ポケモンパンへの欲求
私は、25歳になった今、ポケモンパンを見つけると買いたくなる。
ポケモンパン、それは様々な種類のパンにポケモンシールが同封されたパン。パンの種類は甘い物から、しょっぱい物まで多種多様であり、決まったルールがあるわけではない。パン自体はポケモンパンがポケモンパン足り得る要素ではないのだ。そのパンがポケモンパンかどうかを決めるのは、ポケモンシールが同封されているか否かの一点である。
私はポケモンが好きではあるが、熱狂的なファンでもなく、ポケモンシールの収集グセがあるわけでもない。しかし、スーパーでポケモンパンを見かけたときは、「欲しいなぁ」と思ってしまう。毎回「欲しいなぁ」とは思うのだが、必ず買うわけではない。何回かに1回、我慢出来ずに買ってしまうのだ。私を惹きつけるポケモンパンの魅力とは何なのか、それを考えることで、私の欲求の根幹に触れられるような気がした。
そもそも、自分の中でのポケモンへの興味がどのくらいのものなのかを考える必要がある。小学生から中学生くらいまでは、新作のゲームが出れば必ず買っていたし、アニメも見ていた。何なら、ポケモンサンデーも好きだった。しかし、年齢を重ねるにつれ、ポケモンへの興味は薄まり、新作のゲームが出ても買わなくなり、アニメや漫画も徐々に見なくなっていった。しかし、ポケモンへの興味がなくなったわけではなく、新作の情報は一応確認するし、たまに過去のポケモン映画を見返したりする。最近は、ポケモンスナップをやったり、たまにYouTubeでポケモンの動画を見たりするが、過去の様に熱中しているかと聞かれたらそうではない。要するに、過去に抱いたポケモンへの思いが常に弱火で温められ、たまに中火になったり、強火になったりして、行動に移るといった状況だ。
それでは、ポケモンパンへ話を戻そう。私のポケモンへの熱が高かった小学生時代、ポケモンパンへの熱も同様に高かった。開封する時はドキドキしたし、出てきたポケモンシールはどれも嬉しかった。お気に入りのポケモンが出たらなお嬉しく、手に入れたポケモンシールは自分の机や収納ケースに貼り、さらに気持ちを高めていた記憶がある。小学生時代、ポケモンパンは親に買ってもらう物だったので、簡単には手に入らなかった。故にポケモンパンから得る喜びも大きかったのだろう。
その後、中学、高校、社会人とポケモンパンから離れていたのだが、彼女と同棲生活を始め、スーパーに行く機会が増えてから再びポケモンパンを目にすることが多くなった。ピカチュウやイーブイなどの見慣れたポケモンがプリントされているパッケージを見ると、何だか懐かしい気持ちになる。その他にも、私の知らないポケモンがプリントされている物に時代の流れを感じたり、「ミュウツーのチーズマヨパン」と書かれたパッケージに違和感を覚えたことに、精神年齢の上昇を感じた。久しぶりに見つけたときは、そういったことを感じる程度で欲しいとまではいかなかったが、スーパーで見かけるたびにポケモンパンを開封したい欲求が増していった。ポケモンパンが食べたいとか、ポケモンシールが欲しいとかではなく、ポケモンパンを開けたいという欲求。これは、小学生の頃には無かった欲求だ。ポケモンパン開封の欲求は次第に高まり、ついには「ポケモンパン買っていい?」とスーパーでクロワッサンを選ぶ彼女に尋ねていたのだ。
およそ15年ぶりに手に入れたポケモンパン。本当は今すぐにでも開けたかったが、夕飯の前に食べるのは流石にやり過ぎだと自分に言い聞かせ、翌朝まで我慢した。翌朝、私は開封を許されたポケモンパンを前に、小学生の時と同じようにドキドキしていた。開けること自体にもドキドキしていたし、何のポケモンシールが出るのかにもドキドキしていた。そして、ポケモンパンを開封したとき、心の中で一度閉ざされた扉も再び開いた気がしたのだ。
私は、ポケモンパンからポケモンシールを取り出した。ポケモンシールは別で包装されており、まだ何のシールかはわからない。好きなポケモンが出たら嬉しいなぁと思いながら開封すると、出てきたの「ユキハミ」という何とも言えないフォルムの知らないポケモンだった。第一印象は「何これ?」であり、そこには懐かしさも喜びもなく、あるのは戸惑いだけだった。懐かしさを感じていた物から突然現れた未知、当然の困惑だった。
私は一度ユキハミと距離を置き、ポケモンパンを食べた。甘くて美味しかった。再びユキハミに目を向ける。改めて見ると、ほっとけない可愛さがあり、少し愛着が湧いた。久しぶりのポケモンパンは、懐かしさと共に新たな出会いを私に与えてくれたのだ。それからというもの、スーパーでポケモンパンを見かけると、「欲しいなぁ」と思う様になってしまった。
ポケモンパンを手に取ってみて、子供の時の気持ちを思い出せたり、25歳でもポケモンパンでドキドキ出来ることを確認できたり、ポケモンパンの味を美味しいと感じられたり、きっかけは開封したいという単純な欲求ではあったが、ポケモンパンから得られたものはそれよりも大きかった。
私はポケモンパンを通して、過去の自分との対話と自分の感性の再確認を行っていたのだ。「ポケモンパンを開け、シールを確認し、パンを食べる」この一連の流れによって、自分の感情がどのように動くのかで、自分の感性の現在地を確認することが出来る。もしも、ポケモンパンに何も感じなくなってしまう様になったら、それは自分の精神に危険が訪れているサインなのだと思う。言わば、ポケモンパンとは心の指標。そんなポケモンパンとは、これからも長い付き合いになりそうだ。
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