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『くるみ割り人形』〜改訂版と新解釈って何が違うの?って考えてたら"クラシック"の正体にたどり着いた話〜

こんにちは、ソノです♡
今回はクリスマス間近ということで、『くるみ割り人形』のお話をしようかなと。
言わずと知れた三大バレエ作品のひとつ、『くるみ割り人形』。
毎年冬になると、世界中のバレエ団、そしてバレエ教室がこの演目を上演します。


実は『くるみ割り人形』にはたくさんの版が存在します。それだけ数多く上演されてきたということですね。


今回は"改訂版"『くるみ割り人形』と"新解釈"『 くるみ割り人形』の違いについて。 


なにが「改訂版」でなにが「新解釈」なのか、、、というお話をしたいと思います。



『くるみ割り人形』初演版は、プティパ版(厳密には振り付けはプティパの弟子、レフ=イワーノフの振り付けです)。
一方で今日知られているものは、
・マリインスキーのワイノーネン版
・英国ロイヤルバレエ団のピーターライト版

改訂版として知られているものとしては、
・バーミンガムのピーターライト新版
・スウェーデン王立バレエのヌレエフ版
・アメリカンバレエシアターのバランシン版
などがあります。


オーストラリアバレエ団、ピーターライト版『くるみ割り人形』山田悠未
チャコットワールドレポートhttps://www.chacott-jp.com/news/worldreport/australia/detail015680.html



これら全ての音楽はチャイコフスキーのあれです。(編曲されることはあります)
違いはといえば、ちょっとしたストーリーと登場人物の特徴。ヒロイン、クララを子役が踊るパターンと、プリマが金平糖の女王とクララの両方を踊るパターンがあります。同一人物が踊るパターンでは、クララが金平糖の精に変身するシーンがあることも。
また、お衣装や細かい振り付け(使われるステップやパ)は少しづつ異なり、それぞれに特徴があります。
ひとつひとつ違いを挙げていくとキリがないのですが…

しかし、今回注目したいのは、これらの共通点です。
これは一言で表せると思っています。
それは、形式

今あげた全ての版は、
ディベルティスマン(単純に踊りを見せるためのダンスパートです。グラン・パ・ド・ドゥとか)
マイムパート
(演技をしながら物語を進めていく箇所)
わかりやすく区別されて交互に配置される形式を持っています。

踊って→演技→踊って→演技…
といった具合です。


一方で、『くるみ割り人形』には、"改訂版"と言われるもの以外に、"新解釈"と呼ばれるバージョンも存在します。 


「新解釈」と「改訂版」… 
初版の変更版ということには変わりないのですが…
なにが、それらを分けるのか。

この答えが、形式にあると思うのです。

『「新解釈」くるみ割り人形』は、
・バレエ『くるみ』の舞台裏をモチーフにしたノイマイヤー版
・孤児院が舞台のマシュー・ボーン版
・バレエ団のリハーサルをテーマにしたベジャール版
などがあるでしょうか。

マシューボーン版『くるみ割り人形』
チャコットワールドレポートhttps://www.chacott-jp.com/news/column/usa/detail022712.html


改訂版が一貫して裕福な家庭のクリスマスをモチーフにするのに対して、新解釈版はストーリーのモチーフを各々に設定しています。しかし、ストーリーや登場人物の変更は改訂版でもある程度認められる箇所とも言える…。


わたしは"新解釈"と"改訂版"を区別する最も大きな違いは、演出の形式にあると思っています。


"新解釈"版は、ディベルティスマンとしてダンスパートをはっきり取り出すことができません。
「この音楽ではこの役の人が踊る」という"ヴァリエーション"的取り出し方ができないのです。

ストーリーを進めるためのマイム的振り付けとダンスが同一化した振り付けで、初めから終わりまで進むという見方ができるでしょう。


クラシック・バレエの"クラシック"って一体何なのか?

各種『くるみ割り人形』のことを考えると、
それは時代でもチュチュやトゥシューズといった外見でもないように思います。

現状、「ディベルティスマン+マイムという形式」それ自体がイコール古典という認識になっているのではないでしょうか?


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