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子ども達へこころの居場所を

今日は文藝春秋さんのコンテストのテーマ「#未来のためにできること」を考えていこうと思う。

私は小さい頃に虐待を受けて入院し、その後中学生の頃、また虐待を受けて児童相談所の一時保護所に保護されたことがある。

一時保護所での生活

一時保護所では、詳細は語れないが色々な年齢の子どもが、私の居た保護所では学校にも通えずに、保護された理由も身の安全の為にそれぞれに付く担当の人ぐらいにしか話せないままこころが孤独な、厳しい制約の中生活していた。

ネットの友人達

虐待を受けていたときに心の支えになったのはネットの友人達だった。

そこには、同じように虐待を受けていて、親から逃げると金銭的補助が無くなる為、進学の為に保護されることを選ばない子も多く居た。

ネットの友人達とリアルでは出来ない辛い環境の話や、一緒にゲームをしたりお話したりして、なんとか生き抜いていた。

一時保護所に保護される前も、一時保護所から家に帰ったときも、こころから落ち着ける居場所だと思えるのはネットの中だけだった。

なぜそう思っていたのか、答えは周りの
"偏見の言葉"だった。

世間では、虐待はそう滅多にあることではなく、私の場合の言葉の暴力や無視程度では"子どもの為を想って"だと辛いと訴えても周囲の大人にかき消されてしまっていた。

私はそんな日々が嫌で、何度も死にたいと思った。けれど、ネットのみんなが居たから生きてこれた。

だけど、ネットに頼れないような子がまたそんな偏見の言葉を浴びたらどうだろうか?そんな人達の居る場所に、こころの居場所は見つかるだろうか?私はその子達が耐えられるかどうかわからない。

だから私は子どもが"こころの居場所"だと思ってもらえるような場所を作れる、そんな大人になりたい。子どもに関わる仕事に就いて、辛い子どもに気付いて寄り添う大人になる。内側から変えていこうと思う。

この問題は、虐待を受けた子どもだけではないと思う。ちゃんと自分を見てくれる、些細なことに見えても、ちゃんと真剣に話を聞いてくれる大人は少ないんじゃないだろうか。

少なくとも、私は何度も虐待について軽く扱われて辛い思いをした。

私の #未来のためにできること は私自身が子ども達へこころの居場所を作れる大人になること、だと思う。

今年法改正で18歳になった成人の、これから始まる新しい進路への決意でした。

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