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アラフィフ独身女の死生観。

「早く死にたい 無駄に長生きしたくない」

と言う人が周りにはいる。
私もそう思う。

私の周りには、私の仕事上、高齢者福祉に携わる者が多く、自分の死生観をも考えさせられることが日常だ。

アラカンの既婚女同僚は「死ぬのが怖い。新型コロナウィルスも怖い。死にたくない」

アラフォーの独身女同僚は「子どももいないし、早く死んでもいいかなと思う」

アラフィフのバツイチ男は、体調が悪いのに病院へ行かない。宣告されるのが怖いから?自分は大丈夫という正常性バイアスがかかっている?

「俺は癌になっても手術は受けない。自然に任す」と言っていた父が、今は入院して治療を受けている。「まあ、流れに任すか」と。

「ペースメーカーの電池交換はもうしない」と言っていた高齢者は期限が近づくと「苦しいのは嫌。交換することにした」

「もういつ死んでもいい」と言っている80歳代のおばあさんでも病院に通う。

難病に罹ったアラフィフ男性は「呼吸器はつけない」と言っていたけど、苦しんで死ぬよりはやっぱり呼吸器をつける。


私も、無駄に長生きしたくない と思っているけれど、痛かったり苦しかったりしたら、やっぱり病院へ行くだろう。

病院へ行かず、苦しみに耐え、もがき、泣き叫び、死ぬことになっても、良いのだろうか。

いや、怖いのは、死ねないことかもしれない。
苦しくて痛くても、死ねない状態が一番怖い。
発作か何かで一瞬で死ぬのなら、

「早く死にたい 無駄に長生きしたくない」

という言葉もわかるけれど。


エンディングノートは書いた。痛み止めももっと貰っておこう。対処療法的な薬は必要だ。もがき、苦しむのは怖いから。

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