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"向こうから"到来する交換様式D——柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』を読む

あらためていうと、大事なのは次の点です。交換様式DはBやCを超克するものですが、人が積極的に、意識的に構成するようなものではない、ということです。カント的にいえば、それは構成的理念ではなく、統整的理念です。つまり、人間の願望・意志によって綿密に計画されるようなものというより、逆にそれに反して"向こうから"(強迫的に)到来するものだ、ということです。したがって、それは歴史的には最初、普遍宗教として出てきたといえます。つけ加えれば、普遍宗教はたんなる観念ではなく、広い意味で経済的な交換様式に根ざしているものです。
DはAの高次元の回帰である。私はこのようなAの「回帰」を、フロイトの「抑圧されたものの回帰」という見方によって説明できると思います。つまり、定住以前の人類がもっていた「原遊動性」は定住以後に抑圧されたが、それが反復強迫的に回帰した、と。

柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』作品社, 2021. p30.

柄谷行人(からたに こうじん)は、1941年生まれの思想家。東京大学経済学部卒業。同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。1991年から2002年まで季刊誌『批評空間』を編集。

New Associationist Movement(ニュー・アソシエーショニスト・ムーブメント、NAM)は、日本発の資本と国家への対抗運動。柄谷行人が「当時雑誌(『群像』)に連載した『トランスクリティークーカントとマルクス』で提示した、カントとマルクスの総合、アナーキズムとマルクス主義の総合を、実践的レベルで追求するための試み」である。2000年6月大阪で運動を開始、結成。2000年10月には綱領的文書である『NAM原理』を出版。2003年1月に解散したが、柄谷は、『共産党宣言』後2年で解散した共産主義者同盟のケースと同じく、解散後は固有名詞ではなくなり、一般名詞(文字通り、”新しいアソシエーショニストの運動”)となったと述べている。

2021年に発刊された本書『ニュー・アソシエーショニスト宣言』は、そのアソシエーショニスト運動を検証し、その可能性をあらためて示すものである。柄谷は「簡単にいうとこれは、自由かつ平等な社会を実現するための運動である」と説明する。本書では、NAM結成にいたる経緯から、その背景となる「交換様式」の理論、実践形態としての協同組合や地域通貨の可能性、今後のNAMの可能性などについて語られている。

柄谷の中では1990年代にある「転換」があった。それは、マルクス主義(唯物史観)が社会の歴史を「生産様式」から考えているのに対して、柄谷は「交換様式」から考えるという発想の転換をおこなった。さらにそこから、史的唯物論(唯物史観)を再構築したのである。柄谷はマルクスについてこのように語る。「彼は未来について語らなかった。彼はいわば、未来は、過去にあるというのです。人間の社会史の中に共産主義をもたらす必然的な契機があるとしたら、それは何なのか。私はそれを考えることを可能にするものとして、交換様式を見い出した。」

柄谷は歴史を生産様式の発展段階として記述したマルクスにならい、交換様式の発展の歴史として説明する原始的な氏族社会では「互酬交換」がおこなわれていた「交換様式A」の社会であった。これはそれ以前の遊動民の時代にはなく、彼らが定住後に生まれたものである。互酬交換は物の交換に限られない。たとえば、首長制は互酬交換にもとづくものであり、主張は権力をもつけれども、その役割を果たせなかったら、辞めさせられたり殺されたりする。
「交換様式B」の社会は、「支配-保護」という交換様式の社会である。支配する側は、被支配者を保護する義務がある。そして、被支配者は自発的に服従する。ここに国家権力の秘密がある。国家の「力」は武力だけではなく、自発的な服従にもとづいている。
「交換様式C」の社会は、「商品交換」の社会である。この商品交換の萌芽は古くからあったのだが、これが優位になるのは近代ブルジョア社会の段階である。
重要なことは、社会構成体が、このような複数の交換様式の接合として存在するということである。ブルジョア社会では交換様式Cが支配的となるが、AやBが消えてしまったわけではない。交換様式Bは近代国家として残り、Aは「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)としてのネーションとして残る。近代では「資本=ネーション=国家」となるわけである。

そして、それらを超克するものとして「交換様式D」がある。これは具体的には、古代に帝国が成立した時点で普遍宗教として現れたものである。これは、交換様式A・B・Cの複合体に対抗して、抑圧された原遊動性が回帰したものだという。マルクスは、共産主義は「氏族社会の高次元における回復」であると言ったが、それにならい、柄谷は「交換様式Dは交換様式Aの高次元での回復」であるという。交換様式Dは古代において、帝国が成立した時点(交換様式Bが支配的となった時点)で、普遍宗教として現れた。同様に、近現代において資本制経済(交換様式C)が優位になった時点で、共産主義という理念として現れたというわけである。

ここで柄谷は、交換様式Dは、人が意識的に構成するようなものではないことを強調する(それが「高次元での回復」の意味である)。交換様式Dは、BやCを超克するものであるが、人間の願望・意志によって綿密に計画されるようなものというより、逆にそれに反して"向こうから"(強迫的に)到来するものだという。この考え方を柄谷は、フロイトの「抑圧されたものの回帰」という見方によって説明する。つまり、定住以前の人類がもっていた「原遊動性」の反復強迫的な回帰であると考えたのである。

ニュー・アソシエーショニスト運動は、この交換様式Dを理論的背景としている。しかしながら、それは「人が積極的に構成するようなものではない」わけだから、計画して引き起こしていく運動となることはない。自然発生的に、その状態が起こるのをいわば待つしかないようなものとなる。ここには「運動」であるのに、意識的に実行することができないという矛盾が存在するように思える。しかしながら、これはマルクスが共産主義について言っていたこととも重なる。マルクスは、ヘーゲルを批判する中で、前方に(未来に)歴史の目的を置くことを拒否した。マルクスが「未来は過去にある」と言ったその意味とは、彼は歴史を事後から見るのではなく、事前から見る立場に立ったということである。つまり、マルクスは(カントのように)未来の共産主義を「理念」であるとは見なさず、現実の運動、そしてそれをもたらす「前提」に、すでに共産主義が潜むということを言ったのである。


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