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父がアル中だったことを認める作業

 こんばんは。訪問ありがとうございます。

 毎日たくさんの文章を書くようになってから、自分の人生の棚卸しをしないとなと思い始めました。子どものことを書いていると、どうしても自分の子ども時代を思い出します。

 夫は私に
「生まれ変わったら、あなたの子どもになりたい。うちの子ども達はラッキーだ。こんな教育を受けられたら自分は幸せだったと思う」
と言ったことがありました。普通なら
「生まれ変わっても、またあなたと結婚したい」
なんだろうなと思うので、妻としては良くないのでしょう。

 そんな私ですが、自分の教育環境は最悪だったことに気づかされました。そう。父親がアル中だったのです。仕事には何とか行っていたので全く周りは気づかなかったかもしれません。しかし、今思い出すと父は完全にアル中でした。

 実家にいた頃は寝る時に、部屋にカギをかけて寝ていました。酩酊状態の人間に部屋を間違えられないためです。

 週末の朝は、母が起きるまでは絶対に一階に行きませんでした。酔い潰れて酷い格好で寝ている父親を発見したくなかったからです。茶の間にたどりつければまだ良い方で、玄関フードに転がっていたり雪の中道端で倒れていて警察に運ばれて帰ってくることや、警察に保護されたのを迎えに行ったこともありました。

 飲み屋のトイレで寝てしまい、明け方の閉店時に発見されたこともあります。

 警察に迎えに行った時の恐怖は今でも忘れられません。何とか警察官の方に車に押し込んでもらったものの、父は何かをうめきながら走行中の車のドアを何度も開けて降りようとするのです。酔っ払いなので何を考えているのか、何をしたいのか全くわかりません。

 車から逃げ出し、警察署の前で立ちしょんをしたこともありました。警察に捕まってしまえと心の底から思いました。いっそのこと、牢屋に入れてくれれば私達は安全だったのに。

 多少酔いが覚めると、説教が始まります。ロレツがまわらないけれど、このヤロー!!とか、お前!やるのか?!と怒鳴ります。殴るふりをして本当に殴ったことはないのですが本当に最低だなといつも思っていました。

 お酒が入っていない時は、控えめで働き者の良い父親に見え友人達からの評価が高い。いつも苦々しい気持ちでいました。

 一度、夜中に大きな物音がしました。もう、死んでいても仕方ないと思い見に行きませんでした。翌朝見ると、ダイニングの壁には大きな穴が空いていました。酔っ払った父に何かが見えて殴ったようでした。

 大学生の時、20時の快速列車に乗ると大騒ぎしている酔っ払いが同じ車両に乗り込んできました。父でした。

 デッキにいた私に気づき近寄ってきて、これで無事帰れると安心したのか立ったまま寝始めました。列車の揺れで私の肩にもたれかかりそうになった時、
横にいた男性が
「アンタ何やってんだ!だらしない。やめろ!」
と父に怒鳴ってくれました。

 まさか父だとは言えず、私も気持ち悪がって離れました。それでも壁にもたれかかって寝続けました。

 降りる駅に着いて、父親の顔の前でパチンと何度も手を叩き何とか車両から降ろしました。タクシーで嘔吐したら大変なので、そのままふらつく父の名前を呼び手を叩きながら何とか家まで帰りつきました。

 せっかく友達と食事をして楽しい1日だったのに、最悪な1日になりました。

 酔っ払って玄関のドアを開け放ち、飼い犬を逃したこともありました。幸い、犬は見つかりましたがもし見つかっていなければ殺意さえ抱いたかもしれません。

 こんな最悪な子ども時代を過ごしていました。もちろん、もっと悲惨な環境に育つ子どもはたくさんいるわけで、お金に困ることがなく暴力だけは辛うじてなかっただけでもラッキーなのかもしれません。

 しかし、我が家の子ども達はこんな恐ろしい思いをせずに育ち、何でもチャレンジできる環境にいて、いいなーと私も思います。

 何で、父のアル中のことを書いたのか。それは、家探しの時に私が無意識に「トイレが2つあること」を条件にしていた理由を思い出したからです。

 うちの酔っ払いはトイレで寝てしまうことが多く、幼少期の週末の朝にトイレが使えず、我慢できずにやむなく何度かお風呂でしたことがありました。それがトラウマになっていたんですね。

 幼児期のもう自分では忘れているような出来事も、こうやって何十年先の人生にまで影響を与えるのです。我が家の子ども達には、いえ、世界中の子ども達にこんな経験をさせずに暖かい環境で育って欲しいなと心から思います。

 

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