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ケータイを持ったその時から「モノ書き」になりたかった

1.初めてケータイを持った高校一年生



僕がケータイを初めて持ったのは遅かった。

2007年、高校一年生になると同時に親にねだりケータイを買ってもらった。
京セラのW44K

パタンと折りたたんだ際にボタンがあり、それを押すとランダムで絵文字が表示される・・・。なかなか愛いやつだった。

実物は実家のどこかに。背面にプリクラを貼っていた記憶。


なお、「思い出のケータイ」がau取り扱いの機種であったなら以下のサイトで確認できる。
懐かしのケータイ、憧れだった機種を探そう。

僕は2007年発売のMEDIA SKINが本当は欲しかった。


2.ケータイのおかげでできたクセ、モノ書きになりたいと思った


ケータイを持ってからの僕には「謎のクセ」がついた。

好きな歌詞、街中で見かけたフレーズ、明日友達に言いたいこと、読書感想文、僕があの子を好きな理由、送るつもりのないラジオレター・・・。

それらをW44Kの十字キーの下、クリアボタンを2回(長押しだったカモ)すると現れる「メモ機能」にすべて残す、そんな謎な癖がついてしまった。


当然、誰かに見せたりもしない。


宛名のない手紙は僕のケータイの中で崩れるほど重なった。



きっと僕は文を書くのが好きだった。

そのころ「モノ書きになりたい」と強く願うようになり、小説・雑誌・新聞・・・字という字はたくさん読んだ。

進学先は「ライターへの就職が強そう」という理由で東京(のはじっこ)の大学を選んだ。


僕はモノ書きになりたかった。
文:○○○○のシメは僕にとって「スター」そのものだった。



3.僕はモノ書きになりたい気持ちを忘れてしまった


ハタチで仙台戻ったころ。

「僕の書きたい事柄は仙台にはない、あっても三文記事が関の山」とフルスロットルで-すっぱい葡萄-全開。




モノ書きへの憧れは思い出さないようにしていた。


「どうせ仙台では・・・」



自分をごまかしているうちに、本気で自分が好きになれる仕事を見つけてしまった。骨董屋という仕事だ


10年前から今まで、ずっと僕は骨董屋だ。きっとこれからも。
これは僕のすべてだ。
「ほかの何者かであったなら」とIF展開に想いを馳せたことはない。

4.現役モノ書きとの出会い


先日、webコラムを書いている方と友人を通じてお会いした。同い年だそうだ。
(その方をTさんとしよう。)



会う前から共通の友人(Aとしよう)には「そういう仕事をしている人だよ」とは聞かされていた。

Aは中学校の同級生。
半生にも及ぶ長い付き合いだが、僕はAにもモノ書きになりたかったことは伝えたことがない。



僕の中で「モノ書きへの夢」
それは仄暗く、甘くもない記憶だ。


その日の感想はこうだ。
「悔しかった」
自分の感情に驚いた。



こっそりTさんの記事も見た。
鮮明・簡潔、彼女のペルソナも感じる。
きっとこれはメシを食える文だ。
シメの「この記事を書いた人はこちら」の一文は僕の精神を著しく乱した。


自分のiPhoneを見てみると、まだ15歳からのクセが抜けない僕がいる。
僕の「宛名のない手紙」
15年間誰にも提供せず、手入れもせず、レシピも見ずに継ぎ足してきた秘伝のタレだ。
・・・美味しいワケがない。

誰にも見せることのないソレは仕事と個人が合いまってカオスを極めている。
モザイクをかけたのは弊社や外部の社外秘、個人名や「恥ずかしすぎる文章」


5.モノを書きたい自分を思い出した


僕は今、余裕があるワケでは一切ない。
「時間」「お金」いずれも低水準にほどほどだ。


プライベートも充実していない、そんな人間が書く文章が・・・

と、言っていたらいつまでも夢には辿り着けない気がする。


僕は自分の、今の仕事に誇りを持っている。
それでも僕はモノ書きになりたいと、思っていたことを思い出した。



「宛名のない手紙」は崩れるほど重なっている。
幸い「僕は元気でいる、心配事もすくない」と伝えるのはSNSで十分だ。

すっぱい葡萄はいつの間に秘伝のタレの中でぐずぐずに熟していた。


noteは「モノ書き」への、僕のちっぽけな挑戦だ。

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