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疲労と消費社会の関係〜ボードリヤールの分析

したがって、疲労の真の意味を把握するためには、心理=社会学的解釈で満足することなく、疲労をうつ状態の一般的構造のなかに位置づける必要がある。(中略)だが最も重要なのは、このうつ状態の論理(症候がもはや器質的疾患や現実の機能障害に結びつかないで、「ぶらつく」ようになること)が、消費の論理そのもの(欲求とその充足がもはやモノの客観的機能と結びつかないで、次から次へと互いに指示・交替しあい、本質的な満足が得られないこと)を反映しているという事実である。

ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造(新装版)』2015年, 紀伊国屋書店, p.325-326

『消費社会の神話と構造』は1970年にフランスで刊行された哲学者・思想家のジャン・ボードリヤールの著書。消費社会論の代表的著作であり、日本でも1979年に翻訳され、当時のニュー・アカデミズムブームが影響し広く読まれた。

本書では、大量消費時代における「モノの価値」とは、モノそのものの使用価値、あるいは生産に利用された労働の集約度にあるのではなく、商品に付与された記号にあるとされる。この思想の背景にはマルクスの価値形態論とソシュールの記号論が控えており、こうした分析を、生産物に限らずあらゆる社会事象や文化に援用したのが本書の特徴である。(Wikipediaより)

経済界では、セゾングループの堤清二がボードリヤールの消費社会批判に触発されて無印良品を立ち上げたのだとか!堤清二氏は「辻井喬」というペンネームで作家・詩人としての顔も持つ方。流石です。

冒頭の引用では、現代人に特有の「疲労」を社会学的に分析しており、それは「消費」の論理そのものを反映していると鋭く分析している。これは、特に原因を持たない「うつ状態」の一般的構造の中に配置されるべきものであると。私たちの暮らす消費社会においては、欲求→充足→新たな欲求→不満→欲求→…という無限ループ状態に陥らされており、それは互いに指示・交替し続ける「記号」を追いかけている状態となっている。そしてこの社会構造は、現代社会の「うつ状態」の一般的構造なのであり、これが「疲労」をもたらしているのである。

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