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ユヴァル・ノア・ハラリ著「21Lessons」

ユヴァル・ノア・ハラリという世界的な作家がいます。

wikiでは

ユヴァル・ノア・ハラリ (1976年2月24日 - )は、イスラエルの歴史学者。ヘブライ大学歴史学部の終身雇用教授[1] 。世界的ベストセラー『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』、『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』の著者。著書では自由意志、意識、知能について検証している。

とあります。また、ヴィパッサナー瞑想の実践者であり、

2000年、オックスフォード在住中にヴィパッサナー瞑想を開始し[11]、それが「人生を変えた」と語っている[12]。著書『ホモ・デウス』では献辞として「S・N・ゴエンカに捧げる」とされている。

とあります。

彼の作品を読むと、その知識量と抽象度の高い思考に、圧倒されます。

さまざまな 分野の知識が彼の頭の中で競合し、新し視点を見出してくれます。

「サピエンス全史」「ホモデウス」「21Lewssons」という作品を書いていますが、私は最新作である「21Lewssons」が最も印象的でした。


というのも、彼が言いたいのは「物語(虚構)を信じるな」、ということで、

本書に収められている21章のなかで、最も多くのページ数が割かれているのは「意味――人生は物語ではない」と題された第20章だ。そしてそれに続く最終章のテーマは「瞑想――ひたすら観察せよ」である。

という解説サイトにもあるように、三部作と通して、最終章「瞑想――ひたすら観察せよ」を最も伝えたかったのだという印象を受けました。

そして、それが最も今の時代に大切なことだということも私自身感じています。

そんな本書の私の気になった個所を、引用してみます。

『あなたは思考や感情を経験するが、それらを支配していないし、所有もしていないし、そのどれでもない。人々は、「私は何者なのか?」と問い、もポン語りを聞かされることを期待する。自分について真っ先に知っておく必要があるのは、あなたは物語ではない、ということだ。』
『・・・いったい何が人生を一つにまとめているのか?もしその答えが分からなければ、人生は理解できないし、死など理解できるはずもない。何が人生を人生を一つにまとめているのかを発見したときにはじめて、死にまつわる大きな疑問の答えもあきらかになるのだ。                            「魂が誕生から死まで持続し、それによって人生を一つにまとめている」と人は言うが、それはただの物語にすぎない。あなたは一度でも魂を目にしたことがあるだろうか?これは、死の瞬間だけでなく、どんな時ににも調べることが出来る。一瞬一瞬が過ぎ、次の一瞬が始まる時に何が起こるかを理解できれば、死の瞬間に何が起きるのかも理解できる。たった一回のこきゅの間、自分を本当に観察できれば、すべてが理解できるだろう。』

物語がくだらないとか、価値がないということを言っているわけではありません。

人類は虚構(物語)を作ることで、貨幣を生み出し、資本主義、社会主義、宗教、を生み出し、科学を発展させ文明をつくってきました。

家族の存在、友達の存在、やりがいのある仕事、そして一般的に言われる魂や死後の世界とういうものは、全て物語として集約されます。

大好きな人を表現するとき、人はその人のひたむきさ、努力家、素直さ、可愛らしさ、美しさ、正直さなどで、表現します。

それはその人との関係性から生じた解釈です。解釈は物語と一体です。

一方、身長、体重、血圧、血糖値、脳波、心拍数などもその人を表しますが、一般的には必要な時にしか表しません。

この例からも考えられることは、私たちは、物語的な存在であるということです。

私たちは、物語の中に生き、物語の中で死にます。

つまり虚構である物語も同様に、すべて美しく、価値があります。

が、

それらは「気づき」という意識がなければ存在さえもしません。

その「気づき」は今ここに、常にすでに、無かったことはありません。

気づきが無ければ物語は、発生しません。

気づき、意識が物語を紡ぎ、繋ぎます。意識の上で全ての物語が、つまり全ての人間と事象が展開されます。

ハラリがいうように、これからは意識の時代であり、意識の探求と研究が重要になっていきます。

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