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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(6)- 兌換券を知っているかい? -

警戒モードだった

「コンニチハ!ニホンジンデスカ?ワタシ、ニホンゴベンキョウ1ネンデス。シャンハイ、ハジメテデスカ?アンナイシテアゲルヨ。」と近付いてくる奴がわさわさ出てくる。天邪鬼なひねた性格が災いしてか、声掛けてくる人全員疑うモード全開だった私。

そこへ「日本人ですか?上海を案内してあげますよ。」とまた出て来た男性一人。日本語が上手なだけに更に警戒モード上昇の私。しかし連れの3人は良い人そうだとすんなり受け入れる。学校の教師なのだが、毎日授業があるわけではないので、こうやって暇な時には観光客を無料で案内してあげているのだという。え?毎日授業あるわけじゃない?教育システムが違うのかもしれないが、なんか胡散臭くない?日本語の上手さで上がった私の警戒モードが「無料で」で更にもう一段階上がる。

「青年宮に連れて行ってあげます。ここからバスに乗りましょう。バスは一人〇毛です(いくらだったかもう忘れた)。まず私にください。私が纏めて払います。」本当に〇毛なのだろうか騙されていないだろうかと訝りながら自分のバス代を渡す。バスに乗ると、その男性は私達全員分のバス代を人民元で支払っている。

あー、そういうことかっ!

当時の中国には人民元と兌換券という2種類の通貨があった。外貨と交換できるのは兌換券のみ、観光客は兌換券を使い、中国国民は人民元を使う。兌換券は国内では実質的に通貨として通用していなかった。街の一般商店や食堂で使えるのは人民元、兌換券しか持っていないからと入店を断られてあわや食いっぱぐれの危機に面したこともあった。街の店で兌換券を使わせてくれて、人民元でお釣りをもらえたら人民元が手に入る、というなかなかにキビシイ環境だった。

兌換券が使えるのは基本的には友誼商店という免税店のみ。冷蔵庫や炊飯器といった輸入高級品はその店でしか買えないので、そういうものが欲しい人はなんとかして兌換券を手に入れなければならないのだが、一般市民には兌換券は発行してくれない。

つまり、自称教師は兌換券が欲しいので、私達のような観光客のガイドを買って出て、観光客が消費するたびに兌換券を一度もらっては自分の人民元で支払いをするという戦法だったのだ。

兌換券が欲しいなら、最初から正直にそう言えばいいじゃない?無料で観光案内をしてあげているんですよ、とか偽善的なこと言わないでよね。確かに無料っちゃあ無料だし、水増し請求されているわけでもないけれど、欺瞞な感じがしてなんとなく嫌な感じが最後まで払拭できなかった。

この兌換券のシステム、歴史の一幕として体験できて良かったと思う。そんなシステムがあったということを知識として知っているだけなのと、実体験で肌感覚があるのとでは、やはり違うと思う。この実体験が通訳や翻訳の場で役立ったことは今のところ無いけれど、後々いつ何時役に立つかもしれない。こういう小さな積み重ねが通訳や翻訳に役に立つのですよ。

次はいよいよターニングポイント。(続)

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