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正しい劣等感とは?

今日は、先日読み返したアドラーの「嫌われる勇気」で学んだ内容をまとめていきたいと思います!

読んだことのある方はお分かりだと思いますが、本書では「すべての悩みは人間関係である」と主張しております。
その悩みの多くは他者や社会との比較から生まれます。


私たちが日々感じる悩みとして、劣等感やコンプレックスってありますよね。
他者と比較し、自分の劣っている部分を感じる劣等感や自分の嫌いな部分であるコンプレックスなど。その正体は何なのか、そしてどう向き合っていくのかについてまとめていきたいと思います。

劣等感とは??

まず、アドラー言う劣等感とは何なのか?

「客観的な事実」ではなく、「主観的な思い込み」

だと述べています。これがどういうことか。

例えば、僕は背が低いことが昔からコンプレックスでした。サッカーでは体が大きな選手に憧れ、背が高かったらなあと何度思ったことでしょうか。
そして背が低い自分が嫌いになることもありました。

ただよく考えてみると「背が低い=サッカーに不利」というのは事実でしょうか。確率的に言うとそうかもしれませんが、事実とは言えないと思います。
つまり、「背が低い=サッカーに不利」は事実ではなく、自分による思い込みなのです。
そこでアドラーはその思い込みは変換可能だと言います。
劣等感は事実ではなく、他者や社会、そして自分が作り上げた思い込み。だからこそ変換可能であるのです。

そこで当時の自分に「小さいことによる良い部分は何?」「小さいからこそ活きるプレーは?」と問いたいです。
小さいから”こそ”できることは??そう自分を思い込ませることができればかなり違ったのかなと思います。笑

正しい劣等感

人間にとってより優れた存在でありたい。もっと上を目指したい。
そのような向上したい欲求は人間誰しも必ずあるので、それ自体はとてもいいことだとアドラーは言っています。


ただ正しい劣等感は、比較対象が他者や社会ではなく、自分だということです。

自分の理想状態から見た時に劣っている状態、その差分を埋めたいと感じているその欲求こそが正しい劣等感です。
正しいというより、より幸せになれると言った方がよいでしょうか。


なぜなら他人や社会と比較した劣等感なんて100%満たされることは永遠にないからです。
自分と同世代の人で、自分よりも背が高くて、コミュニケーション能力が高くて、お金持ちで、英語が話せる人。そんな人たくさんいます。
その方と比較して、自分の劣る部分を伸ばしたところで、幸せになれるのでしょうか。

何はともあれ、死ぬときに、「自分自身の人生を自分のために生きた!」と言える人生が一番幸せであり最高なのではないでしょうか。

結論

正しい劣等感とは「理想の自分」との比較から見えてくるもの。
そして他者との比較による劣等感はただの思い込みであること。

今の自分より前に進もうと思うから価値があり、他者より前に進もうと思ったところで、それは他者の人生なのです。


情報が簡単に手に入り、色んな方と繋がり、様々な心動かされるものや人がいる今の時代だからこそ
この心得をもって生きていきたいなと思いました。
改めて「嫌われる勇気」は本当に良書だなと思いました。

本日もここまで読んで頂き、ありがとうございました!

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