々が連なっているのが見える。開けた場所や、人工物のようなものは見えない。
 次に自分の体に意識を移す。手を動かそうとすれば鱗の生えた爬虫類の腕が動く。足を動かそうとすれば鳥類のような太い脚が地面を踏みしめる。……ちゃんと自分の思った通りに動くようだ。背中に意識を向ければ何かが動く感じがする。羽でも生えているのだろうか? 意識すればするほど視界端のうねうねが元気良く動く気がするんだけどコイツが背中に張り付いているとか言わないよな。……うねうねは意識の外に追い出すことにした。
「(……ん、なんだこれ?)」
 自分の体を動かしていると、ふと頭の中に『情報』が浮かんできた。記憶ではない、『情報』だ。まるで辞書を引っ張ってきたかのように文章として綺麗に整理されている。無理やり詰め込まれたのか意識して『情報』を引っ張り出さないと勝手に出てくることはなさそうだ。俺は逃さないように頭の中に集中して『情報』をかき集めた。
 それによると、自分は「魔王」という役割を与えられたらしい。なんとも恐ろしげな称号だ。だが、この化け物の体にはピッタリの呼び名だろう。思わず乾いた笑みが溢れる。俺は世界中の「怠惰」を一手に引き受ける「魔物たちの王」になってしまったらしい。
「――――ッ!」
 そう理解した瞬間、精神的な疲れがドッと押し寄せてきた。思わず膝をつく。立っていられないほどの強烈な睡魔だ。目を開けていられない。意識が徐々に塗りつぶされる。
 抗うことなど出来なかった。俺はそのまま気絶するように眠りについた。

目が覚めれば今までのこと全てが夢で、安アパートの一室で目が覚めるんじゃないかと期待していたがそんなことはなかった。意識が戻った俺が見たのは、天高く伸びる太い木の幹と空を覆い尽くす枝と葉だった。間違っても蛍光灯が切れかけた薄暗い天井ではない。
 深い溜息がこぼれる。自分はこの魔物の体で「魔王」として生きて行くしかないらしい。役割だの機構システムだのよく分からないが、それが「魔王」というもののようだ。
「(ねむい……あれだけ、ねむったのに……まだねむいなんて……)」
 頭がふらりと揺れる。よく眠ったはずなのに睡魔は消えず、ずっと気だるさが体中を這い回っている。どうやらこれが押し付けられた「怠惰」のようだ。体がだるくて重い。眠くてあたまにずっとモヤがかかっている。動くのも、指を動かすことすら億劫だ。少し散策に行こうと思っていた気持ちまで蝕まれていく。
 眠くて、だるくて、やる気が湧かない。何かをしたい、何かをやらなければと思っても気だるさが上回る。しばらく食べていないのでお腹が空いてもおかしくないのにそんな欲求も湧いてこない。……俺は、この感覚とずっと付き合っていかなければならないのか。
 ――怖気がした。
 言いようのない恐怖が足元からせり上がってくる。怖くて恐ろしくて気持ち悪い。気がつけば口から奇っ怪な叫び声を上げていた。
 ……こんな状況で一体何が出来る。もっと調べたいと思っていたのに、他の生命がいないか確かめたかったのに。……人間がいるのかどうか、探したかったのに。
 自分の意志が削り取られていく。睡魔に、怠惰に飲み込まれていく。心も体も重りがつけられ動けない。地面に体が縫い付けられる。
 ……もう、いいんじゃないか。諦めても誰に咎められるわけじゃない。動くのを止め、考えるのを止め、怠惰に身を任せて眠り続けるのはどれほど甘美なことだろう。
 でも、怠惰に身を任せるのは……なんというか「負けた」気がするのだ。何に負けるのかはわからない。どうも嫌な気分だ。自分は負けず嫌いだったのかもしれない。分からない。この体になってから分からないことが増えていく。
「……、……ッ!」
 なけなしの勇気を振り絞り、重い体をどうにか地面から引き剥がす。この「怠惰」に逆らおう。怠ける心に打ち勝とう。それが俺の当面の目標になった。

まず手始めに起きている時間を伸ばすことにする。動かなくても出来る反逆だ。
 寝ないように地面に座り、ぼーっと周りを見る。……これが意外と難しい。どうしても睡魔に逆らえずに気を失ってしまう。
「……ッ!」
 また、意識が飛んでいた。落ちた頭を上げて首を振り眠気を飛ばす。気がつくと意識を刈り取られているのだ、なかなか逆らうのは難しい。が、なんとなくコツを掴んできた。完全に意識を保とうとするから長続きしないのだ。半分寝ているような、夢現のような、寝起きでぼーっとしているときのような、そんな感じを意識する。
 俺は意識の半分だけ、「怠惰」に身を任せた。残りの半分は気合で起きる。「怠惰」に飲み込まれているので意識にモヤがかかり何も考えられなくなるが、なんとか半分は侵食されないように死守する。少しずつ、意識が分かれる。眠っている俺と、起きている俺。二つの相反する俺が、頭の中で共存し始める。……よし、上手くいってる。
 たった少しのことだったが、俺は無性に嬉しくなった。やる気が起きない、起こせない俺でも出来ることがある。それが何よりも嬉しかった。
「(すこし、このまま、あるいてみよう)」
 ゆっくりと立ち上がる。ふらふらするが、耐えられないほどではない。そのまま森の中をゆっくりゆっくり歩く。相変わらず視界が高くて慣れないが、景色はいいので気分はいい。耳をすませば鳥のさえずりが聞こえる。木々の隙間をよく見てみれば見たことがない生物が動いているのを見ることが出来た。
 あてもなく彷徨い続ける。見たことがない生き物の姿、生き物の声。光を反射する綺麗な川。変な植物に見慣れない色の付いた霧。異世界に来た実感がようやく湧いた。この体になって初めて感じた「喜び」だ。
 気分良く徘徊していた俺だが、この体が不便に感じるようになった。前世では二足歩行の人間だったが、今は四足歩行の合成獣だ。あまりにも生態が違いすぎる。ぶっちゃけ歩きづらい。手足を動かす感覚も変な感じだし、しっぽがあるっていうのもむず痒い。あと、背中でうねうねしているものが言いようもなくぞわぞわするのだ。いや、お前が自分の意志で動かしてるんだろと言われればそうなんだけど、やっぱり自分の体に触手がついているのはなんとも……。
 もっと体を小さくしたい。できれば人型になりたい。そう思った俺は色々試してみることにした。自分の体に意識を向けて、どうなっているのかを把握する。複数の生き物の複合体のような姿をしているが、根本的には一つの生物らしい。継ぎ接ぎなわけでも分裂ができるわけでもないようだ。……うねうねだけ体から切り離すとかも出来ないらしい。残念。
 色々体の中を調べていると、妙な力を感じるようになった。何か液体のようなものが体を巡っている。血かと思ったがそうじゃないようで、「情報」を無理やり引き出したところこれは「魔力」と呼ばれる力だそうだ。……「魔力」。とてもファンタジーな響きだ。つまり、魔力を使った魔法なんかもこの世界には存在しているのかもしれない。少しワクワクしながら更に「情報」を引っ張り出す。どうやら「魔力」を使えば姿を自由に変えることが出来るようだ。早速試してみることにする。
 体中に魔力を張り巡らせる。滞りなく、一定の濃度になるように。体全体が魔力で満たされたことを確認した俺は、脳裏に自分のなりたい姿をイメージしていく。この森の木より低くて、二足歩行の生物。細かい部分はどうしてもイメージしきれないので、前世の自分の姿をなんとなく思い出す。手の数指の本数、顔のパーツなどをイメージしていくと、体がどんどん熱くなっていく。熱くなった部分から徐々に体が変わる。青い鱗が消え、見慣れた人間の肌色に。モフモフした体や鉤爪のある足も人間らしくなっていく。しばらくしないうちに体の熱がなくなり明らかに自分の体積が減った。視線はさっきよりも低い。手を目の前にかざしてみる。見慣れた大きさの五本の指がついた普通の人間の手だ。見下ろせば鱗も毛皮も鉤爪もない。ごくごく普通の人間の体がそこにはあった。
「――よしっ!」
 思わずガッツポーズをする。喉から出る声も怪物のうめき声ではなくなっていた。嬉しくてつい顔が緩む。照れ隠しのように頬をこすっていたが、頭が少し重いことに気づいた。
「……うわ、なにこれ」
 頭を触ってみると硬いものにぶつかった。何だこれ。なでてみると硬いものがぐるりと渦を巻いて天に伸びている。……立派な角だった。
「(もしかして……)」
 嫌な予感がして慌てて背中を見てみると、視界の端にコウモリの羽のようなものが見えた。三対六枚ほど。意識を向ければバサリと羽が動いた。間違いなく俺の体にくっついている。それによくよく見てみれば自分の爪が少し長いような気がした。鋭くとんがっているというか、引っかかれれば「痛い」では済まされない形だ。
「(つまり、人型になれたけど『魔王らしさ』からは逃げられなかった、と)」
 思わず頭を抱えてしゃがみ込む。これじゃあ人間とは呼べない。せいぜい人の形をした化け物だ。思っていたものと違う。期待していた分落胆も大きい。……気持ちが落ち込んだからか、「怠惰」が一気に押し寄せてくるのを感じた。
「ぐぅ……!」
 津波のように押し寄せてくる「怠惰」を必死に押し返す。今のまれれば今まで頑張ってきたことが水の泡になってしまう。それだけは避けたい。何度も何度も意識が遠のきながらも、俺は「怠惰」を追いやることに成功した。脳内の勢力図も半々になった。これで問題ない……はずだ。
 落ち着いた俺はそのまま辺りの散策に戻る。自分の体のことはひとまずこのままにしておくことにした。魔王っぽい見た目をしているが異形の化け物よりはマシだ。
 人間らしさを取り戻した俺は上機嫌になった。不注意になったとも言える。気の向くままに歩いていると不思議な泉にたどり着いた。底が見えるほど澄んだ水が滾々と湧き出ている。それ自体はおかしなところはないが、綺麗な泉から嫌な気配がするのだ。例えるなら日焼けして肌がヒリヒリするような感覚といえば良いのか。不快な感じが肌にまとわりついている。
 普段の俺なら絶対に近寄らなかっただろう。だが人型になって浮かれていた俺はそのまま泉に近づいた。近づけば不快感も増したが、水面が光を弾く光景が幻想的で不快感も気にならなくなった。薄暗い森も天を覆う木の枝も泉の前では道を譲るらしく、泉の上には青い空が広がっていた。
 現実味のない景色をボーッと見ていると、ぱしゃん、と水が跳ねる音がした。目を凝らしてみると泉の中に影が見えた。魚がいるのかもしれない。どんな魚がいるのか……異世界っぽい変わった魚が泳いでいると面白いな、など思いながら水面に近づき底を覗き込んだ。――それが間違いだった。
 泉を覗き込んだ瞬間、そこにいた魚によって跳ね上げられた水を顔にかぶってしまった。途端、顔中に激痛がはしる。
「ぐ、あぁぁっ!?」
 痛い、痛い痛い。顔を抑えて地面を転がる。うめき声が口の端から溢れる。痛くて痛くて耐えられない。俺は反射的に顔に魔力を集めてまとわせた。それが効いたのか徐々に痛みが収まっていく。しばらく魔力で顔を覆っていると完全に痛みがとれた。おそるおそる顔から手を離す。
「なに、が……」
 あったのか、という言葉は喉の奥に消えた。顔に触れた指がカサついたものに触れたからだ。慌てて顔をぺたぺたと触る。顔の半分……先程水をかぶったところの皮膚がおかしくなってしまっている。痛みは無くなったが、なんとなくヒリヒリするような、妙な違和感が残っている。
「(……これ、もしかして『火傷』したのか?)」
 自分の迂闊さに肩を落とす。厳密には火傷とは違うのかもしれないが、感覚としては似たようなものだ。命に別状は無かったにしろあまりにも迂闊すぎる。水をかぶっただけでこれなら、泉に落ちていたらどうなっていたか……。思わず身震いする。落ちればきっと、全身焼けたような痛みに悶ながら死んだだろう。恐ろしい。能天気だった自分が何よりも恐ろしい。
「(どうにか出来ないか……脳内辞書で検索してみるか)」
 自分の不注意で人型の体を傷つけてしまったことがショックだった。なんとか治す方法がないか「情報」を探る。何度か無理やり「情報」を引っ張ったのでコイツの扱い方にも慣れてきた。欲しい物を強く思い浮かべているとそれに近い「情報」が浮かび上がってくるのだ。
 「情報」曰く、体を治す方法は一応あるらしい。だがその方法は大量の魔力と大量の時間を必要とするものだ。長時間魔力に体を浸せば自己治癒で勝手に体が治る、らしい。そもそも「魔王」の体に傷をつけられるものはこの世界には早々存在していない。だからこそ治す方法も手間がかかるものしかないのだ。色々探ってはみたものの一瞬でパッと治す方法は見つからなかった。
 ……うん、面倒くさい。諦めよう。
 決断するもの早かった。「怠惰」な俺が長時間頑張ることは無理だ。人相がちょっと悪くなっただけで命に別状がないし、放っておいても問題はないだろう。……たぶん。
 それでも自分の迂闊さにため息が止まらない。過去を悔やめば「怠惰」の力が強くなるようだ。意識が朦朧としてくる。できるだけ深く考えないように、思いつめないように、俺は一度火傷のことを頭の中から追い出した。

それから俺は、ひたすら徘徊し続けた。山にぶつかることもあった。広い草原に出ることもあった。しかし、それでも緑一色の景色は変わらない。人工的なものは何一つ見つけられなかった。
 何より俺に流れ込む「怠惰」が徐々に強くなっていった。初めは意識の半分程度だったが、今では八割以上侵食されている。「怠惰」にのまれ気絶することも増えた。足を動かすより睡魔に負けて膝をつくことのほうが増えた。それでも俺は歩くのを止めなかった。寝てはいけない、寝たくない。「怠惰」になど負けたくはない。耐えるように足を動かし続けた。
 ……どれくらいこんな日々を過ごしたのか。途中魔物が襲いかかってくることもあった。俺に敵意を剥き出しにして攻撃してくるナニカもあった。けど、関係ない。俺の歩みの邪魔をする者は全てねじ伏せた。己の魔力と「怠惰」で全てを蹂躙した。魔物は潰れ、ナニカは原型を留めていなかった。
「…………。」
 魔物が死んでも、ナニカが死んでも、俺は何も思わなくなった。初めは「可哀想」とか「やりすぎた」とか思っていたはずだ。けれどいつからかそんな感情も消え失せた。ただ「面倒」としか思えなくなった。
 何度も襲われては殺し、襲われては殺し……次第に殺すのも面倒になった。足を止めたくなくて、全て無視することにした。無視をすれば足を止められることもなくなり、歩き続けることが出来るようになった。何かが肌にぶつかり血が出るが関係ない。気にするのが面倒だ。それも無視していればいつの間にか血が出ることもなくなった。更に歩きやすくなった。
「やぁ、最古の魔王よ。こうして会うのは初めてだな?」
 道の先に、ナニカがいる。魔物と魔物を合わせたような姿。何度か見たナニカだ。俺は反射的に腕に魔力を込めそのまま横薙ぎにした。
「――?」
「おっと、鋭い良い攻撃だ! だが、我様ほどではないな」
 いつもなら終わるはずなのに、ナニカはまだそこに存在していた。もう一度魔力を腕に込め――やめた。構えた腕を下ろす。
「おや、我様の実力に感動して攻撃をやめたか。さすがは最古の魔王だ、見る目がある。我様ほど素晴らしい魔王は他にはいないだろう。我様もお前ほど力の強い魔王と相まみえる日が来るとは思っていなかったぞ! ……いや、それは嘘だな。我様の目には全てがお見通し、ならばこの出会いも必然であろうというもの」
 俺は気にせず足を動かす。止まってはいけない、歩き続けなければ。
「どこへゆくのだ、最古の魔王? 我様はここにいるぞ? ふむ、あちらにお前が気にするほどの物があるというのか。我様の目には何も映っていない……だが、あぁ、分かる、分かるとも! 何もなくとも『何もない』がそこにあるというのだろう! 価値のないものなどこの世にはない! 全て等しく意味があり、その全てが我様のものなのだ!」
 ナニカは高笑いをしながらついてくる。何かを囀っているが興味がない。ただ、歩く。足を前に動かす。止まらないことだけを考えて、動き続けることだけを考える。
「あぁ、それにしてもなんとも悲しい生き方だ、最古の魔王よ。己の全てを捨て、世界に身を捧げるとは! 他の魔王ならばその溢れる『欲望』に押しつぶされ、すでに身を滅ぼしているだろう……しかし、お前は全て受け止めている! 何千年と続くしがらみの全てを受け止めているとは、この我様をもってしても驚嘆に値するぞ! だが、だがしかしだ! 欲望を身に宿しすぎた所為ですでに精神は擦り切れ、まともな思考は出来ていない! あぁ、そこまで身を削るのか、最古の魔王! この世はお前の献身に何も返さないというのに! 我らから搾取するだけだというのに!! あぁ! その姿こそまさに魔王、まさに世界の生贄よ!」
「――――。」
 騒がしい、うっとおしい、面倒くさい。
 俺は何かに手をかざす。俺が常日頃抱えている「怠惰」を腕に集め、そのまま放出する。「怠惰」の塊を受けたナニカはそのまま後ろへ吹っ飛んだ。横目で確認し、俺はまた歩き出す。
「――おぉ、さすがの魔力よ、最古の魔王」
「…………。」
 俺の隣で、ナニカが笑っている。……おかしい。俺は確かに吹き飛ばしたはずだ。ただ魔力をぶつけただけではない、「怠惰」を込めた魔力をぶつけたのだ。普通ならその欲望に抗えず永遠の眠りにつくというのに。それに、一体いつ移動した?
「……フフッ。ようやく我様を見たな、最古の魔王」
 黒い塊のナニカが不敵な笑みを浮かべた。俺は静かにその物体を見据える。
「我様としても、お前と敵対するつもりはないのだよ。最古から存在する最凶の魔王とやらがどんなものか見てみたくなったのだ。そうだろう? 我様は最高の魔王だが、それでもお前の『欲望』には負けるのだ。後から生まれた我様が負けるのは当然だが、そこに何も思わない我様でもない。我様はいつかお前を越え、真に最高の魔王となるのだ! そのためなら、あぁ! お前の魔力を喜んで受けよう! その抗いがたい『欲望』に全て耐えてみせよう! それがすなわち、我様の生きる糧なのだ!!」
「……うる、さい」
 ナニカは高らかに笑う。それが耳障りだった。耐え難い不快感だった。……故に、俺は容赦しなかった。
「『眠れ、眠れdeep sleep』」
 相手に魔力を叩きつける。相手の体を俺の魔力で満たす。膨大な魔力を持つ俺だから出来る力技。体中に「怠惰」を叩きつけられたものは意識を保っていることが出来ない。その欲望に全てを飲み込まれる。そして、そのまま二度と目を覚ますことはない。……本来なら、そうなるはずだった。
「ふ、ふふ……ふは、ははは! なん、という……暴力。なんという……『欲望』よ!」
 俺の予想に反して、ナニカは倒れることはなかった。必死に「欲望」にあらがっている。ふらついてはいるが、まだ負けていない。「欲望」に屈してはいなかった。
「……お、どろ、いた」
「ほ……ほう! 最古の、魔王を驚かせる、とは……流石は、我様よな! この、程度……我様が抱える、『欲望』にくらべれば……なんという、こともないさ!」
「…………くら、べる」
 首を傾げる。ナニカの言っている意味がわからない。欲望に違いなどあるものか。「魔王」が押し付けられる「欲望」に辛くないものなどあるものか。
「ふ、ふふ、我様に興味を持った、か? そうだろう、そうだろう! この我様を放っておくことなど出来るはずもない! 世界の全てが、我様を欲しているのだ! だが、しかし! 欲しているのは我様だ! 世界全てを手にしているのは我様なのだ! この素晴らしき世界は全て、我様のもの!」
 これは、一体何を言っているのだろう。『素晴らしき世界』? 素晴らしいものなんてない。この世界はクソだ。一つの生命にこんな「欲望」を押し付けるなんてクソ以外の何物でもない。俺が生きているのは、単に負けたくないからだ。こんなクソみたいな機構システムに負けるのが嫌だからだ。早く死ねと言わんばかりの世界に真っ向から反抗しているだけだ。
 俺の反逆が、俺の反抗が、世界を守るための献身であってたまるか。
「故に! お前も我様のものなのだ、最古の魔王!」
 拳を振るう。両手を広げ、高らかに笑うナニカを殴り続ける。吹っ飛ぶナニカに追いすがり、更に殴る。殴る。殴る。もとより形が定まらないナニカは俺が殴るたびに形を変えていく。あるときは硬いものに。あるときは柔らかいものに。原型がなんだったか分からないほどに変形してしまったが、俺は殴るのをやめなかった。
 ……どれほど殴っていただろう。急に面倒くさくなり、俺は殴るのをやめた。足を止めて相手をすることに疲れたのだ。いつの間にか馬乗りになっていた俺はナニカから降りる。
「ふふ、ふ……」
「……し、ぶと、い、な」
 あれだけ殴ったにも関わらず、ナニカはまだ意識があるようだった。溜息がこぼれる。なんでこんなにタフなんだ、この生物は。……そういえば、ナニカは自分を「魔王」と名乗っていたようなきがする。俺の他にも魔王がいたのは知識として知っていたが、「魔王」だと「認識できた」のはこれが初めてかもしれない。今まで俺に突っかかってきたナニカも、もしかすると魔王だったのだろうか。
 まぁ、どちらでもいいか。俺には関係ないことだ。止めていた歩みを再開する。頭のモヤが強くなる。これに侵食されれば「俺」という存在が消えてしまう。だから、動き続けなければ。
「さすがは、我が『宿敵友人』よ……。お前こそ、我様の隣を歩くのに、ふさわしい……。我様の、対等なる存在……」
 後ろで声がするが、否定するのも拒否するのも面倒だ。こいつを相手にするぐらいなら適当に受け流すほうが楽だろう。なら、無視するのが一番だ。
 ……この時はこれまでの関係だと思っていた。だがしかし、俺を『宿敵友人』と呼ぶナニカ――「傲慢の魔王」は、度々俺の前に現れては「力比べ」と称して襲いかかってくるのだった。

俺の日常は「怠惰」に耐えることに加え、「傲慢」の襲撃を躱すことが増えてしまった。ただでさえ押し付けられる「欲望」を耐えることに必死だというのに、他のことに意識を割く余裕なんてない。アイツはそれを知ってか知らずか笑いながら攻撃してくるのだ。フラストレーションが溜まるのは必然のことだった。
 このときの俺はいつも以上にイライラしていた。「怠惰」の感情を上回るほど不愉快でたまらなかった。自分自身ではどうすることも出来ないというのが更にイライラを加速させた。
 「怠惰」とイライラでメンタル最悪の俺の目の前に、それは現れた。
 森より巨大な体躯。天を覆う飛膜。頑丈な鱗。裂けた大口。鋭い目。こちらをにらみつけるそれは、いわゆる「ドラゴン」と呼ばれる存在だった。「情報」によればこの世界で最強の生物らしい。
 強い目でこちらを睨んでいたドラゴンは大きく息を――いや、大気中の魔素を吸い込み始めた。大技を撃つつもりだ。
 普段の俺なら適当に受け流していただろうが……この日は虫の居所が悪かった。
「――じゃ、ま」
 足に力を込めて空中に飛び上がり、今まさにブレスを吐き出そうとしているドラゴンの横っ面を全力で殴った。
『GYAAAAAA!?』
 巨体が大きく揺れ、地に倒れる。俺はそのままドラゴンの上に降り立つと、体中の魔力を一点に集めドラゴンにぶつけた。
『―――GYAAAA!!』
 うめき声が聞こえる。当然だ。俺の魔力がドラゴンの体を侵食しているのだから。違う魔力を体に入れるということは、自分の自我を奪われるということ。抗うことが難しい、凶悪な技だ。
 それでも相手は腐ってもドラゴン、これだけでは致命傷にならないようだ。なら、致命傷になるまで攻撃をし続けるだけだ。
 俺は今までの鬱憤を晴らすようにドラゴンを殴り続けた。鱗が割れ、血が吹き出してもお構いなし。頭から血を被ろうとも知ったことではない。ただ、殴った。己の中の不快感を吐き出すために、押し付けられる「怠惰」を忘れるために。
 気がつくとドラゴンは原型を留めていなかった。何かの肉の塊のようで、ドラゴンと言われなければわからないだろう。
「…………。」
 頭の中がスッキリしたのを感じる。大暴れしてイライラもなくなったようだ。相変わらず「怠惰」はそこにいるが耐えられないほどではない。ある意味いつも通り。
「…………。」
 視線を下に動かす。問題はこの肉塊をどうするか、だ。あろうことかこんな状態でもこのドラゴンは生きているらしい。流石世界最強の生物だ、しぶとすぎる。
 俺は肉塊の端――おそらくしっぽだったであろう部分を鷲掴み、山脈の方へと歩く。この迷惑なドラゴンを放っておいたらまた襲ってくるかもしれない。なら二度と襲ってこないよう、俺は山の中に閉じ込めることにした。他に適当な手段を思いつかなかったというのもある。……まぁ、山の中なら入るだろう。穴を開ける必要はあるが……面倒だが、やるしかない。
 いつもより急ぎ目に向かえば、すぐに山脈の麓にたどり着くことが出来た。一度そこで肉塊を起き、右手に魔力を込めて山肌を殴る。大きな音を立てて山が爆発した。降り注ぐ岩を手で払う。一応、それらしい穴は空いた。後はこの肉塊を詰め込むだけだ。両手でなんとか押し込み、そのまま岩やら木などで穴を塞ぐ。そして最後に大量の魔力を穴を塞いだ部分に込めた。俺の魔力がどんどんなじんでいく。最後はもとの山と変わらない姿になった。
「よ、し……」
 これであの物体が外に出てくることもない。面倒な襲撃者はあの『自称・宿敵友人』だけで十分だ。
「う……っ」
 急に暴れたからか、それとも大量の魔力を消費したからか。急激に「怠惰」が俺を侵食してくる。抗いきれずに膝をつく。
「……、…………」
 体が重くてだるくて仕方がない。もう、指一本動かしたくない。……自分に限界が来ていることは、自分が一番わかっていた。これ以上歩き続けることは出来ないだろう。
 ……俺も、覚悟を決める時が来たのか。
「…………。」
 倒れるにしてもあのドラゴンのそばで倒れるのは嫌だった。出来るだけ山から離れる。どこか遠くへ、静かな場所へ。永遠の眠りにつくなら、せめて景色のいい場所が良かった。

あの火傷をした泉の近くまで戻ってきた。景色のいい場所と言われて思い出せたのはここだった。泉のほとりに腰掛ける。「怠惰」がすぐ後ろに迫っている。意識はもうほとんどない。
「(早く、やらないと……)」
 意識が落ちる前に俺は地面に手を当てて魔力を流し込んだ。徐々に俺の魔力で満ち、辺りが俺の領域になっていく。
「(……できるだけ硬くて頑丈な、洞窟っぽいものがいいか)」
 頭で完成形を思い浮かべる。意識が混濁し始めた頭では細かい部分まで想像することはできなかったが何とかなるだろう。俺はそのまま込める魔力を増やしていった。
 自分の魔力が込められたものは自由に変化させることができる。その性質を使って地形をを変形させるのだ。俺が魔力を動かす度、大地が波打つように隆起しその姿を変えていく。……もっと大きく、もっと高く。俺はひたすら魔力を込め続けた。
 どれくらいかかったか。泉のそばに岩の塊ができていた。大きさは小山くらいだろうか。思ったより大きくなってしまったが小さいよりはマシだろう。
 俺は最後の仕上げに岩山に穴をあける。細かい石が飛び散るが気にせず穴の中に入り、そのまま横たわった。
「…………。」
 すぐに「怠惰」が襲い掛かってきた。意識が闇の中にのまれる。もう一秒だって起きていられない……起きていたくない。
「……ま、だ……」
 完全に引きずり込まれる前に最後の力を振り絞り入り口である穴をふさいだ。世界が暗闇と静寂に包まれる。
 ――こうして俺は、永い眠りにつくことになった。

・・・

続きは「文学フリマ大阪」の新刊をよろしくお願いいたします。
https://c.bunfree.net/p/osaka10/24619

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