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あやまらせ癖

昔働いていた職場で、ある人に対していつも謝っているなと思ったことがある。いや、謝されているなと思ったことがある。どちらでもいいようなことをわざわざ指摘したり、過去の仕事のあれこれを引っ張り出してきて、私にとって具合の悪い話をしたり。仕方がなく「自分も悪かった」という感じで困り笑顔を作ってみる。そうするとスクリーンショットや過去のエビデンスを突きつけてきて、ほらあの時のこれだよと言ってくる。正直すごく嫌な気持ちになる。ひょっとして今も自分は同じようなミスをしていて、それを指摘してくれているのかと思い「確かにこの時そうでしたよね...すみません」と申し訳なさそうにすると、別の話題にうつってしまう。嫌な感じである。

彼が他の人に対しても同じようなことをしているのをよく見かけた。相手のコントロール化にないこと、仕方のなく起こってしまった過去のこと、集団で働いているならば起こりうるだろう、ささいな引っかかりに対して、こんなことがあったとか、こうしてくれないとダメなのにと相手を詰めている。不本意ではあるが謝ると、決まって「いやあなたは悪くない」と彼は言う。「いや、あそこまで詰められたら謝るしかないだろ」と思いながら、私はそれをみている。「それ言い過ぎじゃないですか!」と立ち上がって指摘する勇気も私にはないし、それくらいの処世術は身につけてしまった。言い過ぎってほど決定的なハラスメントをしているわけではなく、ぬるくぼんやりとした嫌らしさが漂う。

ネガティブな先入観を持ってしまうと、例え良いところがあってもそうは思えなくなる。それどころか良い部分も鼻につく。嫌な部分に見えてしまう。これは気を付けておかないといけない。簡単に人を嫌いになってはいけないから気を付けたいと言うよりかは、この職場で少しでも自分が快適に過ごせるようにという意味合いで。下手にお人好しになると痛い目を見ることが多いから。そうして気を付けて彼を見ていると、彼はよく人にお菓子やお土産を配っていること、自身のプライベートな話を分け隔てなくいろんな人にしていることや、体調が悪い人に必ず心配そうに労いの言葉をかける姿が目に入る。そうして、なんだ彼は寂しかったんだと気がついた。

彼にとっては過去の仕事のあれこれを引っ張り出してくることも、ささいな引っかかりに関して発言することも、日常のエピソードを語ることに過ぎないのかもしれないと思えるようになった。だから謝られると驚いてしまい「あなたのせいじゃない」と言ったり話題を変えたりするのだろう。あるいはあげ足取りをすることが、コミュニケーション上の癖になっていた可能性も高い。もし本当に嫌味を言うことが目的で発言しているのなら「あなたのせいじゃない」以外の言い方になる気がするのだ。
思えば彼が発言するプライベートな話は、遠く離れた友人たちやネット上で知り合った人の話がほとんどだった。職場で誰かと話すのが嬉しくていろんな話をしてしまったのだろうか。話しているうちに話題がなくなってしまうから、職場であった昔のことを話してしまう。他の人が気に留めない些細なことも話してしまう。中には嫌味っぽく言っていることもあったのかも知れないが、きっと私が認識している数より遥かに少ないのかも知れない。

だからと言って彼の寂しさを埋める手伝いをしようとか、私の行動を彼のために意識的に変えようとも思わなかった。彼から何かを言われた時に、少しだけ自分が楽になったくらいだと思う。変なことを言われたら嫌な気持ちになったし、業務後に世間話の連絡が来れば1通くらいのやり取りをすることはあっても、あとはスタンプを押したり既読をつけるくらいだった。もう彼とは関わらなくなってしまったが、私の彼に対する認識が変わったことにより、私の彼に対する所作のようなものが変わっていたのであればいいなと今更ながら思う。彼のためという大義名分ではなく、そうであれば私の罪悪感が少しでも減るから。



あやまらせ癖

おねがい

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