逃げるは一瞬の恥・流されるは一生の悔い - noteをひと月やめてみた
ノリノリで5月末まで毎日のようにUPを続けていたnote
記事を投稿する・記事を閲覧する、それぞれをひと月以上やめていた。
自分の中で違和感を感じたから、あえてnoteから離れる。
怖くなったらすぐ逃げろ。
これは僕の中の鉄の掟。
1. 毒抜きとその必要性-その1-熱量のコントロール
あえて離れていた期間を毒抜きと称してみる。
離れた理由は自分の中で熱暴走を感じたからだ。(厨二病的表現)
メッセージを込めようと思えばそれだけ、暴力に近い衝動をぶつけてしまう。
「なんでわかってもらえないんだ」の感情。
イノセンスだけでことを成そうとするには僕は歳を取り過ぎていて、社会的責任を全うしよう(したい)という責務に突き動かされている。
社会的責任=結果だ。
結果=数字だ。
30年も生きていればわかる。
熱量が強い思想や言動は甘美で、それでいてキケンだ。
食べ物もそうだ。
カロリーが高ければ満足感が増す、しかしその分副作用が強い。
一度「食べない」を選択肢に入れると案外楽だったり、食の楽しさを再発見できたりする。
2.毒抜きとその必要性-その2-カネ
僕の普段の仕事は骨董商、そして僕は企業の代表だ。
ただし、このnoteは個人名で行う。
趣味、その範囲を越えていない。
その傍ら先にも述べたように、"モチベーションを維持するだけの数字"は欲しい。
僕にとって一番わかりやすい数字は、仕事でやっている以上、お金だ。
だから、少しだけでいいから欲しい…と現金化が早そうな、不適切で拝金的な記事を書きそうになってしまった。
(不思議だけど、こんなビューの少ない段階でもこんな記事を書いてくださいというDMが来たりするもんなんですね。脱法〇物の紹介…という内容でしたのでお断りしましたが…)
3.毒抜きとその必要性-その3-時間
僕は企業の代表でありながら、社長業 "も" やっているにすぎない。
やはりあくまでプレイヤーだ、そして(今のところは)俄然プレイヤーでありたい。
つい最近経営者さんに僕自身が放った言葉だ。
これは自分を鼓舞する言葉。
僕は金や効率に流されず、プレイヤーであり続けたい。
僕は自分の仕事が好きだ。
仕事をするために仕事をしている。
代償として、僕という人生には自由時間がすくない。
それでも会社員よりは"1日の中の自由時間"はつくりやすい。
それにかまけ、noteを書くことで普段の業務を怠る日があった。
もちろんこれではいけない、いけないけど渦中にいるとその間違いに気づけない。
4.アラサーの過剰な自意識とジレンマ-怖くなったらすぐ逃げろ
アラサーは認められたい。
僕のように歪んだ青春を送った人ならなおさらだ。
失った青春を取り戻したくて焦っている。
そして達成の喜びよりも達成することに向かってもがくことが大切とも知っているのにすこしでもうまくいかないと逃げ出したくなってしまう。
うまくいかないビジョン=リスクは考え始めたらきりがない。
そのため、ひとまず考えることをやめた。
目にも入れない。
怖くなったらすぐ逃げろ
これは普段から自らの行動指針としている。
(この考えを自社の経営にもうまく反映させなくてはなあ…といつも思う。)
逃げると後悔が必ずついて回る。
事実、少し増えたフォロワーが書かない期間に減るのをみて落胆したりもした。
そして後悔と情熱とを再び天秤にかける。
どちらに傾くか、それをもって、再び方向性を決めるという生き方もひとつの手ではないだろうか。
逃げるは恥だ。
でも流された先にはなにがある?
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