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「パートタイム・ジャーナリスト」

最近、全然noteに執筆できていないなあ、と反省しています。自分の書きたいこと、書くべきだと思っていることを自由に書ける貴重な場所なのに、ちょっと、あれこれ落ち着かない日々が続いていました。毎月6日ぐらいは何かを書こうとか思っているのに、それすらできず。

1月9日で、無所属の人間になって半年が経ちました。

昨年2月に辞表を出して受理された。もう1年が経つ!

(お、しばらくnote書いていなかったら、画像にキャプションが付けられるようになっている!前から切望していました)

この半年間、ほんと充実していて、書くことで社会とつながってきた自分の見える世界がぐんと広がったし、ありがたいことに、さまざまな種類の媒体に書かせていただいたし、そして、今までの人間関係とか問題意識を深めることができた。(やりたいしやらないといけないと思っていることで着手できていないことは山ほどあるけれど)

全国紙の大きな看板のもとで仕事をしてきたけれど、自分が見えていた世界なんてものすごく狭い一部分だったんだなあ、と心底感じた。

で、サラリーマンでなくなった今、自分で自分のことをどう名乗るかっていうのを、常に私は考えている。というか、悩んでいる。だけど、現時点ではそれがよくわからなくて、名刺には「取材・執筆」とだけ書いています(この夏本を出させていただく予定の出版社の編集担当の方が、「取材・執筆・編集」と名刺に書かれていて、それが良いなって思って拝借しました)

ただ、10月1日(奇しくも、コロナワクチン2本目を打って撃沈した日)に、調査報道NPOのInFactに記事を配信してから、いろんなことが変わった。

何が変わったかというと、「フリージャーナリスト」とか「ジャーナリスト」という風に紹介されることが増えたのだ。というかそういう風に紹介されることばかり。

そのように呼んでいただくことは正直、光栄です。ただ、自分で自分をジャーナリストと名乗るかどうかについては、なぜだが躊躇がある。(それこそ、InFactに記事を出す際に、編集長の立岩陽一郎さんにその辺の自分の思いをあれこれ伝えたのだが、引き続き、ジャーナリストとして紹介されている)

要は、よくわからないのだ。ジャーナリストが何かということが。

なので、たちまち(広島弁で、とりあえずという意味です)自分で自分の肩書きを記すことが必要な場合は、「フリーランス記者」と名乗っています。

月刊「Journalism」2022年1月号より
長崎の証言の会「証言2021」より

なぜ自分から進んで「ジャーナリスト」と名乗らないのかは、先ほど書いた通り、ジャーナリストとか、ジャーナリズムとかが、このメディアの多様化とかの中で、私自身よくわからなくなっているというのが最大の理由だ。なぜ、朝日新聞記者時代に自分のことを「ジャーナリスト」と名乗らなかったのだろうか。なぜ、組織ジャーナリズムから離れた瞬間に「ジャーナリスト」と言われるのだろうか。よくわからない以上、それを名乗ることには躊躇がある。

念のためだが、ご自身でジャーナリストと名乗っている方々をどうこういうつもりは全くないです。尊敬する人たちがたくさんいるし、ゆえに私もサブスクさせていただいたりしている。ただ、私自身が、現時点でそう名乗っていないのは、おそらく以下のような理由からのような気がします。

①何にどういうことを書くか、ということについて、選択肢を狭めたくない。

広島を拠点に、書くことで引き続き社会とつながっていようと思っている私が、何を書くかということについて、選択肢を狭めたくないという思いもある。サラリーマン記者を辞めて以来、広告要素の高い出版物に記事を書いたこともある。ものすごく楽しかったし、勉強になった。これまでの「書く」という仕事とは、仕事の進め方から何からまるで違ったから。地域活性のために、こういう風に地域と関わっていくって良いなあと心底思いました。ただ、新聞社時代、「記事と広告は違うんだ」と叩き込まれてきたことが染みついてしまった自分がいる。「ジャーナリスト」と名乗ったら、こういう楽しい仕事ができなくなってしまうような気がする。

②あらゆるものに属さないことを求められている気がする。

私は、広島という地域社会に根を下ろし、そこで自分が書けることや書くべきことを書いていきたいと思って、転勤命令を機にサラリーマン記者を辞めた。広島という地域社会に暮らす一人の市民、母親、納税者、有権者としての問題意識を何より大切にしたいと考えている。だけれど、これもまた、私が19年間の新聞記者生活で叩き込まれすぎたことなのかもしれないけれど、組織ジャーナリズムの世界では、何事からも「中立」でいるべし、という教義がある。でも、私は、マスメディアの、少なくとも全国紙の地方報道が、支持を急速に失っている(部数激減)理由は、「地域社会の一員」という、同じ地平で物事を報じているという姿勢が読者側からすると感じにくいというのがある、ゆえに読者が離れていく、という風に思えてならない。全国紙の地方駐在なんて、冷たい言い方かもしれないけれど、地域に根を張って暮らす取材先からしたら「ペンを持ったゆきずりの人」でしかない。だから、書いていること、言っていることが宙に浮いているというかなんというか。同じ目線に立ってくれないというか。人ごとというか。私はそういう報道には問題があると新聞社時代から常々思ってきたし、意見もしてきたし、読者と同じ地平で、ともに問題を考えるような書き手でありたいと思っていて、だから、いつまでも宙に浮いているのがイヤになった。ジャーナリストと自分から名乗ると、そういうことが許されないかのような感覚があるのだ。

という2点であるように思う。

私が銀行員を辞めて新聞社に入ったのは今からちょうど20年前の2002年だが、組織ジャーナリズム・マスメディアを取り巻く環境はこの間激変した。メディアがひたすら多様化した。いろんなものが選択肢が多いということは、受け手にとっては良いことでしかないのだけれど、だけど、これによって、「ジャーナリズム」とか「ジャーナリスト」という言葉そのものの再定義が必要になっているのではないかと私は思っている。私自身が、いろんなことを実践しながら、この先もジャーナリズムについて考えていきたいし、願わくばその世界の一員でありたいとも思っている。

・・・・で、そんな言葉はおそらく存在しないから、かつて某氏が名乗っていた「ハイパーメディアクリエイター」みたいに「なんじゃそれ」となりたくないので公に名乗ることはないけれど、自分の心持ちとしては、「パートタイム・ジャーナリスト」または「兼業ジャーナリスト」というのが、自分のなりたい姿として一番近いように思っています。何か別の仕事をしながら、ジャーナリスト活動もする、というようなイメージです。

年末に大阪で尊敬する先輩に、高級ボールペンをいただいた

私は、健全な民主主義社会には、ちゃんとしたジャーナリズムが必要だと心底思っていて、だから、自分がそうだと思っている報道やメディアに対価を払うことで支援し、接している。新聞もあれば、youtubeチャンネルもある。正直、自分の今の稼ぎではなかなかしんどい部分もあるけれど、でも、ちゃんとしたジャーナリズムが存在することは、私にとって酸素みたいなものなので、身銭を切っている。

前述のInFactの報道で、マスメディアの関係者から、激励や称賛をたくさんいただいた一方で、そうでない声も伝聞で聞こえてきた。InFactの報道は、マスメディア批判であるかもしれないけれど、私にとって大切だと思っているからこそ、私が取材したことから見えた範囲で、自分が思うことを書いた。

私自身は組織ジャーナリズムからは離れたけれど、ジャーナリズムとかジャーナリストというものが何か、どう再定義すべきかと言ったことについて、これからも、ずっと考えていきたいと思っている。だから、いつか堂々と、「ジャーナリスト」と自分から名乗ることができたら、という風に考えている、というのが、無所属半年の私の所感です。

冬の広島の夜景


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