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SBG17「身体的文化資本」を乗り越えよう ① いいものに多く触れよう

 平田オリザ氏は前掲書で、「この身体的文化資本を育てていくには、本物、いいものに多く触れさせる以外に方法はないと考えられている。」と述べています。

(以下引用)するどい味覚を身につけさせようとして、子どもに美味しいものと不味いもの、安全なものと危険なものを両方食べさせ、「ほら、こっちが美味しいでしょう、こっちが安全でしょう」と教える親はいないだろう。美味しいもの、安全なものを食べさせ続けることによって、不味いもの、危険なものを吐き出せる能力が育つのだ。
あるいは骨董品の目利きなどを育てる際も、本物、いいものだけを見せ続けると聞く。そのことによって偽物を直感的に見分ける能力が培われる。「身体的」文化資本であるから、できるだけ若いうちから、理屈ではなくセンスを身体に染み込ませていかなければならない。(引用終わり)

 身体的文化資本には「差」があることは一旦受け入れて、その上でこの資本を「育てていく」ことを大切にしましょう。
育てるためには「いいものに触れる」ということですから、これからであっても、「いいもの」、「本物に」触れる機会を増やしていきましょう。
今まであまり読んだことのなかった本を手にしてみる。真剣に聞いてこなかった先生の授業を聞いてみる。ここでもまた言いますが、SBG6で触れた「不便な本屋(別にカフェでもいいけど)へ立ち寄ってみる」に例えられた話も、新たな「体験」の機会になります。また、SBG7で触れた「寄り道」も同様です。
体験を重ねないと何が本物かもわかりませんよね。次の②でもう少し述べます。

   「身体的文化資本」を乗り越えよう ②
        体験を増やそう

 審美眼を涵養(かんよう)するには、前項で述べたように「体験」を積み重ねていくことしかありません。そこでキミ達が気になるのは、年齢だと思います。キミ達は3歳以下でもないですし、小学校もとっくに終えてしまっています。高校生になった今、もう手遅れではないかと諦めそうになっているのではないでしょうか。
 わたしは、慰めからではなく、高校生からであってもこのことを意識してこれからを生きていくには、十分に間に合うと思っています。それは、もちろん自分の経験からです。
 身体的文化資本の中でも、基礎となるものは、ブルデューが言うように「極めて人生の早い時期」に決まってしまうものであるかもしれません。私は美味しくて新鮮な(方言でキトキトな)魚を食べていたので、お刺身には「うるさい」ほうです*。
*この「わたしは~といったタイプです」というのは「自己スキーマ」と呼ばれるものです。ピアジェ(Jean Piaget)という人が定義しました。もともとこれは、良い経験を基にしたポジティブ傾向を示します。
(落ち込んでいる人にはポジティブに働かず、否定的な情報に頼って働くようになります。もしあなたが落ち込んでいる時は、ネガティブな情報を遠ざけるようにしましょう。)
 しかし、他の自己スキーマはどうでしょう。中学生の時の体験、高校でのもの、大学生だった頃のもの、留学中に感動を伴った体験、職業として働いてきた中で積み重ねられていった体験の数々で、様々な自己スキーマが今の私を成しています。そしてこれからどう生きるか、どう楽しんでいくかを考えてワクワクしているわたしがいます。

 私には、決して「幼少期」だけが全てを決めているようには思えません。私は常にヴァージョンアップできると思えるのです。これも、一つの自己スキーマですよね。人は変わっていくのではなく、変わろうとして変わるのです。変えられるものと変えられないものがあるとして、変えられるものの中で変えたいものは、自分で変えてしまいましょう「自分は変化できる自分である」という自己スキーマを持ちましょう。
 
 都市部で生まれてそのままそこで育った人は、ケイタ君の家族のように、農業のできる所へ引っ越すなどといったことは簡単にはできません。
 もっとも、直近の話題では、コロナ禍によるリモート化へのシフトに乗り、東京の本社機能の一部を兵庫県の淡路島に移しはじめた企業も出てきて、社員とその家族ごと淡路島に引っ越すなんてことも伝えられましたから、田舎で暮らしながら、リモートで分野の異なる仕事をする形も、キミ達の時代では十分起こり得ることでしょうが。
 高校生のキミ達が、今日考えて、明日からでも始められる体験はどんどん挑戦してみるべきだと思います。コロナが落ち着けば、留学だってできます。大学生になって農業体験もできます。アルバイトで職業体験だってできます。化石燃料に頼らない自転車なんかを使った旅行だってできます。自転車でその土地に行ってみると、気付いていなかった気付きと発見があります。(この自転車の体験については、巻末のコラムに少し書いておきました。)再び言いますが、わたしには、全然手遅れとは思えません。

 極めて正確な日本地図を作った最初の中心人物は誰でしたか?
大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)を仕上げた伊能忠敬でしたね。
 彼がその偉業に取り組みだしたのは、なんと50歳の時でした。江戸時代の平均寿命は大変曖昧ですが34~44歳ぐらいとされています*から、(因みに明治・大正期で44歳)そんな歳で、全国を海岸沿いに測量しながら歩いて回って大丈夫なのかと真剣に心配になりますよね。そんな彼に想いを馳せずにはいられません。私でさえ人生今からだと思っているのですよ。高校生のキミ達は今、おいくつですか?

寿命に関するデータ元
https://shinbun20.com/oiwai/chojyu/jyumyou/#:~:text=%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%9D%87,%E6%AD%B3%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82 

SBGsコラム       「わかっているつもり」を体験してみよう

 今から10年以上前の夏休み明けのホームルームの時間に生徒たちに「300キロメートルってどれくらいの距離かな」、と聞いたことがあります。
「300キロは300キロでしょ、先生!」と、期待通りの答えが返ってきました。そこでわたしは、実際に約300Kmを自転車で走ったんだよ、と言いました。
 300キロって京都からどのあたりまでだと思う?って聞いてもみましたが、誰も答えられませんでした。時間の概念も生徒にはピンと来ていないようでした。
 京都から富山まで高速道路を使えば3時間、特急列車で2時間ほどになるでしょうか。徒歩なら10日ですか。
 当時わたしは10代の頃はまっていたツーリングをまた始めていました。理由は、その十代の頃、能登半島一周や岐阜県の山越えなどを友達と一緒、または一人で楽しんだ体験と記憶があったからでしょうし、車を運転してどこかへ行くという行為に飽きが生じていたからでした。
 この経験が、改めて、「何事もやってみなければわからない」という単純な真理を思い起こさせてくれたのでした。
 夏の高温、道路の照り返しからくる熱、風向き、福井県の山岳地帯の上り下り、自分の体力も体調も、それらすべてが要素として影響する上での300Kmになるのです。

 人間が持つ「肉体」と「精神」は「『精神』が優位性を持つ」*(ユングによるペルソナの所有性からの解釈)。だから、暑い中、上り坂をペダルを漕いで登る疲労感は、途切れの無いアナログ的な面白みであり、幸福感として無意識に認識されます。
 つらさにとどまらず、車だと一瞬で過ぎ去る地形の変化が織りなす風景の珍しさを楽しむ十分な時間、下り坂を駆け降りる際に、体全体に受ける風圧と清涼感。それらはエアコンの効いた車が与えてくれる「快適性」、「居心地の良さ」とは異なる幸福な「体験」です。

補遺

アート(art)とアーツ(arts)
 “art” は “arts”となると人文科学(liberal arts)や大学での一般教養科目(哲学・歴史・文学・自然科学・語学、演劇、芸術など)を指します。 “humanities”であり、 “social sciences”であり、 “humanistic disciplined” であると言えます。
 “art” の反対語は “nature” ですが、これも日本人が訳す「自然」ではありません。キリスト教世界では、日本人の思い浮かべる「人の手が届いていない自然」(*里山を除く)ではなく、なんと「神が創った世界」なのです。
 従って、 “art” は神が創ったものではなく、人が造った「人造」、「人工」となり、「芸術」は後ろの方の意味になるのではと考えてしまうのです。確かに造形物や絵などの芸術作品は、人が造っていますから芸術は “art” でいいのでしょう。

STEAMにあるArts
「教科横断型教育」と訳されているSTEAM*教育にも、Arts (liberal arts人文科学)が、元々のSTEMに加えられて用語化されました。
 技術の進歩のみを追求した理数教育を進めても、行きつく先に人類の「幸福」があるのかを問いただし、創造性教育を加えたことに、私は賛同したいと思います。
 このArtsがよくArtではないかと思われますがArtsにArtも含まれているというのが私の解釈です。
*科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)。アーツ(Arts)、数学(Mathematics)

一流のビジネスマン達が「アート」に拘りだしている!
 近年出版されているビジネスでの成功本やマニュアル本、自己改革を謳った本に「アート」という単語が盛んに使われ出しました。これは、多くの場合、恐らくArts(人文科学)に含まれるArt(芸術)の方を指しているのでしょう。
 私が、特におすすめの「13歳からのアート思考」末永幸歩(ダイヤモンド社)であったり、経営における「アート」と「サイエンス」を掲げた「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」山口周(光文社新書)。他に、「なぜ、世界のエリートはどんなに忙しくても美術館に行くのか?」岡崎大輔(SBクリエイティブ)、更に、「教養としてのお金とアート 誰でもわかる『新たな価値のつくり方』」田中 靖浩 ・ 山本 豊津(KADOKAWA)と言った具合です。
 本物のアートに触れて、体験をもとにアート感覚を磨かなければ、先駆けとなる発想は生まれてこないことに気付いていて、行動を始めているのです。今や、「アート」そのものや「アート的思考」を身に着けることは、必須となっています。


終わりに

 人生初めての執筆と投稿、稚拙な文章にお付き合いいただきありがとうございました。SBGs 17のサステイナブル・BEAUTY・ゴールズ連載は完結させて頂きます。

 ターゲットの高校生(主に女性)の読者からの反応が無かったのは、Twitterと連動していないなどの理由も考えられ、マーケッティングからすると失敗しています。(笑) 課金はしていないので、お金が欲しいわけではありませんが、読んでもらいたい人に読んでもらうことは考えなくてはいけませんね。今後体験と思考を重ね、一層精進してヴァージョン2.0や新たな分野の投稿を目標とします。

 マガジンに全17本がまとめてあります。ありがとうございました。

令和3年3月3日


*本投稿に使用されていた写真は全てfjtktksが撮影したもので、人物が特定可能なものは許諾を得てあります。無断での再転用はご遠慮ください。



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