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物理現象を「解釈」する主体

※前回までの流れに沿った記事です。
これ単体でも読めますが、よろしければ前回以降までの記事もよんでみてください。

この記事の冒頭にある写真を、「ハートの形をした洞窟の天井」と解釈するのは、ハートという概念を知っている人間だけでしょう。

動物や植物、そしてハートの形の概念がない人間にはその面白みはわかりません。

小さな素粒子・大きな宇宙

素粒子原子核研究所

この画像(ウロボロスの蛇)には、頭に近いほど大きなモノ(地球→星→宇宙)しっぽに近いほど小さなモノ(細胞→原子→素粒子)が書いてあります。 頭がしっぽをパクッと食べている様子が、宇宙と素粒子の研究が密接にかかわっていることを表しています。
素粒子は、世の中で一番小さなモノ・それ以上細かく分けられない(と現時点で考えられている)モノです。 その小さな素粒子を研究するため、研究者は全長何キロにも及ぶ巨大な加速器を建設します。 そして、加速器を使った研究が、広大な宇宙の誕生の謎を解明するカギになっているのです。

素粒子原子核研究所

物理現象はすべて、人間の網膜に写っている情報現象

上図は、「5人間」のレベルから観察される、身体や外界の物理的宇宙の様相を簡略して絵にしたものです。

人間が、「4DNA」レベルなどのミクロの領域を観察するには肉眼では観察できないので、電子顕微鏡や、概念的な数式を用いてその世界を観察します。

また、「6山」以上のスケールを観察する際には、実際に肉眼で観察するレベルでは限界があるので、こちらも望遠鏡などを用いることや、銀河宇宙以上になるとハッブル望遠鏡やそれ以上の巨大な望遠鏡を用いて観察するしかありません。

何が言いたいかと言えば、物理的現状においても、直接五感で確認できるレベルはたかがしれており、電子顕微鏡のような何らかの媒体を用いてでしか、私たちの宇宙を観察することはできません。

つまり物理世界を観察するにしても、それは直接的な経験はできません。必ず概念的な要素が絡む観察ということです。そして、そこで世界を観察した結果は植物や動物、人間のDNAにしろ、何億光年離れたアンドロメダ銀河の光景にしろ、すべて「情報」です。

どれくらい小さかろうが、どれくらい巨大だろうが、サイズは関係なくそれらはすべて情報です。

これらは映画のスクリーンに映った映像と同じです。その差は映画のスクリーンに映る情報なのか、眼球の網膜に写った情報なのかの違いです。

そして、二重螺旋のDNAの画像や、何十億光年先の銀河の画像なのかを見て、その関係性や意味を理解できるのは、
つまりDNAを生命の設計図だと理解し、銀河を宇宙空間に浮かんでいる星々の集まりだということが理解できるのは、人間だけです。

「解釈」は生命現象が行う

なぜ人間はそれが理解できるのかというと、先祖が蓄積した巨大な知の体系である生物学や宇宙物理学の知識を人間が学問的・文化的に共有し、持っているからDNAや銀河の意味が理解できます。

その学問的・文化的な知識がない3歳の子どもにはまだその意味は理解できません。なぜならその子どもはまだそれらの情報を理解できる文化的な背景を脳と心にインストールしていないからです。

例えばPCにデータを解凍し変換するソフトがなければ、ただの情報の塊にしか過ぎません。子どもがDNAや銀河の情報を理解する為に、解凍・変換するソフトが学校や社会で学ぶ勉強や習慣です。
人間の社会で言えば、これらの情報の意味を理解し、共有し、運用するようになるために、子どもは人間社会で学習を続けます。

言い換えると、そのような文化的・学問的・宗教的な背景を共有しえない動植物は、DNAの画像や銀河の画像を見ても、ただの模様というようにしか解釈できません。

ちなみに、高度に進化した地球外知的生命体などは、地球での学問や文化的背景を学習していなくても、その意味は理解できることが出来るでしょう。

なぜなら「DNA」や「銀河」は人間という抽象度を超えた高い情報であり、地球にまでコンタクトができる生命体ならば当然それぐらいの本質的な情報の理解はできて当然だからです。

解釈する関数によって、その結果は異なる

つまり目の前に広がる物理的な世界をどのように解釈するかと言うことは、すでにその個人が持っている言語や文化、宗教、学問的な背景に依存します。

こうした言語、文化、学問という体系は私たち人類が何万年もかけて培ってきた結晶です。PCで言うところのソフトになります。

例えばDNAや銀河を見ると、ある特定の宗教の視点では「神が創造した」と解釈しますが、科学という宗教を盲信するものには、「偶発的な産物」と考える傾向があるでしょう。

そして、その解釈には感情が伴います。

例えば、「神が創造した産物」と解釈する者と、「偶発的な産物」と考えるものの間には、感情的な摩擦が生じ、争いが生まれます。このテーマは現在の文明の大きな課題の一つででもあり、その摩擦の間にどのような折り合いをつけるかが大きなテーマとして持ち上がっています。

そのような解釈の異なりは、前頭前野を発達させている人間以上の認知能力があるから生じます。
人間まで脳の発達が及んでいない動物や昆虫、植物はそのような解釈はしません。

彼らは宗教や思想、哲学、学問といったものを持っていないからです。あるのは本能的に先祖から受け続けてきている生存と生殖、繁殖欲求による行動様式が優位です。

人間の場合、解釈能力やその解釈の種類も千差万別で、科学的、宗教的解釈を超越した解釈もできる人間も中には、存在はします。

もちろん、人間を超えた知的な生命体はもっと抽象度の高い視野をもち、宇宙と生命現象についてより統合して洗練した観点を持っています。

これら上図「粒子→2原子核→3原子→4DNA→5人間→6山→7地球→8太陽系→9星→10銀河→11大宇宙」といった情報は、物理的な情報であり、現段階での人間のおおよそ一致した物理化学的な解釈の客観的な解釈された結果にしか過ぎません。

言うなれば、人間という思考のコンピュータから出力された結果でしかないのです。

人間以下の動植物も人間とはことなる解釈機能を持ち、また人間より高度な知性の宇宙人や未来人はもっと高度な解釈をするでしょう。

つまり目の前に広がる宇宙、「粒子→2原子核→3原子→4DNA→5人間→6山→7地球→8太陽系→9星→10銀河→11大宇宙」といった、
対象を認識する、認識主体が持つ「解釈」の種類によって出てくる結果は異なります。

識主体による解釈結果の違い

上図のように、認識主体が持つ解釈関数(文化的、宗教的、学問的、言語的背景)によって解釈される結果の内容は異なります。

こうした解釈関数は、文化、宗教、学問、言語というように情報的なもので、心を形成する上で必須な情報です。

私たちは世界を解釈する能力を生まれてから死ぬまで行い続けています。

その作業は母親のおなかの中にいるときから始まります。その過程は無意識です。そして就学する前後から、自身の置かれた状況によって、意識的に、目標になる学習を行い出します。

それは国や文化、宗教、家系的な後天的な状況と先天的に有しているDNAの状況によるところが大きいでしょう。

そして、その学習に伴った情動的な背景は非常に大きな影響を持ちます。競争心を必要以上にあおられて育ち、不安や恐怖が強い環境で学習した者とそうでない者は、無意識の解釈と行動パターン、に情動的にネガティブな影響やポジティブな影響があるか大きな差があるからです。

前者は自己評価が低く、被害者意識と攻撃性が強い確率が高いでしょうが、後者は、自尊感情が高く、共感と思いやりの情動が豊かに育つ可能性が高いでしょう。

つまりその個人が宇宙をどのように解釈するかは、生まれ育った解釈関数とDNA(情動状態を含む)に大きく依存します。

認識主体を置き去りにしている現代社会の風習

つまり宇宙を解釈する上で、認知学、心理学、哲学、宗教的そしてスピリチュアル的な要素は非常に大きな影響がありつつも、現代の科学においては全く無視されています。

実際は、物理科学的な現象は生命現象と切り離されているのではなく、生命現象が何らかの解釈をした出力の結果によるものです。

科学者が量子論を作り、認知科学を発展させ、文明の進歩に大きく貢献してきました。
その科学者は、生命現象の表れの一つです。

量子論の有名な二重スリッド実験のように、素粒子レベルにいては観察する客体と主体を分けて考えることは出来ません。

何らかの生命現象の解釈の結果として、目の前の物理的な現象が生じているという観点もできるのです。

そしてその観察され、導き出された物理現象や物理法則は、見られる客体であり観察者の主体の影響を抜きさして考えることは出来ません。

本当の私

このことは哲学的で、あまり日常生活には役立たないような印象を受けるかもしれません。
ところがどっこい、

このことが本当の幸せや愛、幸福であるために必須な知識であって、最初のステップでもあります。

私たちは幸せになるために様々なものを求めます。

お金、学歴、美しい容姿、才能、知能、土地、財産、パートナー、家族・・・

それらを獲得しているのは誰でしょうか?

「それは○○(名前)という存在です」という返答が帰ってきます。

その名前は、両親や親戚というそのときの状況がつけた名詞です。

あなた自身ではありません。

あなた自身とは何?と聞かれて住所、氏名、年齢、学歴、家族歴、職歴、交友関係、趣味、身体的生理的特徴、今後の予定や将来の夢を列挙するかもしれませんが、

それらはすべて外から知らされた概念です。身体的生理的特徴にしても、人間ドッグではかった数値とは今は異なるでしょう。

家族構成や学歴だって、単なる概念でしかありません。第三者から見れば、作話か本当の情報かを知りようがありません。あなたが本当だと思い込んでいる「感覚」だけかもしれません。

そして、それらはすべて過去や未来に関する記憶で構成されたもので、いつ変わってもおかしくありません。そして何よりあなたという本質ではありません。

それら、「私と思われていたすべての概念」は単なる記憶であって、そのことに気づき、

私とは、「今ここ」という、神道でいう中今というところで経験する感覚にずっとひると、

静寂、至福、安らぎという経験、感覚だけが起こります。

そのなかに今まで経験した記憶や、様々な雑念、そしてミクロからマクロまでのウロボロスの蛇の宇宙が現れては消え、現れては消え、という繰り返しを行います。

さながら炭酸水から気泡がどこからともなく現れるように、様々な思考が現れては消えていきます。

「私」とは何でも、誰でもありません。

そのような経験と感覚がただあるだけです。

そして、それが認識する主体で、その中に素粒子から大宇宙までが展開されています。

続く

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