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【そら日記】寂しさの波に乗れたら

寂しさで気が狂ってしまいそうな夜。
寂しさの波に呑み込まれそうになる。溺れそうになる。
そんな夜を乗り越えていく。何度も何度も。


最近の私のフリータイムは単独行動である。
どこに行くのも、何をするのも。
おかげでたまーに知り合いとご飯とか行っちゃうと、どうやって話すのかわからなくなっていて困っておる。

アルバイトで社員さんや仲間と話したり、打ち合わせしたり、授業でクラスメートと話したり、コミュニティの人とおしゃべりしたり(最近はあんまりしていないかも)、ときどき友人とLINEしたり、買い物やカフェに行けば店員さんと話したりはする。

けど、最近はいつもどこか孤独で不安なのだ。「ひとりぼっち」が少しずつ私の身体を蝕んでいく。本当に叫びたいわけではないのだけど、心を支配する「ひとりぼっち」というもやもやを、叫ぶような勢いで吹き飛ばしたくなる。1日中誰とも関わらない。そんな日なんて一度もないのに。

私ととても親切に優しく関わってくださる方がいっぱいいるのに、人には十分すぎるほど恵まれているはずなのに、こんなことを思うのは本当に申し訳ないのだけど、なぜか孤独感が消えないのだ。


この前、居心地の良い出会いをした。会ったのはそれっきり。その後、用事があって何回か連絡をすることにはなったが、もう用事はないだろうな。正直に言ってしまうと、私はこの居心地の良さを大切にしたいと密かに思っていた。けど、次いつ会うのか、というかそもそも会うことはあるのかさえわからない。というか、そもそも居心地が良いと感じたのは私だけだったかもしれない。そんな考えは私をさらに寂しくさせる。


最近、また本をよく読むようになった。まるで孤独を感じることを避けるように、必死に。孤独の波に、寂しさの波に溺れてしまわないように、物語に必死にしがみついている。そんな気もしている。もちろん、物語がとっても面白いのは事実なんだけど。

クラスや部活に馴染めなくて、物語の世界に居場所を作っていたあの頃と似たような感覚に襲われている。この前ぼーっとしていたとき、ふと考えた。あの頃の私は本を読みすぎるから孤独になったのか、孤独になったから本を読んでいたのか。今の私にはわからない。どっちもありそう。


最近の私には多分、比較的時間がある。学校の課題もあるし、アルバイトもある。その他諸々のやらなきゃいけないことだってある。なんなら放っておきすぎて、そろそろやばいやつもある。けど、そのうちのほとんどが時間が固定されているものではなくて、自らやろうと思ってやるものであって、授業がキツキツだった、あの頃とは違う。

私は計画を立てるのが幼い頃から大の苦手だ。本音を出してしまえば、そもそもそれぞれにどれくらい時間がかかるのかなんて知らねーし、それがわからないから日々に組み込むことができない(おっと口調が…笑)。何度も何度も計画を立てようと試みて手帳を開いては、何も書くことができなくて時間だけがどんどんどんどん過ぎていった。

昔のテスト計画表なんて地獄のようだった。テスト期間の1日目は計画を立てるのだけに使う。勉強なんてしている時間取れなかった。計画が立てられないから。で、その計画通りに進むのかって?3日くらい経てばすでに遅れをとっている。こんな私をみんなは変だと思うのだろうか。

そういうわけで、私のバーチカル手帳には時間の決まった予定しか書き込まれていない。いや、書き込めないのかもしれない。スッカスカな手帳の完成だ。やることがあっても書き込まれない手帳の空白、一見すっからかんな私の日々が、より私の心に孤独感や寂しさを届けているのかもしれない。その可能性も十分ありそうだ。


最近、ヨルシカのチノカテという曲にはまって、ずーっと聴いている。私はある1曲にはまると、次に別の曲にはまるまでひたすら聴き続けるタイプの人間である。この曲すごく好きなんだけど、聴いていると寂しさが増す気がしている。それでも聴いてしまうのだけど。


どんどん日が短くなり、気温もどんどん下がっていくであろう日々。私の寂しさと孤独が消えることはあるのだろうか。波が永遠に寄せては返すように、寂しさの波も消えることはないのかもしれない。でも、その波に溺れそうになりながら辛うじて生きていくのではなくて、上手なサーファーのようにその波に乗りながら楽しく生きていけたらと思う。

寂しさと孤独と同じくらいの存在感の幸せを見つけることができたら。と思うのです。



では、素敵な1日になりますように。