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繊細さんの私が「人に気遣い、配慮するのは相対している時だけでいい」とふと思えた 。

私、自他共に認める“気ぃ遣い”“気にしぃ”なんです。
訳すと、“周りの人によく気をつかう性格”や、最近市民権を得てきた感のある“HSP”“繊細さん”といった感じでしょうか。

とにかく、相手が親しかろうが見知らぬ人であろうが誰であろうが、無意識のうちに気を遣うのがデフォルトなので。相手と話した内容や言葉づかい、その時の(自覚している)表情や声色などが「あの表現のチョイスで良かったのだろうか」と、夜とかに思い出して気になることがしょっちゅうあります。
(ちなみに仕事とか重要なトピックだけでなく、世間話でもどんな話題でも、です・・)

「なるべくマイルドに伝わるようにあいまいな言葉を使ったから、真意が伝わっていないのでは・・」とか、
「真顔で話し過ぎたかも・・不満があるように受け取られてなければいいけど・・」とか。
もうどうしようもないのにどんどん気になって・・疲れます、ほんと。

先日も、職場で同僚と話したことが無性に気になりました。職場でのこととはいえ、内容はもうぜんぜん思い出せないくらいにどうでもいいことだったんですけど。
そして、いつものように「あの言葉のチョイスで良かったのか?」「もっと別のタイミングで伝えるべき、もしくは伝えないという選択肢もあったのでは・・?」とかって思考がぐるぐる回りだした時。

「人に気遣い、配慮するのは相対している時だけでいいんじゃない?」
って考えが浮かんできたんです。
自分でも意外な横やりに、えっなになに?ってびっくりしたんですけど、
「普段からずーーーっと配慮してるねんから、目の前にそのひとがいる時だけの気遣いで十分やと思うで?誰もいないのにああでもないこうでもないって考えずに、相対するその時に集中したらええやん。それで十分やん!」って、そんな考えが湧きあがってきたんです。

我ながらびっくりしましたけど、同時にすごくほっとしました。
そうですよね。「もう、そんなに気を遣わなくていいのに!これ以上はやめてあげて!!」って全力で自分に覆いかぶさってかばいたいくらい、普段からやってるもんね。ひとりの時くらい、誰かのことを気にかけるのではなく自分を気にかけてあげなきゃ。でなきゃ、私はいつ気を抜いてリラックスするの・・?って、ことですよね。

繊細な皆さんは共感してくださると思うんですけど。
私たちって、強めに意識しておかないとなかなか「気にしない」ことができないじゃないですか(めんどくさいことに)?
なので、まだ意識し始めて間がないこともあり“気にしないことを気にする(意識する)”ってこともちょいちょい忘れるんですけど。

私、ただ今“ひとりの時は誰かのことではなく自分を気にかける”ことに絶賛挑戦中です!
共感してくださった“気ぃ遣い”なあなた、ぜひ一緒にできるようになりましょう!!

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