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デジタル時代の子育て〜奇抜さ〜

「集中力」をテーマに書いています。
集中力と運動の関係、スキルによる分類を見た上で非認知能力、記憶、思考について考えてきました。今日のテーマは、「奇抜」です。

昨日引用した、

「私たちのやり方が普通と違っていることは、いつも感じていました。」

について考えています。

スタンフォード大学の名物授業(プロダクトデザイン)のエド・キャリアー顧問教授の言葉もとても説得力があります。

「プログラムに奇抜な要素があると、モチベーションが非常に高まります。あまりにリアルで経済活動に関係があるタスクを与えると、学生たちは楽しいと思えなくなる。たとえ私たちが考案したゲームと教育的な内容は同じでも、現実的すぎると学生たちの心に響かないし、彼らを魅了できないのです。」

子どもたちと過ごす時間を大切にして、
子どもたちの学習プロセスへの関心と学習そのものを楽しむ姿勢。
決まり事と自由のバランスがブレない。
子どもたちを信じて、決断を躊躇なく100%サポートする。

内的モチベーションに駆り立てられて学べる環境

「駆り立てられ」とまで言えるかは微妙ですが、
子どもたちを教えていると、少し照準を変えた時に子どもたちの内的motiveeが溢れ出てくることがあります。止まらず、すごいパワーをぶつけてくる。その時の「共有できるワクワク感」にとても幸せを感じます。
ただ、そういう日は時間を忘れてしまうことも多く、大人としての未熟さを感じることもありますが(汗)。

学習はいい学校や安定した会社に入るための手段ではなくて、試行錯誤を通じた発見と捉え直す。多くの人にとって、アカデミックなことや知識は、学び続け問題を解決するための基礎になるもの。その上で、知識を応用して心地よく使えるように考える。

社会として
「真面目な人」=愚かな人
と位置づけるのは違うと思います。
正しいことを正しくしている人が評価されるべきだと思います。


ただ、面白いことをしている身近な人間を正しく修正するのではなくて、

「けったい」
けったい=変な、奇妙な

として、面白がって応援してあげるのが親として重要なんだと
最近感じるようになってきました。


「けったい」で貫くって孤独で難しいですが。

学校、習い事、普段の生活の中で、
つい、できないことの修正に目が行ってしまいがち。

人に評価を委ねてはいけない、ということではあると思います。


我が子に当てはめてみる。

何分も
何時間も
(戦いごっこの)効果音を繰り広げている愛すべき息子。

何と声をかけよう。


「見えないものを想像して物語を作っているんだね」
いや、違うな、


「もし○○したら〜」とありえない想定を繰り返す、愛すべき息子。
何と返答するのが100%コミットと言えるのでしょう。


目のまえの子を見て、自分で価値を見出す。
それを信じて、100%応援する。

日々実践ですね。





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