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私にも、みんなにも、おつかれさまって言ってあげたい。

ここ数日、明らかに自分の処理能力が落ちているのを体感していた。

はきはきとしゃべる人の声は問題ないのだが、マスクなどで相手の声量が伝わりにくい時、空いてはいない店の中にいる時など、いつもはぎりぎりでキャッチしていた言葉がうまく拾えず、聞き返すことが多くなった。

あんまり何度も話の腰を折るのも嫌なので、拾い集めた断片的な言葉から会話をつなげていると、一人だけとんでもない僻地にぽつんと突っ立っている。とっくに終わった話題を話し始めたり、または見当違いの返答をしていたりする。

もちろん、そんな事ってたまに起こるし、それほど珍しいことではないと思うのだけれど、ちょっと無視できないくらい頻発しているのだ。相手によっては少しムッとされてしまうほどに。話の腰を折ってしまった時は、なんとか「ごめん」から始まる冗談にしようとする。うまくいく時もあれば「聞こえないわけないだろう」と、やんわりと注意を受ける時もあった。

たしかに音として聞こえてはいるんだけれど、頭の中で言葉として理解するための処理が追い付いていないのだ。


睡眠時間を7時間とって、眠気はないし気持ちだって悪くないのに頭はぼーっとしている。ハミガキや洗顔の後に水道を出しっぱなしにしていることも最近少なくはないし、忘れ物をして横断歩道と自宅を3往復する日もあった。

ペットボトルの蓋も締め切っておらず、鞄の中を水浸しにしてしまった。防水カバンだったため、中にはいっていた財布や書類がひたひたに漬け込まれてしまった。

極めつけはその日に渡さないとといけない大事なプレゼントを玄関先に忘れてしまったことだ。朝、ラッピングも終わらせて指差し確認までしたのに、どういうわけか鞄に入っておらず部屋の棚の上に丁寧に置かれていた。

どれもたまに起きるであろう不注意にすぎないのだが、ここまで続くとなんだかおかしい。


運良く座れた通勤電車。私は常駐先の事務所まで2回ほど乗換をしないといけない。1回目の乗換をし、電車が次の乗換駅にそろそろ着くころだ。ふと到着駅を示すディスプレイを見たところ、なんと自宅の最寄り駅の一個手前まで戻って来てしまった!1回目の乗り換えを間違えたのだろう。また自宅まで引き返してしまったのだ。でも、毎日使う通勤電車で?そんなことってあるの?さすがにこれは変だぞ……。

急いでホームに降りて自宅とは反対方面の電車に乗る。目的の駅に着いたのでホームに降りる。

はて、ここは何駅だろう。見たこともあるし記憶にもあるけど、何駅か分からない。「新宿駅」と看板にはしっかりと書かれており、その文字を見て再びホームを見渡すと、なるほど、今見てみれば使い慣れたいつもの新宿駅だった。

不注意では済まなくなって来ているぞ。
ここまでくると、本格的に休みが必要だなと、そう思った。
思えば最近全然ゆっくりできていない気がする。
そしてこれらの失態は疲れから来ているように思う。

別に忙しいアピールをしたいわけではないと言うことを前提に聞いてほしい。

思えばここ数週間まともに休日というものが取れていなかった。

常駐先での9時間の業務後に、自宅またはコワーキングスペースで副業を2~3時間ほど、またはiPadを使用してアイデア出しをする。土日に娯楽として友達と食事やお茶を数時間(これは本当に私の生活のオアシス)。

家を出る前に、または帰宅した後に、眉間に皺を寄せてスプレッドシートとにらめっこをしたり、求人サイトを溜息まじりにスクロールしたり、Adobe、Pagesなどのソフトをカタカタとやっている。もちろん、これらのメニューは日によって入れ替えられるが、大体こういうルーティーンだと思う。

そのうえ、掃除洗濯皿洗いに続き、名もなき家事がぽろぽろと天井からほこりのように毎日休みなく降ってくる。

「自分の生活もそんなもんだぜ!」と、それでもピンピンしている猛者もいる思うが、そんな人だって休息は求めているはずだ。

決して誤解しないでほしいのだけど、スケジュール管理が苦手なわけではないのだ。どちらかというと得意な方だと思う。計画を立てて行動する方だし、プロジェクトの進行なんかもスムーズにできる方だ。不測の事態の追い込み対応だってやれるし、休みだって調整してとっていた。パートナーも家も仕事もあった頃は。


この1年は例外だった。生活の変化が大きすぎたのだ。ある意味スッカラカンになって新しい生活を始めたこの1年。私にとっては、なんとか生活のスタート地点にまた立たねば!という1年だったのだ。

収入も一人で生きていくにはちょっとばかり足りない。家も探さないといけない。そのために本当にいろいろなことをしてきた。出来ること全てとは言わないけれど、可能性がある限り、色んなことをしてきた。慣れない仕事や単発の仕事で、恥ずかしい思いもしたし田舎者だとバカにされることもあった。謂れのない嫌味を言われることもあった。だけれど、ナニクソ!コノヤロ!!ドッコイショのエンラコラ!!!でなんとか自分を維持して奮い立たせてやってきた。

いろんなソフトが使えるように勉強だってした。体調が悪くて微熱が続いても自宅でやれることをやった。そうしないといけない状況でもあった。

そして今、ようやく安定してご飯が食べられるようになってきた。ほっとした。よかった。


で、いま、このタイミングで、ぷつり……ということだと思うのです。

本当ならこれからもっともっと自分のやりたい事、その実現方法など深く深くドリルダウンして見つめていきたい。でも、そうなると、今のこの状況のタスクを上乗せすることになってしまう。それは、今のこの疲れた状態だと無理だよね、と。

こんな時よく言われる「仕事に支障が出ているんだから休みなさい!」という言葉。(仕事には支障は今のところ出ていないが、この調子が続けば時間の問題である。)この言葉は、こう言われないと安心して休めない人のために言われる言葉だと思う。

私はとても意地悪であまのじゃくでひねくれた所があるので、「あー、私の事を、仕事と社会を回す歯車かなんかと思ってるんです?」と考えてしまう。(自分でもちょっと嫌になる程ひねくれてる!)

なので私と、私のように頑張り屋だけど少しひねくれ屋さんのみんな、またそうでない人にも私はこう言いたい。


お疲れ様。
本当に頑張ったねと。


がんばった。本当にがんばった。
辛いのによくやった。ちょっと、一緒にゆっくりしよう。

何日か旅行にでも行こう。

温泉につかったり、きれいな景色をみたりしよう。舗装されていない山道とか、砂粒が踵をこする砂浜にもいこう。

車を一日借りて空と道路一本の景色を探しに行こう。電車でゆったりどこかに行ってしまうのもいいね。

外を歩いて、汗をかいて、冷たい水を飲んで、空気をゆっくり吸ったり吐いたり。草木の香りに、くしゃみをしたりして。木漏れ日から見る空の光は、それほど眩しくないことを一緒に発見したい。

海に浸かっている方が、風の吹く日には逆にあたたかいと、小学生のころ体験していたことを、今また新たに発見したい。

よく頑張ったね。えらいね。すごいよ。
なかなか出来ることじゃない。

こんなに頑張ったんだから、労おう。自分を。少し休もう。

休むということは、
きっと 、”自分を体験する” こと 。


やりたいことはたくさんある。コミュニティを形成すること。そのための手段を考えること。その中で大事なのは……「やりたいこと」と「目標」を明確にすること。働き方や形態は、その手段に過ぎない。自社メディアを作ってみようか、それは会社?それともあの方法で…。あちらに声をかけてみようか。

考えは次から次へと考えがあふれ出てくるけど整理が出来ない。
だから、ちょっとストップ。

理想に近い選択をするために今必要なのは、休息。これは間違いのないこと。

休息無しで完成した仕事や、捻出したアイデアは、蓋のない逆さまのペットボトルのように流れ出てしまうかもしれない。

やっと蓋をして鞄にねじ込んだ成果やアイデアは「これでいいのかな。やっぱだめかな。」と自信がなく出発できず、家の前を往復しているかも知れない。

そんなこんなで、なんとか目的地らしき所にたどり着いたとしても、「あれ?ここどこだっけ?自分ってここに来たかったんだっけ?」とプラットフォームでぽつんと置き去りにされてしまうかも知れない。

そしてやっとたどり着いた場所で、きっと自信のないアイデアのプレゼンをする。その声は小さく、届けたい人に届けたい言葉で伝わらないかもしれない。

今はもう、明日がいい日になるかどうかなんて事すら考えないで、
ただ今日をゆっくりと休もう。
私もみんなも、本当に今日はお疲れ様。




その胸オレに貸してくれ 第8回 私にも、みんなにも、おつかれさまって言ってあげたい。


おねがい

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