映画をみる日々


今、ベンジャミン・バトン 数奇な人生 を見終えた。

トイレに行きたいけれど、感情を書いてから、ゆっくり行こうと思う。


私は今日の昼間、おひるすぎくらいに、焦燥のような、自分のこれからとか

なにをして生きていけばいいんだろうとか

そういう漠然と人間らしいよく色んな人が通りそうだなと思う思考回路を通っていた。

すこしだけ落ち込んで顔がふしゃっとしていたと思う。

なので、祖母の格言「笑顔よ!」を、してみたりした。

本当にふふっとなって気持ちが前を向いたのでおもしろい。


ベンジャミン・バトン 数奇な人生は、私の大学時代の先輩が

前わたしに薦めてくれていた作品で、わたしは過去にも一度見ていたが

今日気持ちと時間が重なりとれたので、じっくりみることができた。

最近ずっと家に居て、絵を描く、食事をする、歌を歌う、録音をする、動画を作る(練る)、猫(おもにスズメちゃん)や家族のことを考える、そして写真、映像を撮る、などしている。寝る時間は、なるべく夜にしているが、昼までまたぐこともある。

なんとなく、絵を描くことに今は焦点が寄っているような気がするが、わたしが生活をしようとなると、ほかにも仕事や、収入があったほうがいいな、と考えていたのが昼のことで、

わたしは思っていたよりも家族たちに守られ支えられていたことがわかった。その仕事のことや社会と手をつなごうとしたとき、すぐに頭がクラクラになった。わたしは自分のできることを伸ばし、そしていっしょに生きていく存在を出会ったり、だいじにすること、そしてそれは今もずっと、している、できることだった。


ありがたい。


一日1日で、眠って起きたらその日暮らしのように考えていたこの頃、先を生きることを考えたわたしのすこしの変化が、また見えていた。

というのに今書いていてそうなんだなあと思った。


わたしはいま、恋をしているので

その人と暮らしてみたい、そしたら、自分がきっとこうなほうがいいかな、とか、そういう岐路に立つように考えている。

好きな作品や弟や水色の影響で、アクアリウムバイトを探してみたりしている。その中で絵や、なにかを描くことを自己表現として続けていけたらいいなと思う。

トイレが・・・行ってくる。



行ってきました。

(そういえば今日の夕飯は、こないだは母が作って、今日のは父が作った豚の角煮だったのだけれど、とても美味しかったな・・・。)


(寝室から弟の笑い声が聞こえる。よかった 元気そうで 寝るまえだけど)



祖母の格言を実行したとき思ったことは、

これからわたしがどうするかを、

今ここで台所に立ちながら俯いて考えていてもしかたがないので、

笑顔になってみて、ああいましあわせだと再認識して、

これからどうするのかなわたしって、たのしみに生きていたらいいと、

そう思った。わたしは自分のことを経験に立って言ったり見たりするから、たまにそれで自信のなさを自覚したりする、だがそれはこれから経験することだからまだわからなくて、だからたのしみにしていていいんだよと思えた。(お〜前向きだ・・・!)


たのしみだ。



私が死んで骨になったら、

家族を抱えて眠りたい。


今日の映画の最初、最後、そう思った。


おやすみ、、、、、、

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