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情報の意図

情報過多の昨今、自分が欲しい情報は
探せば大概のことはみつかる。

情報の共有やシェアは、手っ取り早く
厳選された情報であることも多く
そのやりとりはコミュニケーションも
活性化させる。

ふむふむと情報を受け入れると
自分なりの解釈が始まる。
これは、人それぞれであるのに
誰かと同じであれば、なぜか
他人も同じように感じ、理解していると
嬉しかったり、安心したりする。
自分の感じたものを共有したい
という欲求もある。

そもそも相手も私であるならば
何か共通の認識が持てた一体感や
充実感を求めているのかもしれない。
違う意見でも、いい刺激になったり
自分の思考を顧みることができるが
いちいち意見の違いに反論すれば
調和は難しくなる。

情報を入れるにもキャパがあり
興味のない発信にまで深く寄り添い過ぎると
自分を置き去りにし内なる声が鈍くなる。
発信は自由なれど、得る情報は多ければいい
というものでもなさそう。

受け取る側は
情報を追いかけすぎず
受け取りすぎず
垂れ流ししすぎず

ほどほどに
すぎる情報は取捨選択していきたい。
外にばかり向かう意識を取り戻すには
インプット量を自分で調整する必要もある。


ポジティブな言葉は
素晴らしいエネルギーだけれど
意図と噛み合ってないものには
なにかしらの違和感を感じる。

これまで他人に対して
調和を重んじる風潮だったが
これからの情報コミュニケーションは
頑張って合わせる必要はなくなった。


まずは自分の違和感に従い
自分の感覚に従い
自分を調和させることを優先に。


情報にはそれを伝える意図がある。
純粋な自己表現なのか、情報のシェアなのか
愚痴なのか、承認欲求なのか、自己顕示なのか
単純にお知らせや宣伝なのか
簡単に伝わる時代に入った。


テレパシックにコミュニケーションが
成り立つ時が来ている。
伝えるのは言葉の表現だけでなく
情報に含まれる意図も伝わる
意図と表現にズレがあれば
違和感として感知される。
要は取り繕うことはできなくなる
ということだろう。

自分の喜びに共鳴しない情報を
わざわざ取り込む必要はなくなり
相手を重んじ、自分を疎かにしなくてもよい。
情報の内容より発信者の意図を感じれば
受け取るものも整理できる。

未来は、言葉での情報伝達は
後付けの事実確認みたいなもので
やっぱりねって程度になりそう。
良くも悪くも以心伝心
詳細説明がなくなるのは
楽ちんかもしれない。

それを楽しめる未来にするために
自分をいつも一致させておきたいものだ。



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