**沖縄と神戸の架け橋**
沖縄民謡、三線教室の先生として10年以上携わり、現在は輝く女性、生き生きした女性を育てたい!という思いで活動されている「竹下育さん」にお話をお伺いしました。
竹下育さんプロフィール
出身地:兵庫県神戸市
活動地域:兵庫、大阪を中心に関西エリア
経歴:介護福祉士、三線教室の先生、沖縄民謡歌手、沖縄舞踊で各地で公演。「やればできる」を見せ続けることで、「みんなできる子やで!」と言うメッセージを発信したい。そんな想いでアメリカのMLMの日本立ち上げにも取り組む。同時に心の奥底に眠ってる沖縄への想いを形にしていく活動を実践中。
記者 よろしくお願いします。
竹下育さん(以下、竹下) よろしくお願いします。
「子供の時から、できないことはないと思ってる。」
記者 どんな心のあり方や、認識の変化が今の活躍につながっていますか?
竹下 子供の頃から、父はなんでもやらせてくれて、一人の人間としてみてくれました。やればできる。を間接的に教えてくれたと思います。だから、やったことないことをやる、つまづきとかも全部経験だとおもっています。
記者 沖縄民謡に興味を持たれたのは、どんなきっかけですか?
竹下 祖父母が沖縄出身で、私は神戸でうまれたのですが、祖母の部屋は沖縄一色で、沖縄民謡の音楽がいつも流れ、沖縄人形が飾ってありました。
沖縄に行かなくても、沖縄があふれていました。
中学二年生のときに、祖母が亡くなって、沖縄のことも自然に薄れていたのですが、あるとき、沖縄出身の嘉納昌吉さんの歌を聴いて、心のなかから熱いものが湧き上がるように、血が騒いで・・・すぐに母に三線の教室に通いたい!って電話しました。
たまたますぐに自宅近くに三線教室があって、10年かかる免許を4年で取得することができました。
なんでも極めたいんですよね。それと資格マニア!
記者 すごい!それだけ集中してのめり込んだんですね。
竹下 ええ。私はシングルマザーでその頃介護福祉士として働いていて、ボランティアで老人ホームに訪問して三線を弾いたり沖縄民謡を歌わせてもらっていました。
その後、イベントに呼ばれるようになり、三線を教えて欲しいと言う方が口コミで何人かでてきました。
介護の仕事を5日して残りの休みの日に三線教室と、イベントに出演していました。その後生徒さんたちが増えてきたので、介護の仕事をやめて、教室と沖縄民謡歌手として活動するようになりました。関西には、沖縄出身の人が多くて、沖縄の芸能を関西でも楽しんでもらえるように広めたいと思っています。
記者 AIが活躍する時代に必要とされるニーズとは?
竹下 心かな。コミュニケーションにおいて、AIとのコミュニケーションは無機質になるんじゃないかな。と思います。
これからAIが出てきて、なくなる仕事もあるけど、生まれる仕事もある。
生まれる仕事があれば、そこに飛びついてもいい。
これからの時代、心を大事にすることが最も重要だと思います。
人が喜ぶ顔をみるのがうれしい。
記者 これからどんな美しい時代を作っていきたいですか?
竹下 生きることにおいて、好きなことは好きなだけするのが幸せだと思います。
「汗水かいて働きなさい」
「贅沢は敵」という風潮の名残を感じています。
日本の教育の影響なのか、
みんなどこかで我慢してる。
みんな世間体を気にしているように見えます。
大事なことは、
人とのつながりを大切に、みんなが枠に縛られず自由に生きていける世の中にしていくことだと思います。
記者 みんなが本当の意味で自由になって、それぞれが個性を生かしあえる社会にしていきたいですね。
やればできる!の精神。
本日は、貴重なお話どうもありがとうございました。
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【編集後記】
今回インタビューの記者を担当した、山本と室岡です。
人を喜ばせるのが好きで、人とのつながり、出会いを大切にされている育さんの魅力をますます感じました。これからのますますの活躍を願っています。
この記事は、~リライズ・ニュースマガジン美しい時代を創る人達~にも掲載されています。
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