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当然大学に行けない一般ADHD成人学生

学校に行けないなんて全大学生のうちの60%くらいが抱えている悩みであろうが、あえて大学行けないよ〜😿ということをうだうだといいます。

大学がいやなのではないはずである。いい施設だと思っている。友人もいて自然もありのびのびとした学舎である。

では何が嫌なのか、定刻に間に合うことができずお席でじっとしていられないぼくたちにとって、授業を受けるという行為は非常に難しく、苦手の極みなのである。内容が難しい訳ではない、たぶん。大学教授は一般的な学生が授業を受けることによって対象の知識を得られるように、その貴重な時間を割いて授業内容を組み立ててくださっているはずだ。ただ定刻に教室に行き、言う事を聞き、やることをやるだけでよい。大学入学の許可が出ている時点で、そうすればお前はこの大学の卒業レベルの知識を得ることができる頭を持っていると認められているはずなのだ。でも、ぼくたちは授業が受けられない。それができない。お勉強はできても、授業が受けられない。くるしいくるしい、くるしい。定刻にいけない、座っていられない、教室で息ができない、逃げ出したい。動きたい、インターネットで息をしたい。聞いていられない。聞いていないから言っていることがわからない。余計に息ができない。

なんで、大学に入学するまでは息ができていたのか。先生がいた。私のことを1人の生徒としても、上手く生きれない1人間としても見つめてくれる先生がいた。大学教授はぼくを1人として見ることを自主的にしてくれない。能動的で活発な生徒は教授にとっての人間になれるかもしれないが、そうなれない上手くない僕は履修者1であって、人間1にはなれない。温情をかける理由がない。教授は教える仕事であって、育てる仕事ではない。先生たちは、育ててくれた。教授、育ててくれないかなあ、ぼくつよくなりたい。頑張るの頑張るから、守って大きくなるまで育ててよ。21歳は、だめですか。21歳は、十分大きいもんね。

本当に苦手で、上手くできない。頑張りたいのに、頑張れない。こんなぼくたちへ、大学という組織に温情や優しさなどはなく、完璧に一意な基準によって、不可というただ1熟語でお前は怠惰で不適合な人間だと突きつける。たすけて、せんせい。

大学にもぼくたちを救済してくれるシステムがあるのかもしれないが、助けてもらおうと努力しなければ助けは来ない。3年間この冷たい学舎にいた僕は、あるか分からない助けのために体を動かせるほどの期待も元気もなくしてしまった。大学から配布された心身健康調査の死にたいですかという項目にYesとつけて提出したら大学の保健管理センターから一瞬助けの手が届いたことがあったが、家を出て大学に行きセンターに通わなければならなかった。行ったは行ったで、自分の頭の中を正直に吐露することは難しく、ちょっと電車にうまく乗れなくて学校に行けないことがあります😅死にたいのは間違えてチェックいれちゃったかもです😅😅と言ったらストラテラを渡されるだけであった。家を出る元気がなかった時に行かなかったら何の連絡も来なかった。過去唯一のこの手も、自分から赴ける人間かつ、弱い人間である自分を口頭で伝えるというエネルギーのかかる行為を実行できる人間までしか救済できない。抱きしめてくれる大人はいない。21歳は大人だし、大人が大人を抱きしめたらそれは意味が変わってくるかもしれないし、もう三者面談もないし、家庭訪問もないし。21歳は大人だし。

せんせいたすけて

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