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おれが名前を変えた日

つい先日の話になる。俺は自分の名前を変えた。
心に長い間つっかえていたものが取れたようで、いまは本当に清々しい。
ようやく自分が自分らしく思えてきた。
もっと早くに改名変更を知っていたら、俺はずっとラクだったのにな。
それにしても長かったなぁ...あの名前。

俺は子供の頃から自分の名前が大嫌いだった。
なんでこんな名前にしたのか、親の神経とセンスを疑ったものだ。
あの名前を呼ばれるたび、ひとつまたひとつと自分が壊れていく。
終いには名前を書くだけで嫌な記憶がフラッシュバックする始末。
自分の中で声にする。

「いい加減にしてくれよ、くそったれ」


***

そもそも子供は子供であるべきなのだろう...と思う。
だけど、俺にそんな日なんてあったのか?
こんな自問自答するのはもう何度目になるのか。これが子供かよ。
子供でいながらすでに思考が老けている自分を思い出す。

うちの両親は俺がまだ幼い頃に離婚した。
二人が離婚した理由はひどいものだったが、その原因は父親の方にあることくらいわかっていた。
育児放棄にDV、そのうえ子供の目の前で警察沙汰にまでなるような奴だ。
俺には初めから父親はいない。存在すらなかったことにしようと思った。

母親からしたらやっとのことなのだろう。ようやくケリがついた裁判離婚に安堵の表情を浮かべていた。
しかし、清算できたのは母親だけで、俺はなにも清算できていない。
むしろ始まったばかりだった。


***

両親の離婚後、俺は母方のばあちゃんの家で育った。
母親が昼に仕事をしていた為、一日のほとんどをばあちゃんと過ごした。
俺にとってはその時間が唯一の癒しだった。

やがて幼稚園、小学校とあがっていく中で、最悪のアレが俺を襲った。

最悪のアレとは、いじめのことである。
なにか俺に原因があるなら考えることもできたが、その原因もないからタチがわるい。
よりによってあの父親のこともあるようで、とことん自分の環境を恨んだのは言うまでもない。

そのいじめは散々なものだった。
ある時には泥棒呼ばわり、またある時には無実の罪を着せられた。
しかも、自分たちはいいんだという訳のわからない理屈のおまけつき。
挙句の果てにもみ消すことまで身につけている。手に負えない。


***

ある時、ヤツらの内の一人にシャベルを盗まれた。
俺がひとりで寂しいだろうと、じいちゃんが庭に砂場を作ってくれたことがあった。そこにあった大切なシャベルである。
それを知ったのは後からだったが、その時は必死で探した。
しかし、バレたことが気に食わないのか、嫌がらせはひどくなった。

その後に今度は無実の罪を着せらることになってしまった。
次はどうやらオモチャが壊れたことを俺のせいにしたいらしい。
もちろん俺が壊したわけではない。はじめから壊れていたのだ。
貸してやると渡されたそのオモチャは、手にした途端に崩れていった。

「僕が壊したのか...」

逃げ場のないブロック塀に追い詰められ、寄ってたかってひどく罵倒されたことは忘れもしない。

「ごめんなさい!ごめんなさい!」

やってもいないことを何度も謝った。こわくなったのだ。
なぜなら、ヤツらの兄や姉までもがそこにいたからである。
俺にとって年上からの罵倒は本当にこわいものだったが、まわりを囲まれてしまっては逃げ出すこともできない。
結果、すべての責任を押し付けられてしまった。

もう誰も信じられない...どうしてこんな目に。


ただ、一回だけやり返したことがあった。
シャベルの一件のあと、同じようにモノを盗ってやった。
それがよくないことは子供の俺でもわかっていたのだが、その時は我慢などできなかった。それに、返せばヤツらとは違うと思ったのだ。
そうすればシャベルを取り返せると。

ヤツらには一度だって謝ってもらったことはなかったのに、自分だけが悪者になるなんて。いくら嘆いても状況は変わらない。
その後は嘘つき泥棒呼ばわりのレッテルだけがついて回ることになった。
泥棒に泥棒と呼ばれる辛さなどヤツらにはわからないのだろう。

まったく、神様もヘッタクレもあったもんじゃない。


***

俺はよけいに一人で遊ぶようになるのだが、何かが壊れていくような感じがして怖かった。ついでに笑えなくなった。
つくろい笑いはできても、楽しくて笑うことはない。
人の顔色をうかがうことを知った。

それっきり人を信じることはなかった。
というより、信じたくても信じることができなかったのだ。

それからは絵に描いたように崩れていき、荒んだ生活をしていた。
俺をいじめたヤツらはそんなこと忘れたかのように接してきたが、はらわたが煮えくり返る思いだった。
幼い頃の過ちなんだからと思う人もいるだろうが、そうは許せなかった。

この時、選択を間違えたのだ。寛容になることができなかった。
憎いのと、苦しいのと、怒りと、味わった恐怖だけしかなかったからだ。

歯止めが利かなくなった俺の中で、なにかがプツンと切れてしまった。
ひとりは登校拒否に、またひとりはハブリのさらし者に追い込むことで自分を維持したのだ。
あと二人いたのだが、小学校高学年のときに転校したのがひとり、もう一人は中学卒業後にしっかりケジメをとってもらった。


***

「ああ、そうだな。俺はひどい人間だ。

近所でもない同級生の女子が2~3人で俺を責め立てに来た。
コイツらは俺がどんな目にあっていたかなんて知りもしないのだろう。
わざわざ言うことでもないし、あんなヤツらにいじめられていたなんてことは言いたくもない!

ここでもまた、選択を間違えたのだと思う。
いじめを、無実の罪を、知ってもらえるチャンスだったのに...

強がることしかできなかった。
結局はヤツらと同じようになってしまったのだと、やり切れなくなった。

それからはロクな人生を歩んで来なかった。
人を信じれないのと恐怖をかかえたトラウマとで自暴自棄になることが多くなっていった。
やがてそれは、郵便物やなにかで名前を書くたびにフラッシュバックした。


***

いま、こうして生活していられることが夢のようである。
これが普通なのかどうかはわからないが、少なくともあの頃よりは何百倍も楽しく生きていられる。
愛する人がいる、趣味もある、楽しみもある。
そして何より心から笑っていられる。それだけでいいと思える。


俺は自分を正当化することはない。それはなにも誇れないからだ。
ただ、謝ってほしかっただけなのだ。
ほんの少しでも思い出して謝ってほしかった。ただ、それだけのこと。


***

名前を変えた理由は、生活に支障が出ていたからだ。
勝手にイライラして人に八つ当たりをしてしまうこともあった。
妻や友人、妹やこころの悩み相談にも話を聞いてもらったりした。
信じられる人は限られているが、みんなよく話を聞いてくれた。

心から感謝を言いたい。ありがとう。

今ではみんな離ればなれだから連絡の取りようもないが、いつの日かみんなで集まる時がきたら、彼らに謝りたいと思う。
ろくに理由も言わなかった俺も悪い。それに、このままでいいわけがない。
あるべき姿に関係を修復しよう。すべてを許して。


家庭裁判所から改名変更許可の通知が届いた日、胸のわだかまりが少し解けた気がした。
名前も心も生まれ変わって、新しい自分と向き合っていこうと思う。

俺はいま、最高に笑えているだろうか。


〈おまけの話〉

今回は、私が改名した日に思ったことや感じたことをそのまま書きました。
笑顔でいるために重要なことだったので、あえて私の暗い過去を話すことにしました。

私のように自分の名前や境遇などで悩んでいる人は数多くいると思う。
名前に限らず、自分のなにかを変えるきっかけにでもなれば嬉しいです。
経験したことの良いも悪いも関係なく、すべてを受け入れ前向きでありたいと思います。


なお、私が行った改名変更申請は、必ずしも許可が下りるものではありません。それなりの理由がなければ、そもそも申請できないものです。
ほとんどの場合は許可が下りないようです。

たとえば、近所にいる同姓同名の人と間違われてばかりいるとか、名前自体のことでいじめにあっているとか、SNSで名前や住所を晒されて悩んでいるなどの理由がなければいけません。

申請後にあらためて家庭裁判所から呼び出し通知が届きます。
決められた日時に家庭裁判所に行き、そこで面談のようなものを受けます。
実質、裁判だと思って改名したい理由と新しい名前をしっかり答えれるようにするといいと思います。
結果は、後日郵送で届きます。当日に言い渡されることもあるようです。

私のように名前で悩んでいるならやる価値はあると思います!
詳しいことは、最寄りの家庭裁判所に問い合わせてみて下さい。


それでは、また次のお話で。




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